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大法弟子・張子棟さんが大慶刑務所で迫害され、下半身が半身不随になった

 【明慧ネット2005年10月16日】不法に12年の判決を下された大法弟子の張子棟さんは、大慶刑務所で迫害され下半身が半身不随になり、自分で生活の処理をすることができなくなった。しかし刑務所は現在も、彼に重病のための服役中の一時出所さえさせていない。

 大法弟子の張子棟さん(男性)は、ハルピン師範大学芸術大学生である。1999年10月、北京へ法輪功のために陳情に行き、ハルピン師範大学から除名され、ハルビン南岡区公安局支局に27日間拘留された。2000年11月9日には、法輪功の真相資料を印刷したために連行され、ハルピン市道外区公安局留置場に拘禁された。2001年7月、ハルピン市中級偽裁判所で不法に12年間の判決を下され、2002年3月にハルピン刑務所に不法に拘禁された。

 2002年7月、ハルピン刑務所警察の耿豪は卑劣な手段で張子棟さんを迫害して、彼のベッドの両側に二人の肺結核の患者の犯人を配置して、張さんに結核性肋膜炎、腹膜炎を感染させた。それにより、深刻に水が溜まり、ハルピン市の胸課病院に30日間入院して、胸、腹から4.75kgの水を吸い出した。後に、またハルピン医院に9ヶ月入院した。主治医はハルピン市胸課医院主任の劉竹茹、医師の黄英俊、病院の劉明徳院長、高士宏、医師の韓紅軍が治療に携わった。2004年7月1日に、張子棟さんは大慶刑務所へ転送された。

 2005年3月31日、張子棟さんは煉功して、大慶刑務所教改課課長の郭春堂は犯人を利用して厳しく監視した。その晩、犯人に掻き乱され、寝ることを妨げられ、張子棟さんは絶食で抗議した。2005年4月1日、張子棟さんの母が面会に来て、彼は目の前で刑務所の罪悪行為を暴露したため、不法な人員はやっと迫害を停止した。4月1日から4月7日まで絶食の期間中、張子棟さんは2回も乱暴に食べ物を注入させられ、心身ともに深刻に傷つけられた。

 2005年5月12日、張子棟さんは囚人服を着ることを拒絶したため、教改課の警察は5、6名の犯人を利用して、強行して服を破り、顔を殴り、彼のメガネを足で踏み潰した。張子棟さんは8日間も特別監禁室に入れられて、8日間絶食で抗議し、2回も強行して食べ物を注入させられた。5月20日から7月25日まで、部屋から出ることを許さず、食堂や買い物にも行かせず、水も取りに行かせず、毎日2人の犯人に監視された。これは「包挟」と呼ばれた。

 2005年8月30日昼ごろ、張子棟さんは外で日に当たっていた。悪警察は2人の囚人、李欣、顧山に「包挟」をさせ、張さんを牢屋に連れ戻させた。張さんは運ばれている途中ずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ。牢屋に戻った後、張さんは当番の警察の趙殿偉に事情を説明したが、犯人の李欣、顧山に阻止され、そして殴ると言いふらした。当番の警察の趙殿偉が出てきて、「彼を運んで連れ戻せ」と言った。犯人の李欣、顧山2人によって、再び牢屋に運び戻され、「もう出るな、さもなくば遠慮しないぞ」と脅された。張子棟さんは2人の犯人に乱暴に運ばれているときに、腰部が傷つけられ、両足は立つことができなくなり、病の床に伏していて、生活を自分で処理することができなくなり、8月31日から現在までずっと刑務所の病院で入院している。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/16/112529.html