日本明慧


やっと私の師父に会った

文/ 山東冠県大法弟子

 【明慧ネット2005年10月12日】1994年 1月24日は私の一生で最も幸運な日だ。この日、師父は済南へ法を伝えに来られた。私たち冠県の大法弟子数人は主催部門の人と一緒に駅へ師父を迎えに行った。この数人の学習者の中で、私だけが師父とお会いしたたことがない。後数時間で師父にお会いできると思ったら、私はとても興奮し、嬉しくなったし、またすごく神聖な気持ちになった。

 午後4時30分に私たちは地下道で劉さんと会った。誰かが彼女の大きいなリュックサックを取っている時、彼女は「早く師父をお迎えに行って、すぐの後におられます。」と言った。大勢の人ごみの中に、背が高く、穏健な歩きで、微笑んでいる中年の男性を見つけた。彼は黄色いコートを着、黒いズボンをはいて、一つ旧式の鞄を持っていた。師父が私たちを見つけた時、私は先に思わず「李先生、私たちはあなた方をお迎えに来ました!」と呼んでいた。

 師父が嬉しそうに私たちのところに来られました、私たちは師父のまわりを囲みました。私は師父に私たちがいつお迎えに、何人で来たかをご報告した。師父は「だれとだれが来ましたか?」とお聞きになり、とても喜ばれた。突然、私の身体は一筋の暖い流があるかのように急速に全身を通じ、ふんわりと浮く感じがして、とても気持ちよくなった。私は頭が真っ白になって、何にも言い出せなく、ただ全身が仏の光の中に照られるのを感じた、その感覚は生まれて初めてで、人間のどの言葉でも言い表せない。

 間もなく迎えの車のところに着くと、師父について来た天津講座を受けた三人は車のドアの前にひざまずいて合掌し、涙ながらに、師父に感謝を伝えていた。師父は、「その様にしないでください。」と言われながら、彼たちを起こした。師父は車に乗った後、微笑んで、私たちを手招きし、あいさつしてくれた。私たちは皆涙顔でした。天津クラスから来た三人はそのクラスに参加した後で、全身の病気がなくなったと言っていた。

 たった十数分間の出来事だったが、夢のようだった。私たちの師父はどれほど平凡で、質素で、またどれほどは偉大で神聖だろう。師父の微笑が慈悲深い。これが私たちの長年探した師父で、今日やっと会えた。師父からもらったものは言葉では言い表せない。私たち正道を歩き、師父について最後まで頑張って、私たちの史前の大きい願を完成することしかなく、師父の苦度に背かない。最後師父の詩で皆と励まし合う:

縁帰聖果

尋師幾多年
一朝親得見
得法往回修
円満随師還


 縁により、神聖の正果に戻る

長年の間、師父を探しました
ある日やっと会いました
法を得て、家へ帰るために修煉しています
円満して、師父について帰ります

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/12/112232.html