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山東文登市の于正紅さん、韓玉生さんは「610」に迫害され死亡

 【明慧ネット2005年11月20日】山東文登市宋村鎮寺前村大法弟子の于正紅さんは、2005年9月27日、向洪平など610オフィスの不法人員に連行された。15日間絶食して迫害に抗議し、乱暴に食を入れられて、生命が危篤になった後、不法人員は家族を偽り、于正紅さんを中心医院へ送った。病院側は「もうだめだ」と通知した後に家へ帰し、2005年11月17日に冤罪が晴れないまま死亡。宋村鎮寺前村の69歳の大法学習者の韓玉生さんは心神喪失になるまで迫害された後、2005年10月15日に死亡した。

 大法学習者の于正紅さん(43歳)は、法輪大法を修煉してから病気が完全になくなった。子宮癌、乳癌前期と頭痛など多種の病気で苦しみ、生活に自信がなくなったとき、縁があって法輪大法と出会い、修煉を始めて、学法と煉功を続け、「真善忍」を自分に要求して、短い間に、于正紅さんのすべての病気がなくなった。

 1999年7月、中共と江沢民集団はお互いに結託して法輪大法を迫害した。于正紅さんは2000年7月20日に北京へ陳情に行き、真相を伝えて、文登駐北京の悪警察に不法に元地へ逮捕され、政保課で不法に13日間拘禁され、いろんな手段で迫害された。拘留所で拘禁された学習者が多すぎるため、入らなくて、彼女を宋村派出所へ送ったが、村の幹部の保証で仮放免された。同年秋、彼女は落花生を採って家に帰り、まだドアを開けないうちに、悪警察の向洪平と于金成などによって宋村派出所へ連行された。

 文登拘留所へ行く車中で、于正紅さんは警察に大法弟子を逮捕するのは違法で、なぜ人を殺して放火することを干渉せずに、専門に法輪功を迫害するのか?と聞くと、悪警察の向洪平は「殺人、放火は干渉する勇気がない、うまくしないと自分を害する。法輪功は殴られても、打ち返さない、罵られても返さない、だから干渉できるのだ」と答えた。

 于正紅さんは不法に10数日間迫害されたのち、釈放されて何日もたたないうちに、不法人員はまた彼女の家に来て連行した。直接宋村鎮映画館が専門に大法弟子を拘禁するところになったところに送られて、彼女とその他の大法弟子を文登拘留所へ送って10数日迫害した。それから宋村へ戻して強行に洗脳した。このように繰り返して迫害し、苦しめた。2001年6月1日、于正紅さんは家に帰る途中で10数人の警察に連行されて、迫害され、身体が極度に弱くなって、以前の重病状態が出た。

 3ヶ月後の8月14日、不法人員は于正紅さんの家へ行って家財を没収し、彼女は仕方なく家を離れ、威海でバイトをして生活していた。不法人員はそれを知った後、2003年10月14日にまた連行し、文登拘留所に拘禁した。非人道の迫害に抗議するため、于正紅さんは絶食を始め、四日目に病院へ送られて食を入れられた。極端な迫害で彼女は3日間血を吐き通した。8日後、これらの不法人員は彼女を済南労働教養所へ送った。労働教養所は責任を負いたくないから、受けなかった。

 その後、于正紅さんはよく不法人員にかきみだされた。2005年9月27日朝6時30分ごろ、再び向洪平などの不法人員に連行された。拘留所で、于正紅さんは再び絶食して迫害に抗議した。文登正骨医院で野蛮に食を入れられて、生命の危険が現れたが、文登の不法人員は于正紅さんが「死んだふりをしている」と言って、中心医院へ送った。医者はもうだめだと診断して、早く家族に通知してくださいと要求した。不法人員は家族に知らせないだけでなく、釈放もしなかった、翌日、もうだめだと判断してやっと家へ送った。于正紅さんは家へ帰ってからずっと回復できなかった。2005年11月7日晩10時ごろに死亡した。

 大法学習者の韓玉生さん(男性)は、1996年大法を修煉し始めて、心身共に健康になった。99年7.20後、何回も不法警察に家財を没収されて、拘留、罰金を課され、文登市610オフィスに3年間労働教養され、精神は巨大な傷をつけられた。血圧が高くて労働教養所は断った。ある日、警察の向洪平は村の民衆の前で、韓玉生さんの住民票を廃棄して、其の後も何回も掻き乱した。韓玉生さんは心神喪失になるまで迫害されて、2005年10月15日に冤罪が晴れないまま死亡した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/20/114899.html