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李業泉さん、大慶労働教養所で56日間絶食し危篤(写真)

 【明慧ネット2005年11月21日】黒竜江省大慶市38歳の法輪功学習者の李業泉さんは、法輪功の修煉を続けるため、この6年、勤め先は給料の支給を停止し、何回も連行され、ホームレスのような生活をしてきた。現在、李業泉さんは大慶労働教養所で迫害され、不法な拘禁に抗議するため断食し、飲まず食わずで、すでに56日間経っている。毎日24時間手錠を嵌められ、足錠も嵌められ、鼻に管を入れられ(食物を強制注入するため)、悪者達は師父の写真を椅子に置いて彼に座らせ、『転法輪』を椅子の背に置いて彼に寄りかからせるなど…。悪者の王英洲とその共犯者は何度も半リットル以上の強い酒を李さんの口に注いだ。卑劣に彼の口に痰を吐く、冷たい水をかけ、毎日3回乱暴に食を入れる。そうすることにより、食道はすでにぼろぼろになった。肺炎と神経混乱症になり、体温は30度しかなく、体がぶるぶる震え、極度に虚弱で、白血球は2万に達した。そして何度も気絶し、危篤状態だった。

 

                                                 幸福だった昔の一家

 2005年11月16日、李業泉さんの家族は大慶労働教養所に李業泉に面会しに行ったが、労働教養所所長の王詠湘は省が検査しに来たという理由で面会を断った。家族は『大慶市労働教養所への公開手紙』を大慶市労働教養所に渡した。家族は手紙の中で李さんに対する迫害を強烈に抗議し、直ちに迫害を停止し、釈放を求めた。もし、深刻な結果をもたらしたら、責任者の法的責任を徹底的に追及すると。17日、李業泉さんは脳血栓のお父さんと弟さんと妹さんは遠くから李業泉さんを見舞いにきた。王詠湘のオフィスの中で、家族は法輪功学習者かどうか問い詰められた。李業泉さんの妻は、夫がお酒を乱暴に入れられ、痰を吐かれるということを聞いたが本当かとたずねると、彼らはきっぱりと否認した。李さんの妻が「後で私は李さんに直接このことを聞く」と言ったとき、副所長の王詠湘と管理課副課長・楊涛はとても怒り「今日から李業泉に面会できない!」と言った。

 李業泉さんの年配のお父さんは「李業泉はよい人だ、彼はなんの法律を犯したのか。なぜ何度も彼を逮捕するのか?」と聞いた。彼らは「政府が修煉を禁止すれば従う」と言った。家族はどの条例なのかと尋ねると、「公安局で判決したから、私達と関係ない、公安局に聞いてください!」と言った。

 李業泉さんの家族は一大隊に行った。李さんの妻は断れなかった。家族は李業泉さんに会った後、弟さんが李さんにお酒を入れられたことと痰を吐かれたことを聞いた。一大隊隊長頼仲輝、王英洲と犯人達はどっとやってきて弟さんを外に引き出した。李業泉さんの弟さんは外に二時間いて、凍り、胃液も出た。李業泉さんのお父さんは涙を流し、息子さんの釈放を求めた。労働教養所の人は「公安局が送ってきたから、私達は拘禁するだけ、公安局に言ってください」と言った。それを聞き家族は仕方なく帰った。

 大法弟子の李業泉さんは、38歳、吉林工業大学卒業、大慶市射孔弾工場の職員だ。96年7月に法輪功を修煉し始めた。彼は真善忍の原則で自分を要求し、家で老人を尊び幼いものを慈しみ、友達の中で尊敬されて信頼できる人で、仕事も一所懸命で、欲もなく、みんなが認めるよい幹部だった。やる研究項目は成果があり、職場では彼を副主任から技術を主管する工場長にしようとした。99年7月法輪功が迫害されてから、派出所と勤め先の不法人員はいろんな手段で彼に修煉をやめるよう強迫した。彼は利益に動揺せずに、自分の信仰を続けた。勤め先の党主任の姚徳喜は李さんが北京へ陳情しに行くことを心配し、不法に李さんを創業派出所へ連行した。彼は創業派出所で不法に二ヶ月拘禁され、派出所は彼を勤め先に送った。

 2000年7月14日、李業泉さんは北京へ請願に行き、勤め先から紅岡留置場に送られて一ヶ月拘禁され、また紅岡拘留所でも15日間拘禁されて、勤め先に戻ってからもまた不法に軟禁され、9月25日に党主任の姚徳喜は3600元をゆすってやっと釈放した。同時に二ヶ月の給料から2166元、5月の奨金310元、社員旅行の費用100元を流用した。そして李さんの現金329元も没収した。勤め先の職員が李業泉さんのお金を騙し取り、また10月1日の3日間の休みの後で出勤してもいいと嘘を言った。李業泉さんは4日に出勤し、また不法に北安(大慶610オフィス法輪功学習者を迫害する洗脳地)に送られ、強制的に一ヶ月間洗脳された。洗脳班で、李業泉さんは法輪功を誹謗するスローガンを破ったため、2000年11月30日に大慶市610オフィスに不法に一年の労働教養をさせられた。大慶労働教養所に拘禁され、2001年10月28日にやって釈放された。

 

              射孔弾工場当書記姚徳喜がゆすった現金の領収書

 勤め先に戻った後、李業泉さんは元の技術の仕事から高齢者オフィスで清掃の仕事をするようになり、給料も毎月300元に減り、幹部から労働者になった。1年過ぎ勤めて、2003年6月から7月まで、李業泉さんはまた紅衛星洗脳班へ洗脳された。ただ彼のポケットに海外のホームページのアドレスがあったため、職員はその夜彼を創業派出所へ送り、労働教養所へ送ろうとした。李業泉さんは手錠と足錠を嵌められ、めった打ちされた。3日後、紅岡留置場へ連行された。めった打ちされてから、絶食で拘禁を抗議したため、李業泉さんの身体は極度に虚弱になり、留置場はやっと彼を釈放した。でも依然として掻き乱され、李業泉さんは仕方なく路頭に迷った。

 2004年12月13日、銀浪小区で、胡路公安支局と銀浪創新派出所は勝手に個人の家に押し入り、李業泉さんとその他の3名の法輪功学習者を連行した。李業泉さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫び、当局職員は彼の頭を被り、口を押さえ、強行に彼を車に運んだ、彼は途中ずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫び、民衆に真相を伝えた。

 李業泉さんは不法拘禁されているところでずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫んで、鉄の椅子に座らせ、拷問に遭って自白を強いて、身体の状況が危険になり、ある会社の病院に運ばれた。また大慶採油四工場へ緊急措置をとった。後に李業泉さんはまた仕方なく路頭に迷った…

 2005年9月23日午前5時過ぎ、李業泉さんはまた大慶の不法警察に連行されて、9月27日に大慶公安、610オフィス、司法局、労働教養所は夜話し合い、李業泉さんを不法に大慶労働教養所へ送った。李業泉さんの白血球が2万に達していたので、労働教養所は断った。大慶公安局の曹局長は電話して「市委副書記兼ねる政法委書記の阮殿竜がサインしたから、必ず受けて入れてください」と言った。司法手続きがまったくない状況下で、李業泉さんは不法に二年の労働教養に処せられ、大慶労働教養所一大隊に拘禁させられた。

 2003年後半から現在まで、李業泉さんの勤め先はずっと給料の支給を停止し、李さんの妻は清掃のわずかな収入で7歳の息子を学校へ行かせた。母子が恥を忍んで重責を担って、苦難に満ち、過ごしている。現在、李業泉さんの家族は毎日涙を流して、子供は毎日父の写真をもち悲しみに暮れている。母に心配させたくないようにこっそりと涙を流す。

 私達は、世界中の正義の団体、善良な人に緊急支援を呼びかける。大慶労働教養所で迫害されて生命の危険迫っている法輪功学習者の李業泉さんを救援し、大慶市委、610オフィス(不法機構)、国安、公安、大慶労働教養所など不法部門が法輪功修煉者に対する残忍悲道な迫害を制止する。各界の人士の関心を期待し、正義を主宰し、私達とともに法輪功に対する迫害の停止を呼びかけ、直ちに法輪功学習者の李業泉さんを釈放する。

 

   大慶労働教養所正門   大慶労働教養所ビル 現在李業泉さんを拘禁する一大隊

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2005/11/21/114955.html