3.5テレビ放送(法輪功の真相に差し替え)に関わった大法弟子・雷明さんが迫害により半身不随に(写真)
文/中国大陸大法弟子
【明慧ネット2005年10月28日】大法弟子・雷明さん(男性、30歳)は、吉林省白山市出身で、多くの騙された人々に法輪功の真相を説明するため、2002年3月5日、他の大法弟子と協力して、長春市のテレビ放送に入り込み、法輪功の真相ビデオを流した。その後、彼は警察に逮捕され、江沢民集団の「許さず、殺せ」という密命で、多くの残酷な酷刑で迫害された。雷明さんは長春市中級偽法廷で不法に17年の刑を言い渡されて、吉林監獄に連行され、2年以上も各種の酷刑を受け、危篤状態になった。2004年に仮放免されたが、すでに体が不自由になり、筋肉が萎縮し、歩くことができず、自分で生活することができなくなった。
雷明さんは吉林監獄で2年1ヶ月の間、一部の大法弟子が迫害された状況を目撃した。例えば、張宏偉さんは厳密監禁チームに「固定」(酷刑の一種)の刑を60日間受けた。その後、厳密監禁チームの小部屋に2年間監禁された。チョウ(刀)樹軍さん、王鳳才さんも小部屋でそれぞれ1ヶ月と半月の固定の刑を受けた。彼らを監視している犯人達は2.5キロのペットボトルに熱湯を入れて、チョウさんと王さんのお腹にかけたので、チョウさんと王さんのお腹が腫れてしまった。さらに劉兆健さんは、監獄が大法を中傷することに対して断食で抗議したとき、厳密監禁チームに食事を無理やり注入され、その後、食事に多くの塩を入れられ水を飲まなければならないほどであった。劉さんは15日の固定の刑を受け、11ヶ月間、床に強制して座らせ続ける刑を受けた。
*長春市公安局で酷刑を受けた
2003年3月15日、雷明さんはテレビ放送に入り込んだため、警察と悪人によって長春市清明街派出所に誘拐された。警察たちはまず雷明さんの身体検査をして、雷さんの持っていたわずかなお金、200元を奪った。当時、雷明さんは後ろ手に手錠をかけられて地面に座らせられた。1時間が過ぎて、長春市公安局から多くの警察が来て、2人が雷さんを連れて出た。ドアまで来ると、派出所の外は人がたくさん集まり、多くの人がマイクとビデオカメラを抱えて、雷さんを取材しようとしたが、警察は人々を押しのけて、取材を許さなかった。
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長春市清明街派出所 |
長春市公安局 |
警察は雷明さんを車に乗せて、長春市公安局まで連れて行った。さらに雷さんを6階のある部屋につれていき、「老虎椅」に縛った。「老虎椅」は普通の椅子より高く、人に抱えられて初めて座れるが、座ると両足が地面から離れるもので、両足をその椅子の足に固定された。鉄の棒でお腹を抑えられ、手すりの内側の穴に入れてロックされた。両手を椅子の後ろに回され、手錠をかけられた。ある警官が電気棒で雷さんの首の後ろに何度も電撃を加えた。
このとき、数人の悪徳警官が入ってくると、雷さんを「老虎椅」からおろして、彼にアイマスクをかけた。そして、警官は雷さんをビルの下の車に押し込んだ(雷さんは誘拐されたとき靴が脱げて裸足になり、ベルトを警官に奪われ、ズボンが半分おちてしまった)。車に入ると、多くのパトカーのサイレンが聞こえており、どこに連れて行かれるか彼には分からなかった。車は30分くらい走って止まり、警官は雷明さんのアイマスクをとった。このとき夜の9時か10時で、朦朧とした中でビルが見え、まわりは壁ばかりで、鉄のドアが閉められた。
警官は雷さんをぐっと引っ張って下車させ、ある部屋に入れた。部屋の中には、「老虎椅」、電気棒、ビニール袋、大きな鉄の樽、電気鍋などなど、部屋の内装かはらホテルの一室のようだが、少し古く、暖房もなく、ずっと以前に廃業した様子だ。警官が雷さんを「老虎椅」に縛って、紐で雷さんの両足を縛り、お腹を鉄の棒で押さえてベルとで縛った。腕を極度まで伸ばすなど、手錠、椅子などの道具を利用して人間の肉体の最も敏感な部分を長時間刺激させ、一時的な痛みではなく、常に痛められている状態に置くようにされた。手錠の鉄かせが腕の骨にあたって、腕の筋も引き伸ばされ、雷さんは想像を絶するほどの痛みを味わった。雷さんが全身の力で反抗したためできなかったが、ある警官が足で手錠を力いっぱい蹴り、ようやくベルトを極限まで固定した。雷さんは痛みで気を失うところだった。全身汗びっしょりで、動くことさえできなかった。
警官は雷さんを固定した後、疲れてしばらく動けなかった。部屋が寒いので、電気鍋を使い休憩しながら雑談をした。ある高という名の警察課長が師父を中傷したとき、雷さんの痛みは消えていなかったが、大声で警官を制止した。警官が怒って、気が狂ったように雷さんに駆け寄って、疲れるまで顔を何度も殴った。さらに2人の警官が電気棒をもってきて、雷さんの上着を剥いで胸と首を出し、さらに雷さんのズボンを下ろして、性器と太ももを出した。そして二人の警官が同時に雷さんの首、口、太もも、胸、性器、肛門を電撃した。雷明さんは苦しくて悲鳴をあげた。電気棒の電気を全部使い果たすと、警官は電気棒を充電した。
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2002年3月、雷明さんが長春市公安局悪徳警官から受けた酷刑の傷跡
この写真は2年後、雷明さんが出獄してから撮影されたものである |
このとき、二人の警官が交代で、ビニール袋を雷さんの頭にかぶせ、まったく空気が入らないようにし、窒息寸前に、突然ビニールを開けて、雷明さんが呼吸したとたん、またビニールをかぶせる。このような繰り返しのリンチを加え、電気棒が充電し終わると、別の警官に交代した。警官はこれでも足りないと思い、マイナスのドライバーを電気鍋で加熱して、雷さんの首に当て、雷さんの皮が剥けてしまった。
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この写真の中の雷明さんの首の傷跡は、長春公安局警察が赤く加熱したドライバーを当て、さらに電気棒で電気ショックを与えてできた。写真は2年後雷さんが監獄から出て撮影されたものである |
雷明さんは歯を食いしばって苦痛に耐えた。警官はさらに電気棒で雷さんのけがをした所を電撃し、水を首から流した。生きていることは死ぬよりつらいと感じるほどで、苦痛がエスカレートし、部屋全体が恐怖の雰囲気に満ちた。この間、警官はさらに鉄の樽を雷さんの頭にかぶせ、鉄棒で樽を叩き、雷さんの耳がまったく聞こえなくなるほど響かせた。
警官はさらに棍棒の一方を雷さんの肛門に挿して、もう一方をいすの横軸に挿して、電気棒で肛門を電撃したので、雷明さんは非常に苦しんだ。
約4〜5時間過ぎて、雷明さんの腕、骨が苦痛になり、汗が流れて、服が濡れてしまった。雷明さんは手を上に伸ばし、ようやくベルトをひきちぎった。警官がもう一度縛ろうとしたがなかなかできなかった。ある警官が雷さんの後ろにある両手を掴み、上に向かってあげた。雷さんの胸と太ももが一緒になって、お腹は鉄の棒で固定されているので痛く、この姿勢が5分間も続けられた。警官はさらに一本の紐を探し出して、紐で雷さんを固定しようとしたが、なかなかしっかりと固定できず、しかたなく、警官は手錠をあけて、手すりにかけようとした。両手が強制的に伸ばされ、雷さんの右の腕が脱臼し、右腕は黒紫色になり、ゆすられて、両手が饅頭のように脹れ、指は2〜3倍の太さになった。
このように、警官は休むことなく雷さんを一晩中迫害した。ようやく警官が疲れきって、二人を残して他の人は眠った。雷さんを監視する警官も知らず知らずのうちに寝た。雷明さんは逃げようと考えた。まず左手に力を込め手すりから手錠をはずした。しかし右手はどうしても開けられなかった、右手が脱臼して、まったく力が入らなかった。雷さんは左手を使って右手の手錠をこじ開け、ようやく右手も自由になった。続いて、雷さんが足を高くして、両手で足の紐に触れて、粗い紐を解いた。しかし細い紐はきつく縛ってあり、まして雷さんの指は2〜3倍も太くなっているので、解けなかった。また、足の前の鉄棒は動かないように固定されたままである…。警官は目を覚まし、雷さんの手錠が外れているのを見て、またリンチを加えた。
雷さんはそこに2日いたが、その後警官が彼をあるホテルにつれていき、「老虎椅」でずっと縛った。ホテルでまた2日過ごした。雷明さんは鉄の「老虎椅」の上で4昼夜過ごすなど、警官は彼に対していろいろな酷刑を施して、彼を鉄北看守所に送った。
看守所でまず服をぬいで検査を受けるが、看守所の警察が雷明さんの全身の怪我を見て、すぐに受け入れを拒否しようとしたが、長春市公安局の警察が彼らになにかを話して、やっと受け入れに同意した。監獄でまず入浴と理髪をするが、雷明さんが服をぬいで全身の傷をさらしたとき、監獄中の囚人は皆驚いた。ある人は口をゆがめ、ある人は見るに堪えなかった。雷さんには全身電撃の焦げ跡と首の焼け跡、全身の傷、腕と足の迫害によりできた傷跡があり、見るに堪えなかった。監獄の頭目が言った。「昔は、法輪功がこれほどひどく迫害されているとは信じられなかったが、今日は本当に信じた。もう共産党もそろそろ終わりだな。」
雷明さんに対する暴行犯罪人は、劉会斌、江涛、高杭、姜波、高姓の課長らである。
*雷明さんら15人が長春市偽法廷に不法に審判された
雷明さんが看守所で不法に6ヶ月間監禁されてから、長春市偽中級法廷が3月5日にテレビ放送した大法弟子を審判した。2002年9月18日、長春市看守所に監禁されている11名の男性大法弟子が、一人に2人の警官がついて強制的にバスに送り込まれ、残りの2つのバスに完全武装した警官が乗っており、数台のパトカーが先導した。長春市中級法廷には、さらに長春第三看守所から移送されてきた4人の女性大法弟子がいた。ここで2人の警察で1人の大法弟子をかかえ、15人の大法弟子が法廷に入った。
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長春市地方裁判所 |
前を歩いている大法弟子が法廷に入ったとたん、「法輪大法は素晴らしい」と叫び、後ろの大法弟子も続いて「法輪大法は素晴らしい」と言った。法廷には300人が座っていて、警察は慌てて大法弟子を外に追い出した。そして大法弟子を1人ずつ教訓室のような部屋に連れて行った。部屋に3人の警官がいて、それぞれ高圧電気棒をもって、もう二度と「法輪大法は素晴らしい」と言わない、と言うまで手を止めなかった。もう一度法廷に入ったとき、一部の大法弟子がまた「法輪大法は素晴らしい」と言ったので、彼らはまた大法弟子を連れ出して、教訓室で迫害を続けた。
3回目のとき、警官は大法弟子の口を塞いだ。裁判では、大法弟子の弁護権が完全に奪われ、弁護しようとしたとたん、マイクが奪われた。裁判はただの見せかけだった。裁判が終わったとき、大法弟子がまた1人ずつある部屋に連れて行かれて、書類上に母印を押すことを強制された。大法弟子が協力しないと、彼らは大法弟子の手を掴んで押して、終わった書類を大法弟子のポケットに入れて、警官が抱えて連れ出した。15人全員が強制的に捺印させられてから、また看守所に送り返された。
2002年9月20日、本来ならもう一度開廷するはずだが、偽法院は大法弟子が「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶのを恐れて、彼らは直接不法な判決書を看守所に送った。15人の大法弟子が判決を不服とし、10月20日吉林省高級人民法院に上訴した。裁判長は元判決を認め、さらにこれを最終判決と裁定した。大法弟子はまた騙されたと分かった。上訴するチャンスは、もはやない。法律機関が完全に江沢民集団の道具になった。
*雷明さんが吉林監獄で受けた各種の酷刑迫害
2002年10月25日、雷明さんなど11人の男性大法弟子は吉林監獄に移され、それぞれ11カ所の監視区に送られた。雷明さんは第4監視区に入れられた。部屋では、犯人が強制的に雷さんの身体検査を行い、さらに雷さんを床に座らせ、両足を伸ばし、腰をまっすぐさせ、両手をひざに置かせた。少しでも動けば、すぐに暴行を加えた。雷明はある囚人に手で頭の後ろを叩かれた。昼食のためか、彼らはこれ以上雷さんに暴行を加えなかった。
昼食の後、ある囚人が雷明さんを廊下に呼び出して、法輪功の修煉を放棄する保証書を書くように迫ったが、雷さんが拒否すると、犯人は雷さんを恐喝した。雷さんの意志が堅いとみて、雷さんを部屋に戻して、もう1人の囚人とともに雷さんの左右に座り、雷さんの両目を殴り、彼を殴り倒した。
雷さんがゆっくり起きると、彼らはまた雷さんを倒した。このように絶えず殴り、さらに竹板のような箒で雷さんの額を叩いた。それでも目的を達成できないとみて、彼らはさらに2人呼んで、雷さんを床に押し付けて、2人が足を抑え、1人が両手を抑え、残りの1人が雷さんのズボンを下ろして、手で雷さんの性器を引っ張った。雷さんは痛みで気を失うところだった。雷さんが死に物狂いで耐え、叫んだが、彼らは雷さんの口を塞ごうとした。雷さんはようやく抜け出した。このとき、ある囚人がベッド用の鉄かせを持ってきて、雷さんをベッドに固定しようとした。
彼らの迫害がだんだんエスカレートしていることが雷さんにようやく分かった。ある囚人は雷さんに3時間の考える時間を与えると言った。別の囚人は30分と言った。雷さんは、死んでも妥協しないと思った。トイレから戻って、雷さんはふいに頭を壁にぶつけてしまった。即時に倒れて、頭に穴があき、流血した。4人の囚人はそれでも止めず、雷さんに暴行を加えた。
(注:同修たちは、どんなときも自分の体を大切にしてください。絶対に自殺や自分で体を傷つけないでください。もちろん、雷明さんの当時の行動は邪悪の迫害によるもので、雷明さんを迫害した悪人は必ず法律の制裁と天理の懲罰を受けるだろう。)
そして、警官が来て、雷さんを迫害する2人の囚人と一緒に雷さんを監獄医院に連れて行き、頭を数針縫い、監獄厳密管制隊に送った。
警官は囚人に指示して、雷さんを伸ばしてベッドに押さえつけ、鉄かせで雷さんの足を固定して、さらに4〜5人で雷さんの両手を押さえ、ベッドに極限まで伸ばしてから、鉄かせで固定した。雷さんの手足が腫れて、汗びっしょりになって、やっとそのとき少し緩めた。ベッドの上で毎日、雷さんは囚人に食事を与えられ、小便は囚人が捨て、毎日夜に一回の大便に行くことができるのみで、基本的に体は全く動けず寝ていた。2日過ぎて体が痛くなり、骨に蟻が動いているようで、腕の脈が動けば、心臓もそれに伴って痛くなり、本当に生きているよりも死んだほうがましなほどだった。悪人の目的は雷明さんに修煉を放棄するための保証書を書かせるためであった。三日目、からだの苦痛が極限になり、このような状態で自分の意志に背いて保証書を書いた。邪悪が目的を達成したとき、彼らは雷さんを伸ばしベッドから下ろして、今度は自由ではなく、体罰で床に座らせ続けた。悪人たちが雷さんに床に座らせ、両足をあぐら座で、腰をまっすぐにさせ、両手はひざの上で、少しでも動けば、暴行を受けた。朝5時から夜7時30分まで座った姿勢を続けさせられた。長時間の座り込みで、雷さんの臀部の皮膚が破れ、腫れて、出血し、たこができてしまった。
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雷明さんは吉林監獄で長時間座らせられ、臀部の肉が壊死してできたたこ |
吉林監獄の迫害で残った傷跡 |
最初の1ヶ月間の体罰期間中、第4区の警察幹部が絶えず雷さんに、どう思っているのか聞いた。雷さんが保証書は強迫で書かされたもので、無効を声明したいと言うと、それを聞いたとたん、「釈放しようかと思っていたが、釈放できない」と言い、彼らは1か月、1ヶ月と期間を延ばし、雷さんは4ヶ月座り続けてからやっと元の部屋に戻された。
第4区に戻って、不法人員が引き続き雷さんに座り続けることを強要した。朝6時から夜7時30分まで、食事とトイレ以外ずっと続いた。長時間の体罰のため、雷さんの足の筋肉が萎縮し始め、朝は顔を洗うのに水をすくうのも一苦労で、両足に力が入らず、それでも彼らは雷さんに体罰を加え続けた。あるとき、教育課が強制的に大法弟子にいわゆる「心理テスト」を行った。雷さんは自分の厳正な声明(一度修煉を放棄した保証書を破棄し、再び修煉の道に戻ることを宣言する声明)をまだ書いてないのを思い出し、回答の後ろに厳正な声明を書いた。こうして声明が監獄教育課に送られた。翌日教育課から第4区に電話がかかってきて、悪警官が雷さんと話しに来た。雷さんが声明を書いた理由を警官に教えると、最後に彼らは何も話さなかった。
あるとき、雷さんとほかの大法弟子が座り続けることを強要されていたとき、話しているところを囚人に発見され、囚人は彼らを蹴った。彼らは囚人に「なぜ蹴るのですか?」と聞いた。このときさらに2人の囚人が来て、2人は雷さんをはさんで、1人が拳で雷さんの顔を何度か殴り、雷さんの顔がすぐに腫れた。
雷さんが第4区で3ヶ月近く拷問を受けた時、雷さんの心拍が急に早くなり、座ることもできなかった。囚人が彼を病院に連れて行った。心拍を測定すると1分間に100以上だったが、警官が雷さんを連れ戻し、2人の囚人に向かって、「おまえたちが雷さんを座らせないなら、おまえたちの責任で、彼自身が座らないなら彼の問題だ」と言った。明らかに警官は囚人に雷さんを座らせようとしていたが、雷さんは拒否した。2人は雷さんに強要しようとしたが、雷さんが断固反対したため、最後に彼らはしかたなく帰っていった。このようにして、雷さんはあの邪悪な環境から離れることができた。厳密管制隊から第4区まで、雷さんは7ヶ月間近くも迫害を受けたため、雷さんは極度に衰弱し、ずっと部屋にいた。
2003年9月、雷さんはほかの大法弟子と一緒に、正念で邪悪の迫害に反対すべきだと悟った。彼らは断食によってそこから脱出しようとした。そして、いろいろな方法でこの考えを全監獄の大法弟子に教えた。10月1日、警官も衆人も休みに入り、監獄の2〜3階では囚人が運動したり、遊んだりする場所があり、囚人は自由に申し込むことができるが、大法弟子は歩くことさえ禁止された。雷さんは、彼らが気をそらしているすきに2階に上がり、劉成軍(すでに迫害により死亡)を見つけて、第4区の大法弟子の考えを彼らに伝えた、全監獄のすべての大法弟子が断食で監獄の大法弟子への迫害に抗議することを計画した。劉さんもこの考えに賛成した。10月1日が過ぎて、10日前後になり、劉さんがすでに何日も断食しているのを聞いて、全監獄の大法弟子が続々と断食を始め、労役に出なくなった。監獄の警官が驚いて、すぐに対策を練るために会議を開いた。会議が終わって、大法弟子が互いに連絡することを恐れて、警官は3階のビル全体を封鎖した。さらに囚人を使ってうわさを流した。「ほかの区の大法弟子も、食べ始めている。一部が厳密管制隊に送られて強制的に食事を注入されている」と……監獄の残酷な迫害と厳密な情報封鎖により、一部の大法弟子が強制され、断食を放棄した。
2004年2月のある日、2人の警官と1人の犯人が部屋に押し入り、部屋の中の人を並ばせ強制的に身体捜査を始めた。彼らは、雷さんともう1人の大法弟子から『転法輪』の第一章と第三章の縮小印刷したものを探し出して、誰のものかと聞いた。雷さんは自分のものだと答えた。どこから持ってきたのかと聞かれ、雷さんが正念で抵抗し、警官は最後に何も聞かなかった。そして全員を廊下で待つように命令して、2人の警官が部屋を荒らした。最後に大法弟子・王宏革さんの道具箱から手書きの『洪吟』を探し出した。2人の警察がオフィスに戻って相談してから、4人の犯罪人を連れて、雷さんと王さん1人を小部屋、1人を厳密管制隊に送った。雷さんは厳密管制隊に送られて体罰を受け、王さんは小部屋に1週間監禁され、四平監獄に移された。
前回の拷問で足が治っていなかったので、今回の体罰で雷さんの体はさらに弱まった。トイレに行くとき、両手で壁を支えてやっと歩けるほどだった。雷さんが厳密管制隊にいる間、教育課の警察・李永生、タン富華、王元春らが何度も雷さんに、『転法輪』をどこで入手したかを聞いた。雷さんはずっと正念で抵抗した。この期間中、第4区の警察も何度か雷さんに、大法資料をまわさないように保証書を書けば元に戻れると言った。雷さんが彼らの条件を拒否すると、彼らは雷さんに厳密監視の切符をきった。時間になったら、彼らはまた来て、保証書を書くように強要した。雷さんが拒否すると、彼らはさらに2ヶ月の厳密管制を伸ばした。この期間中、雷さんの身体の状況が急激に悪化し、警察が彼を病院で検査した。心拍は1分間150、血圧が180で貧血、それでも彼らは雷さんを放さなかった。後10日で厳密管制期間が終了するところまできたとき、雷さんの体重が50キロから30キロに減り、顔が変形した。囚人は責任を負うのを恐れて、警察に電話した。警官が雷さんと話をし、雷さんがもう立てないのをみて、椅子に座らせ、偽善的に言った。「こうしよう、彼(警察がつれてきた囚人)に、あなたのために保証書を書かせ、その中で大法について一言もいわず、ただ対処するというだけで、あなたを戻すことができる」。雷さんはそのとき、どうせ大法に言及しないのなら書いてもいいかと思った。その日の午後、彼らは雷さんへの厳密管制を解き、雷さんはもう遠くは歩けないので、囚人が彼を背負って宿舎に戻った。
宿舎に帰って雷さんは、いかなる保証も書いてはいけない、書けば邪悪への妥協を意味すると分かった。雷さんが厳密管制隊から戻ったときはすでに7月で、体が衰弱し、毎日トイレに行くとき2人の協力が必要になり、自力で生活することができなくなっていた。労役に出ないほかの大法弟子が彼の面倒を見た。雷明さんは厳密管制隊にいたとき、すでに省の610オフィスが吉林監獄で洗脳施設を通して強制的な転向政策を実施していたことを知っていた。第四監視区の警察は彼の名前をも洗脳施設に送ったが、雷明さんを強制的に転向するようなことはしなかった。悪人たちの洗脳手段として、朝6時から大法弟子を呼び出して、夜12時まで帰さない、洗脳されるまでこれを続ける。吉林省610オフィスは1ヶ月経って去った後、吉林監獄教育課も強制洗脳による転向を行うことをした。彼らを2班にわけて、一班は悪徳警察・李永生と3人のユダで強制洗脳を行い、彼らはまず学習者に保証書を書かせ、書かなければ書くまで厳密管制隊で拷問し続ける。大法弟子・王倹さん、劉歌軍さんはベッドで体を引き伸ばされ、保証書を書いた。もう一班は教育課警察・王元春で、彼は長春で半年間、集中的に転向の「経験」を学んで、吉林省610オフィスと邪に悟った人を指図して強制洗脳を行った。洗脳された人たちは、あるオフィスに閉じ込められ、不法人員は彼らが後悔する(目を覚ます)のを恐れ、彼らにカラオケを歌わせ彼らの意思を消耗させようとした。
10月になって、雷さんは嘔吐と下痢をし始め、1ヶ月経っても治らなかった。11月になり、雷さんがある晩トイレに行くとき、夜勤の囚人が彼を支えて、ドアまで戻る前に呼吸が困難になり、少し休憩して、さらに歩いた。ドアの近くでまた呼吸が困難になり、2人の囚人が彼をベッドに横にした。翌日第4区の警察が監獄医院で検査をした結果、雷さんは非常に重い肺結核にかかっており、監獄医院に2日おり、その後長春公安医院に移された。長春公安医院でさらに4日、その後吉林鉄道医院に移され、15日目になって病状が重くなり、監獄はようやく彼に重病のための一時出所を認めた。
雷明さんは背負われて監獄から家に着いた。長期間の迫害で、30歳の雷さんは両足が不自由になり、歩くことができず、自分ひとりで何もできなくなっている。
吉林監獄の大法と大法弟子迫害の犯行は、挙げきれぬほど多い。雷明さんのような残酷な迫害は中国共産党が吉林監獄で行った大法弟子に対する迫害の氷山の一角に過ぎない。吉林監獄はいまなお囚人に指示して各種の酷刑、拷問、精神迫害で大法弟子を迫害している。しかし彼らは極力偽装し、自らの犯罪事実を覆い隠しているのである。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/28/113312.html)
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