日本明慧


師を信じ 法を信じ、修煉の道は歩けば歩くほど広くなる

 文/江西大法弟子

 【明慧ネット2005年10月29日】私は三つのことをよく行うように努力する中で、師父がおっしゃったすべての言葉が本当に真理であることを体験することができました。師父の要求通りに行い、本当に師を信じ、法を信じれば、我々の修煉の道は歩けば歩くほど広くなり、環境もよくなります。

 邪悪の厳しい迫害の期間中、私は落ち着いて法を学ぶことができず、人心をもって真相を説明し、大法の仕事をして、師父の説法の法理が分からず、結局邪悪に隙をつかれ、迫害を受けました。師父が『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』の中で次のように言われました。「皆さんはいつも大法からの恩恵を人類社会に与えるための恩恵だと思っており、魔難の中で、宇宙の中の邪悪生命が悪人を利用して大法弟子に加えた迫害を人為的なものだと思っていました」。

 現在、師父が慈悲をもって見守ってくださっている中で、私は絶えず自分に対して厳しく要求し、精進の中で師父は絶えず私を悟らせ、私の根本的な執着を気づかせてくださいました。私は本当に大法の中で修煉しています。

 私が初めて大法の真相資料を配りに出かけた時、人家から犬の声が聞こえてきて、動悸がとまらず、人に見つかるのを恐れました。最初は行ったり来たりして、なかなか配れませんでした。しかし、私はすぐに「配るのを恐れる」とか「怖い」のは私ではないことに気づきました。私は法を正す時期の大法弟子で、師父は私に衆生を済度するために来させたのであって、師父の弟子になるには必ず師父のおっしゃることを聞かなければなりません。師父はこう説かれました、「衆生を救い済度することこそ、皆さんがやって来た時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります」(『人心を放下し、世の人々を救い済度する』)。このように師父の加護の中で、心を落ち着かせて真相資料を配りました。

 それ以降、日々真相を説明する中で、私は師父の法に従い、正しい念で正しく行動し、種々の方法で衆生を済度しています。もしその日の真相資料配りが順調ならば、明らかに自分がその日、一日落ち着いて法を勉強し、念が正しく、心の状態が正しいためだとわかります。時々、念が正しくなく、法に沿っていなければ、いろいろな問題が起こります。ある時、ある同修が検察院周辺に真相資料を配りに行こうと提案しました。私の念が正しくなく、公安の仕事をする人、本人を邪悪とみなして、行かないと答えました。私には人為的に迫害を招くような念があり、翌日、610オフィスが私の家に来て、真相資料を配ってはならないと言いました。私は自分に慈悲心が足りないことに気づきました。

 師父がなぜ我々に三つのことをしっかりやるように要求されたのかを悟りました。我々に「無私、無我、他人を先、自分が後の正覚」を修めさせるためだと思います。この過程の中で人のさまざまな執着心を取り除きます。この三つのことを行う過程の中で、私は自分の多くの人心を発見でき、人の理を一つ一つ取り除きました。とくに同修の向上にこだわり、同修の執着心に直面したとき、執着心をもって師父の法を口実にしていたのです。今、師父の『無阻』の中から法理が分かり、執着しなくなりましたが、本当に師父の三つのことの要求に照らして行えば、旧勢力のすべてを否定することになり、邪悪要素が自滅し、修煉環境がよくなり、修煉すればするほど楽になり、師を信じ、法を信じれば、修煉の道が自然と広くなります。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/29/113385.html