日本明慧


師父の鄭州での講法班に参加したことへの追憶

 文/河南大法弟子

 【明慧ネット2005年10月14日】1994年6月11日の午前中から、師父は鄭州で功を伝授され、法を講じ始められました。8日間で10回の講習会でした。午前は功を伝授する報告会で、夜は第1回目の講法でした。6月12日(日曜日)は午前、午後と連続的して3回の講法を聞きました。

 その時、私は大学2年生で、翌日に試験があるため、午前の報告会にしか参加できませんでした。

 私は子供の頃から人生の真諦を探求するのが好きで、明師に人生の目的や意義などたくさんのことを教えてもらえるよう願ってきました。師父の法を聞く前は半信半疑でした。他の気功師は1回の講義で数百元の講習料を取っているのに、これは10回で50元(2回以上の参加者は学員証を持っていれば25元)しか取っていませんでした。午前の報告会を聞いているうちに、李先生こそ私がずっと探していた明師であることを堅く信じました。「党文化」に毒害されて佛道神のことについてあまりよく分かりませんでしたが、師父の話は絶対に正しいことだと私は信じ、師父に従って生涯修煉していくことを決意しました。鄭州の講習班で、師父は「昔は講習料を取っていませんでしたが、会場を借りることや、他のいろいろなことのため講習料を取っています。それでも他に比べると講習料は一番安いのです。」と言われました。

 法を聞くときは非常に良い感じでした。午前中にあった質問、例えば「執着心を取り除けば、どうやって勉強するのか?」「お寺や深い奥山に行かなくでも修煉できるのか?」などの質問には、師父が夜の講法ですべて講じられましたので、当時はまるで師父は私1人を対象として講法されているように感じました。師父が「走火入魔」について講じられている時、頭のてっぺんに「厚い気の帽子」をかぶっているかのように感じました。「周天」についてお話しされている時、会場に向かって行くと、飛んでいるかのように感じられたので、ずっと走っていました。

 6月12日、試験が終ると私はすぐ鄭州に行きました。電車を降りると、もともと晴れていた天気が、10分も経たないうちに、急に雲がいっぱいになり、強風が吹き始め、雹まざりの雨が降ってきました。約20分後、雨が急にやみ、天気もすぐに晴れてきました。私はおかしいと思いました。功友の話によれば、魔が来て妨害したので、師父は講法を暫く止められて、机の上で座禅をして手印を行われたそうです。

 ある日、講法が終ろうとするとき、師父に近くに座っていた学習者の1人が、師父の前でひざまずいて3回額突きました。師父はこのことについて法を説き、このようにしないよう学習者に教え、最後は「私は何も要りません、あなたの心だけがほしいのです」と言われたので、多くの学習者が感動して涙を流しました。このことを書きながら、私の目にも涙がいっぱいになってきました。

 師父の優しさはわれわれが感じられることです。「人間の事を操り盡し 天上の苦に心を勞 言有りて訴うるは誰 高處に在って更に寒し」(「高処不勝寒」『洪吟』より)。この詩から師父のわれわれに対する優しさと、われわれを済度する苦しさが分かります。最後の時期にあたって、われわれは共に勇猛に精進し、われわれの道を正しく歩み、師父の立派な弟子になりましょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/14/112385.html