人心をもって神の道は歩めない
文/ロサンゼルスの大法弟子
【明慧ネット2005年11月11日】師父は新経文『成熟』の中で「大法弟子の修煉形式はほかでもなく、常人の中で修煉し、常人の中で法を実証し、衆生を救い済度し、迫害に反対することです」と言われました。
振り返ってみると、修煉を始めて10数年が経ちました。いろいろな挫折や魔難、試練を体験しましたが、ご存知のとおり、師父がいて、大法があって私達を指導し、見守ってこそ私達は神への道を歩けるのです。
師父は『転法輪』の中でこうおっしゃいました。「それに対し、あなたが修煉者となるにはすべてが自らの心を修めることにかかっていて、すべて自らの悟りにかかっているのですから、手本などはありません」振り返ってみると、自分は修煉の道に入ってどうなっているのでしょうか?
*常人の中でどんな心で自分を修煉するのか?
1995年に大法を得たとき、業を滅することや、歓喜心、不二法門、主意識を強く持つべきなど、大法の中の言葉がすべて自分に対して言われているようでした。
初めて業を滅したときの体験は、ある晩突然頭がまったく動かなくて、痛くて仕方ありませんでした。一晩に3回病院に行こうと思い、ガンが転移したのかと思いました。幸い夫も修煉者で、私に指摘してくれました。「これは師父が根本からあなたのために業を滅しています」。
翌日私は起きて動功をしました。まだ終わらないうちに頭が自由に動くようになりました。歓喜心が出て、「私達は仲がいいから貸してあげる、ほかの人には貸さないよ」と言って師父の写真を近所の人に貸しました。私は師父に対して大変不敬なことをしたと、後で法を学んで自分が間違ったことに気づき、すぐ近所の人に説明し、師父の写真を返してもらいました。
ある日書店で常人が出版した『釈迦牟尼伝』を見ました。仏教はどうやって釈迦牟尼を紹介しているのかと思い、この本を開きました。数行読んだだけで突然めまいがし、気持ちが悪くなり、全身寒気がしました。仕方なく本を閉じて、椅子に座っていると冷や汗が出できました。後になって悟りましたが、修煉は不二法門であり、師父が私を汚染させないために私を保護してくれました。なぜなら大法修煉は厳粛です。主意識が強くないため、ある日突然頭にある考えが浮かびました。「あなたは全身が罪に満ちている、あなたはいくら修煉しても円満できない、あなたは修煉できない」。この日はたまたま集団で法を勉強する時間で、みんなが私を囲んで『転法輪』の中の「主意識を強く持つべし」の一節を読みました。これらを振り返ってみると、すべて師父が見守ってくれており、すべて師父の心血と指導が満ちているのです。
*常人の中で大法を証明し、古人の例がなく模範がない
1999年7月20日、法輪功への迫害が始まってから今日まで振り返ってみると、確かに自分の大法への認識と堅い信念に対して試練を受けました。1999年7月20日に中国共産党が師父を中傷し、大法を攻撃するテレビ番組を見て、心が悲しみと憤りに満ちました。同修を励まし、師父を信じ、大法を信じる考えが心から出てきました。翌日、私が夫と一緒に、悲しみと憤りいっぱいで各同修の家を訪ね、彼らに共産党の陰謀と悪意を認識させ、互いに激励してすぐに法を学ぶチームを組み、資料を配り真相を説明するチームを組み、さらにタイムリーに交流会を開きました。当時はただ是非を弁明し、潔白を求め、邪悪を暴露し衆生を済度することが大法弟子の責任ということをまったく知りませんでした。発表された師父の新経文と法を深く勉強し、法理上でこの迫害を認識し、徹底的に邪悪を暴露し、衆生を済度することが大法弟子の重大な責任であり偉大な使命だということが分かりました。
師父は、「執着心を持って法を勉強するのは真の修煉ではない」(『圓満成就に向って』)と言われました。
師父は、「宇宙の真理に対する確固として粉砕されることのない正念は、善良な大法弟子の磐石なる金剛の身体を構成しているが、すべての邪悪はこれに驚き恐れ、放たれた真理の光はあらゆる生命の正しくない思考要素を解体する」(『円満成就に向って』)
とも言われました。
どうやって世の中で磐石なる基礎を築き、大法の真実の現れを人間界で確立させるかということが、私の修煉の道だと悟りました。
私達が拘留所にいたとき、私も夫もいつも自分が大法弟子で、大法に泥を塗るわけにはいかず、私達は犯人ではない、私達はここにきて法を広めるにきた、潔白を求めにきたと思っていました。たとえ24時間監視されていても、まったく自由がない環境の中でも、すべてのチャンスを利用して大法のすばらしさと真、善、忍の偉大を伝え、8人が監獄を出たら法輪功を学びたいと表明しました。私達が釈放される途中も善なる心をもって警察に大法のすばらしさを伝え、彼に大法の威厳を伝えると、彼はその場で『転法輪』を読みたいと言ったのです。
*衆生を済度し、迫害に反対し、一刻も猶予できない
修煉環境の変化により、私達は国外に来ました。言葉や交通などの現実的な問題が70歳近いわれわれにとっては大きな困難となりました。
師父は『理性』の中で「理性をもって大法を証明し、智慧をもって真相を伝え、慈悲をもって法を広げ、人々を救い済度する、これすなわち覚者の威徳を築き上げているのである」と言われました。
私と夫は、口があっても話せない、足があってもどこにもいけない現実に非常に苦しくて焦りました。私達は監獄から出て自由がありますが、このような状況に対して、たとえ難しくても立ち向かうべきと思いました。そして、私達が自分で手を動かし、新聞を切り取って、字を書いて、数枚の看板を作って、体にかけて街に出ました。毎日そこで資料を配り真相を説明し、何度も縁のある人が立ち止まって私達に質問しましたが、言葉が分からなくて何も話せませんでした。これではいけないと思い、私達はゆっくりですが英語を勉強し始めました。徐々に簡単な単語で西洋人に真相を伝えることができ、何度も西洋人が感動して涙を流す場面がありました。
私はいま簡単な英語、日本語、スペイン語、広東語、上海語、福建語などで縁のある人に真相を説明することが平気できるようになり、これですべてのチャンスを掴んで衆生を済度できます。交通に関しても、他の修煉者の手伝いでバスに乗ることができるだけでなく、私は車の運転もできます。私達の心の中に法があり、一つの言葉があります。「衆生を済度し、迫害に反対し、一刻も猶予できない」。私達は町で、空港で、駅で、大使館前で、世の中の人に資料を配り、真相を説明しました。特に、『九評共産党』を配り、共産党からの脱退を勧めました。毎回なるべく多くの資料を持ち、なるべく遠く、なるべく多くの人に真相を説明し、資料を配りながら、共産党の脱退を勧め、私達の勧めで現在80人を超える人が共産党のすべての組織からの脱退を表明しました。さらに一部の人がまだ考えている段階です。
師父が『道』の中で「そのたびごとの向上は、すなわち自らが証明し悟った果位を一段と高めていることなのである」と言われました。
師父は私達に大法を教えただけではなく、正念を発するという宝を預かりました。あるとき空港に大陸から多くの青少年が来ました。彼らは私達の看板を見て「あなたたちは本当に中国人ですか?」と、若い声と憎しみに満ちた眼差しで私達を責めました。
さらに、ある女の子が私の手から真相資料を奪って粉々に引き裂きました。私はこれを見て心が痛み、彼女に「新聞を破らないでください、知識人は礼儀と文明を重視しなければなりません」と言いながら、正念を発し大法を破壊する邪悪を消滅した。しばらくして、彼らの教師が来て「子供が小さいので物事をわきまえていなくて・・・」と謝ってきたのです。共産党は本当に邪悪で、こんなに小さい子供も命を奪われる塵を被っています。あなた達は本当に真相を知らなければなりません!
このような衆生がどのくらいいるのか想像してください。衆生を済度し、迫害に反対することは一刻の猶予もありません。
「一人の大法弟子が歩む道は、一つの光輝く歴史にほかならず、この部分の歴史は自ら証明し悟ったことで切り開くものに相違ないのである」(『道』)。これは師父の私達への期待だと悟りました。
師父の教えをしっかり覚えて歩き出しましょう。人心をもっていては神の道を歩むことはできないと深く悟りました。私達も師父の指導によって徐々に成熟していきましょう。
以上は私の浅い悟りで、師父の私達の要求に比べてはるかに及びません。他の同修と比べるべくもなく、不足があれば、善の心をもって指摘をお願いします。
(サンフランシスコ法輪大法修煉体験交流会の交流稿)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/11/114250.html)
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