日本明慧


韓振巨さんは唐山開平労働教養所で迫害されて死亡(詳細)

 【明慧ネット2005年11月20日】2004年4月29日の午前、法輪大法学習者の韓振巨さんは唐山開平労働教養所で迫害され死亡した。家族が通知を受け、開平病院に行くと、すでに死亡していた。労働教養所の悪徳な警察官は責任を逃れるため、韓振巨さんは突発的な心臓病による突然死が原因で死亡したと嘘を言った。しかし、家族みんなは盗み見るように(労働教養所は遺体を見ることを許さなかった)韓さんの遺体を見ると、韓さんの背中が青紫になって、体型が痩せていたのを発見した。韓さんは長期にわたり、心身ともに苦しめられ迫害されたのである。その後、内情を知る大法学習者により、韓振巨さんは開平労働教養所で数回残酷に迫害され死亡したということがわかった。

 韓振巨さんは河北永清県劉街郷渠頭村で真象を伝えたため、悪徳な人に告発され不法に逮捕された。三日経ち、釈放された。その後、韓振巨さんは2000年に廊坊万庄労働教養所と高陽労働教養所で不法に2年間拘禁された。

 2003年師走ごろ、韓振巨さんは連行され、唐山開平労働教養所に送られた。韓振巨さんは真象を伝えながら、絶食で迫害に反対した。絶食を20日間続けた後、体は既に衰弱していた。開平労働教養所の悪徳な警察官・禹春雷は、韓振巨さんと北京の大法学習者の周童さんを、不法に高陽労働教養所に送り、強制的に転向させた。これがいわゆる「春雷行動」であった。

 悪名高い高陽労働教養所は人間地獄で、20日間絶食した50歳近い韓振巨さんを棍棒で殴り、それを中断すると、今度はレンガで肩を殴った。それから韓振巨さんを空中に放り投げ、酷い勢いで地上に落下させた。この行為を20回以上繰り返していた。主にこの迫害に加担したのは高陽労働教養所・李大勇などで、苦しめられて危篤の状態に陥っていても、韓振巨さんは、なお絶食で迫害に反対した。20日間以後、邪悪は仕方なく韓振巨さんと周童さんを唐山開平労働教養所に送った。周童さんは高陽労働教養で悪徳な警察官・李大勇など三人に縄を使った酷刑で迫害され、意識不明になり、目が覚めてみると肩胛骨のところに縄で縛られた跡が残っていた。周童さんは今度の「春雷行動」迫害の真象を自ら証明した。

 韓振巨さんは唐山開平労働教養所に戻ってしばらくして、許振民をはじめ悪徳な警察官たちは、韓振巨さんをもう一度強制的に「転向」させた。彼らは目的を果たすため、韓振巨さんを女大隊につれて行き、女大隊のユダたちが代わる代わる屁理屈な邪説を注ぎ込んで、強制的に洗脳させた。悪徳な警察官とユダたちは協力し、強制的に寝させず、精神的にも肉体的にも残酷に苦しめた。1週間連続して苦しめられ、寝させてもらえない状態で、韓振巨さんはぼんやりし、意識不明の状態で心を裏切って「三書」を書いた。その後韓さんは、ほかの修煉者とこのことを話す時すごく後悔していた。今度の迫害で、韓振巨さんは、心身ともに打撃を受けた。その後、韓振巨さんは1大隊に送られ、肉体労働をさせられた。

 2004年4月、「専管隊」の大法学習者全員は絶食で迫害に反対した。4月25日に、韓振巨さんは再び絶食した。4月29日朝に、悪徳な警察官・李義は韓振巨さんをトイレに呼び出し(ほかの人に見られないように)、手で韓振巨さんの首を絞めて、窒息させたが、数分後手を離した。韓振巨さんは9時ごろに部屋に戻ってきてから、急に呼吸が出来なくなった。先生の王洪利が来て韓振巨さんの背中を叩いて呼んだが、韓振巨さんの返事はなかった。すぐ詰め所に送られその後病院に運ばれた。その後、当時現場にいた人によると、韓振巨さんは病院に運ばれる途中に呼吸が止まったらしい。

 唐山開平労働教養所と高陽労働教養所は長時間にわたって大法学習者・韓振巨さんに各種の残酷な迫害をしていたので、韓振巨さんは心身ともに打撃を受けていた。「韓振巨さんは正常に死亡」という嘘で、悪徳な警察官は韓さんの家族みんなを騙し、民衆を騙して、彼らの罪を隠している。しかし歴史は永遠にこの一幕を記憶する。この歴史を追憶して真象を伝えるためである。多くの人々に迫害の邪悪さを分かってほしい、それと共に大法学習者を迫害している人々に目を覚ましてほしい。屠殺用の包丁を放して、悔い改めさえすれば救われる。自分のために美しい未来を選ぼう!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/20/114892.html