日本明慧


執着が見つかったら直ちに取り除こう

 文/黒竜江省大法弟子

 【明慧ネット2005年11月10日】私は自分があまり精進していない大法弟子だと思っている。振り返ってみて、平和な時期よりも精進していない。現在、とても深いところに隠れている執着があり、それがいまだに完全に取り除かれていないことに私は気がついた。これらの執着が、まるで一つ一つの高い壁のように、私の修煉の道を妨げ、時にはとても重い人心を噴き出させることがある。

 例えば、私は学習者やあるいは他の人と付き合う時、修煉者の基準で自分に要求するが、家に戻ると些細なことでも妻に我慢ができず、ついには口論となってしまう。しかし、その後また自分が関を良く乗り越えていないことで後悔する。しかも、常に再発し、とても緊張した局面をもたらし、心を静めて修煉ができなくなっている。今、自分の問題を探してみて、やっと自分に多くの私心があり、かつ慈悲心が足りないことに気がついた。自分の態度を改めた時、全ての緊張した気持ちはすべて消えた。

 もう一点は、真相資料を作成する時、常に正念を発することをおろそかにしていることである。実際これも正しくない。時に惰性で、ただ途切れ途切れに煉功しているだけとなり、あるいは法の勉強も少なくなり、人心が絶えず重く、修煉を邪魔してしまう。

 実際、自分の執着心には容易に気づきやすいと思う。しかし、捨て難いのである。師父が私達に要求された三つのことさえ良く行えば、全ての全ては良くなる。

 師父の私達に対する苦心の済度に背いてはならず、さらに私達の万古の誓約を破ってはならない。私達は衆生に対して責任を負うべきである。学習者のすべてが最後の時期において、更に多くの周りの人々を呼び覚まさせ、修煉に勇猛邁進し、光り輝く師父と共にもとの家に帰ろう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/10/114205.html