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遼寧省公安庁の警察官・彭庚さんが、法輪大法の修煉を堅持したため迫害され死亡

 【明慧ネット2005年10月11日】元遼寧省公安庁警察官の彭庚さんは、法輪大法の修煉を堅持したことで、停職させられ不当な迫害を受けた。彼は以前、馬三家など数ヶ所の労働教養所や監獄に不法に監禁され、迫害を受けた。身体の容態が悪くなっている彭庚さんを見て、法院と監獄は、病院で治療を受けることに同意したが、瀋陽市610オフィスは、彭庚さんをずっと監禁するように命令した。そのため、2005年7月14日、彭庚さんは不当な迫害によりこの世を去った。彭庚さんは、最後の段階になっても、家族に「法輪大法はすばらしい」と言っていた。
 
 彭庚さん(男性、31歳)は、遼寧省公安庁の警察官で、盤錦市興隆台区に住んでいた。1999年7月20日以後、数回上京して法輪大法を実証し、人々に真相を伝えた。このことで、彭庚さんは遼寧省公安庁員によって不法に停職させられた。彭庚さんの両親は、悪党らの法輪大法に対する誹謗と、長期間にわたって捻じ曲げられた宣伝を見て、彭庚さんが法輪功を修煉することを理解できず、彭庚さんを精神異常だと思っていた。それで彼らは毎日彭庚さんを見張り、強制的に心理治療の医者の治療を受けさせた。しかし、彭庚さんの法輪大法の修煉を堅持する意志は動揺しなかった。公安庁が検査を書くように彭庚さんを脅迫した時、彭庚さんは「法輪大法はすばらしい」と書き、そして法輪大法の清白を戻すように書いた。
 
 不当な公安庁の人員は、彭庚さんを労働教養所へ送ったが、彭庚さんは「天安門焼身自殺事件」を知った後、正念で労働教養所から脱出し、盤錦に戻って真相資料を製作した。彭庚さんはコンピューターに精通していたので、製作した真相資料は量も多くスピードも速かった。しかし悪人の密告で、再び省公安庁により労働教養所へ送られた。彭庚さんは絶食により再び労働教養所から脱出することができた。彼は盤錦へ戻った後、資料製作所で真相資料を製作し続けた。その後、彼は瀋陽に戻って、真相資料の製作に参加した。
 
 目撃者の話によると、大法弟子・彭庚さんは、扶順市呉家堡子労働教養院で厳管班に監禁され、話すことすら禁止された。また、馬三家労働教養院の男隊で、彭庚さんは数回も酷刑の迫害を受けた。例えば、殴打されて血が出た傷口に塩をぬられる、炎天下にさらされる、などの酷刑があった。悪党の警察は、学習者を炎天下で石の上にひざまずかせ、両手で石の棒を肩の上に持ちあげるよう強迫した。しかし学習者達は厳粛に断ったため、悪党の警察は暴れ、学習者達をもっと酷く殴打した。大勢の学習者達は、打たれて気を失い、意識不明になった。また、打たれた所の傷口からは腫だけでなく、蛆も発生した。馬三家労働教養院は犯した罪を隠すため、男子第六隊を解散させ、大部分の学習者を張士労働教養所へ送った。

 2002年8月12日、彭庚さんは他の同修達と一緒に、不法に捕まえられた。彭庚さんが逮捕される前、ある同修が真相資料を作っている同修達に危険を知らせたので、他の同修達は安全に移動することができた。年末、彭庚さんは不法に懲役13年の判決を下され、瀋陽監獄へ送られた。監獄で、彭庚さんは絶食で不当な迫害に抗議した。そこで、彭庚さんは口から大量の血を吐き、命まで危うくなった。しかし、悪党の警察達は「絶食して死んでも、釈放しない」と叫んだ。彭庚さんは、肺結核で瀋陽監獄病院へ送られた。その後、鉄岒監獄へ送られ、鉄岒病院で不法に監禁されるようになった。

 監獄で、彭庚さんはずっと法輪大法を修煉し続け、絶対に動揺しなかった。彭庚さんの体の状態が非常に危なくなって、法院、監獄とも外での診療に同意したが、瀋陽市の邪悪な610オフィスは、彭庚さんをずっと監禁するように命令した。そのため、彭庚さんは2005年7月14日、不当な迫害によりこの世を去った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/11/112161.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/10/15/65899.html