師父の新経文「成熟」を読んで
───修煉体験の文章を書くことで同修と交流する
文/大陸の大法弟子 【明慧ネット2005年11月12日】明慧ネットでの第二回大陸大法弟子書面での修煉体験交流大会の原稿募集の締め切りが近くなってきたとき、師父は新しい経文「成熟」を発表されました。個人的に「成熟」は師父が大陸の弟子に書かれたものだと感じていますが、特に「ネット法会の文章」に関しておっしゃっていたので、これは決して偶然ではないと思いました。私は師父の洪大な慈悲と厚い心を感じました。そこで、悟ったことを書き、大陸の同修と交流したいと思います。正しくないところがありましたらどうぞご指摘ください。
原稿募集のことを知った時、私は「自分は特に書くことがない。修煉もしっかりできていないし、立派なことをやっているわけではないので、何を書けばよいのだろう?」と思いました。しかし、「大法弟子の法会には積極的に参加すべきだ」と法に基づいて認識しました。「大法は衆生を圓融し、衆生も大法を圓融している」(『精進要旨・道法』)。私は師父の按配、そして明慧の同修の苦労に感謝しています。そこで私は同修と交流し、修煉体験を書くように激励しました。同修の反応は私と大体同じで、とても心配して、「書くことがない」というものでした。自分で修煉し始め、これは大法に圓融し、邪悪を取り除くということなので、書かなければならないと私は思います。
修煉体験を書く過程で、私はやっと今回の法会の深遠な意義、そして大法の同修にとっての深遠な意義が分かりました。今まで歩んできた道を振り返ってみると、私は自分の不足している点を見つけ、正念を取り戻しました。そして、自分が今精進していない状況は、旧勢力の按配と、私の目的を達成できないようにするための妨害である、ということをはっきりと認識し、再び法を正す流れの中に溶け込み、はっきりと目を覚まし、理知的な状態に入ることができました。ある期間私を妨害していた怠惰の心、情、感覚が麻痺する状態はいつの間にかなくなっていました。経文「成熟」を学び、今私は再び頭がはっきりと覚めた状態で、長い間失っていた、法を正す全体として物事を考えるという正念を取り戻し、旧勢力の私と同修に対して妨害を招く正しくない状態をはっきりと認識できました。さらに、今の旧勢力の妨害の目的の全ては、中共からの脱退を促進する勢いおよび悪党を解体する事を阻害し、同修たちが、旧勢力が今日按配したすべての正念と正行への妨害をはっきりと認識することを阻害することです。
師父の新しい経文「成熟」は個人的に、師父が大陸の大法弟子が修煉体験を書くことを励まされていると同時に、修煉体験を書く大陸の大法弟子に対して方向と基準をはっきりと示されたのだと思っています。師父は「文章の中の多くは、理性的な分析や足りないところを探すものであり、法を実証するため、損失を軽減するため、修煉者たちがみな正念を持って正しく行うことができるようにするため、迫害されている修煉者のために方法を考え、もっと多くの世人を救い済度するための交流であり・・・」とおっしゃっています。私は、これは師父が私たちの修煉体験の文章の内容の方向性をはっきりと示してくださったのだと思います。また師父は「それぞれの文章は常人の心で書かれたものではなくなり、任務を完遂するための『党八股』のような事実から乖離した偽りの書き方と内容がなくなり、功績を吹聴するような、『言わなければ誰が知るのか』と言う人心もなくなり、ほとんど党文化の思考様式がなくなったと感じました。」とおっしゃっています。師父は成熟してきた弟子たちの文章を肯定され、そして、まだ基準に達していない弟子へ希望を与え、励ましているのだと思います。
私は修煉体験を書く過程で、時々、書き終わった後で読み直してみると、「党八股の文章の書き方ではないか?」と思うときがあります。そこで書き直します。書き直す過程もまた、自分を清める過程です。時々本当に「このことを書かないと、自分がどれだけよくやっているのかほかの人に分かってもらえない」という考えが生じます。そのときはその考えを取り除き、修正して、基点を正しく置いて再び書き始めます。自分が顕示心を持っているのではないかと恐れる心も時々ありますが、文章を書く過程で、普段は気づきにくい多くの人心に気づき、修正することができました。このような時に師父の「成熟」を見て、さらに修煉体験を書くことの重要な意義を感じました。法を正す過程において、大陸の弟子は全体的にレベルが足らず、人の心に邪魔され、多くの人は全精力が法を正すことに費やせていない状況であり、今でも足を引っ張っています。師父は経文の中で「多くの大法弟子が成熟し、」「すべての大法弟子がこのようにできるならば、邪悪は根絶され、神佛が大いに顕れることになります。」とおっしゃっています。同修の皆さん、これは師父が大陸の大法弟子に書かれた経文です。情勢はいまだ「邪悪が根絶され」てはいません。これは大陸の弟子の不成熟と直接関係があるのではないでしょうか? 私の思ったことは、海外の同修の修煉体験の文章を読むたびに、彼らの無私、慈悲そして一生懸命さに感動して涙が出てきます。いつも彼らと自分との差、そして自分の人心を見つけ、彼らと比べると私たちは全然精進できていないと感じます。大陸の大法弟子は足を引っ張っているのではないのでしょうか?
師父は最近、経文を連続して発表され、説法され、文章を評注されているのは、確かに私たち全体の暴露すべき問題があまりにも多いからだと私は感じます。私たちは「三つのこと」をしっかりと行うと同時に、重視するようにしなければなりません。厳粛に旧宇宙の最後の私たちに対する束縛の要素を取り除き、人心の束縛から抜け出して、初めてさらにはっきりと大法弟子の使命を認識し、力を尽くしてあらゆる衆生を救い済度することができるのです。これが師父の求められていることです。今回の修煉体験の交流もそのためす。私の考えは、まだ文章を書いていない同修は、たとえ原稿の締め切りが過ぎてしまっても自分の修煉体験を書きあげ、自分の歩んできた道を振り返ってみるとよいと思います。明慧ネットに採用されなくてもかまいません。法を正すことと修煉の意義に対しては同じように重大です。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/12/114368.html)
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