日本明慧


寓言からの悟り

 文/大法弟子

 【明慧ネット2005年10月10日】ある寓言はこう語っている。ひとりの国王が夢の中で、神様からひとつの素晴らしい言葉をいただいた。この言葉は、苦しくて絶望に陥っている人に希望を与えることができるし、成功して自惚れている人に理性を与えることもできる。

 国王はこの言葉に非常に感銘した。しかし、翌朝、目が覚めたときに、国王はこの言葉の本来の言い方を忘れてしまった。そこで、国王は全国の知者を集めて、この言葉を見つけ出すように命じた。

 知者たちは慎重に、検討に検討を重ねてから、やっとひとつの言葉を持ち出した。それは「現在のすべては必ず過去のことになる」ということである。

 この寓言から修煉のことを考えてみると、修煉過程に現れた多くのトラブルや困難は、まさにこの寓言に言われた通りで、すべては必ず過去のことになる。大法弟子の修煉環境は、まさに浄土である。なぜならば、みなさんはこの法のためにやってきて、この法のために存在しているからである。しかし、この「浄土」の意味は、個人の理解として、修煉さえすれば、誰でもすぐ常人の心を完全に捨て切って、全てが高尚で純粋になるということではない。修煉は必ず一つの過程が必要である。修煉過程の中で、もしトラブルがなければ、必ずしも良いこととは言えない。修煉過程の中に現れた問題は、当事者本人の修煉材料であると同時に、周りの人にとって注意を喚起する効果もある。最終的に、すべてのマイナスのものは必ず消え去り、新しい宇宙には美しく純粋なものしか残らない。

 修煉者の間においても、他の人に存在しているマイナスの要素に邪魔されて、意気消沈になり、精進しなくなった学習者もいる。これは法理に対する理解不足によることであり、早く向上すべきしるしである。

 トラブルの中で、たとえ本当に相手に問題があったとしても、自分も反省する必要がある。自分が向上してから、はじめて善の心を持って環境を円容させ、他人の問題によって大法に対してもたらした損失を最大限に防ぐことができる。 

 もうひとつ自分の理解としては、世の中のすべての生命、それは、常人であろうとも大法弟子であろうとも、すべてが師父の人である。なぜならば、師父は計り知れない苦難に耐えたことにより、これらの生命に、今日までこの世に生きられる貴重な機会を与えたからである。これを理解できれば、トラブルにぶつかった時、より理性的に対応できるようになる。師父が救い済度しようとしている生命に対して、私たちは軽率に扱うべきではなく、善の心を持って慎重に大切に対応しなければならない。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/10/111904.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/10/11/65797.html