日本明慧


真相を伝えるときの非凡な体験

 文/米国大法弟子

 【明慧ネット2005年11月25日】これはあるアメリカの若い学習者が真相を伝えたときの体験である。私は電子メールでこの文章を読んでから、彼のその清らかな心から書かれた文章に震撼し、さらにその真心の込もった努力に感動した。本人の同意を得て、それを翻訳して掲載することに決めた。以下の文章は彼が少し前に経験した本当の物語である。

 

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 友人のバンドがオレゴン州で盛大な音楽会を開く予定で、私も来ないかと誘われた。たくさんの人がその音楽会に参加するので、バンドのメンバーに法輪功を紹介し、そして音楽会に参加した人々に法輪大法が受けている迫害を伝える機会だ、と言って友人は私を誘った。

 空港へ行く途中で、飲酒運転をしていた人が自動車を道路のど真ん中に置き去りにしたので、長い時間渋滞していた。空港に着いてから、私は直ちにエアチケットの予約先であるアメリカン航空のカウンターまで駆けつけた。しかし従業員は私にHorizon空港会社で搭乗手続きをするようにと言った。しかし、Horizonの従業員は私に、飛行機はすでに10分前に飛び立ったと答えた。

 予約したチケット料金も払い戻すことはできずに困った。しかし、もう一つの選択肢があった。8時間後に、オレゴン州行きの便がある。そこで直ちに友人に電話をかけ、この予想外な事故による遅刻のため、彼の上演に間に合うかどうかを聞いてみようと思った。しかし、真夜中に寝ている友人を起こしたことで、友人は非常に怒り、私が話し終わるのも待たずに電話を切ってしまった。茫然とした私は、どうしようもなく弟に電話し、今自分が、オレゴン州に行くべきでない予兆を感じ、困惑している思いを話してみた。しかし弟は修煉者の口調で返答したので、これはきっと師父が弟の口を借りて私に何かを伝えたかったのだとその場で思った。なぜなら弟は、私に対して「だからこそ、きっと有意義なことをするための妨害ではないのか。これはあなたへの試練だ。心性に対する試験だ」と言った。

 そこで二番目の航空便でオレゴン州に着くと、友人が待合室に来ていないことに気づいた。電話してみると、すでに何時間も待っていて、ちょうど私が飛行機から降りる前にそこを離れたと友人は言った。音楽会の開演までもう時間がない。余計なことは考えず、私は直ちにバス停まで走り、バスに乗った。しかし、バスの車掌が私に切符を買うよう求めた時、初めて財布に一文も入っていないことに気づいた。どうしようもなくマスターカードで支払おうとしたが、私のカードを読み取れないと言われた。

 進退窮まった私を、車掌は無料で乗せてくれた。私は彼女に法輪大法のパンフレットを一枚贈った。バスの中では、どこで降りればいいのかも分からなかったが、隣に座っていた人が親切に教えてくれた。そして彼にも大法の真相資料を手渡した。バスを降りて友人に電話した時に初めて、音楽会の会場に行くには乗り換える必要があると分かった。

 何とかして、開演数分前に到着できたが、そのころ友人は非常に忙しかった。そこで、いつ私を観客に紹介するのか、いつスピーチすればいいのかを聞いてみたが、忙しさのあまり私の質問に答える暇もなく、彼がバンドのメンバーを紹介してくれる時間もなかった。このように私は舞台の横に立って、彼が私を観客たちに紹介するのを待っていた。しかし私は紹介されることなく音楽会は始まった。個々の演出プログラムの間に、私は次の演出の前に少しスピーチしてもいいか聞いてみると、ある演出者は非常に忙しいから分からないと応えた。そこで私は再び彼に聞いてみると、横にいた別のメンバーが「大丈夫だ」と答えた。

 このようにして、友人は観客たちに私を紹介すると、マイクを握った私の心拍数は上昇し、呼吸も速くなって、非常に緊張していた。しかし口を開くと、すべての緊張や不安は消え去っていったかのように、私はゆっくりと、論理的に法輪大法、真善忍および中国で起きている中共によるこの平和団体への血なまぐさい迫害を紹介した。そのとき、マイクを持った友人も私の隣に来て、一緒にこの中国で起きている犯罪行為を説明し始めた…。

 観客たちは私たちの説明を聞いて非常に震撼していた。その後、人々は私のところに集まってきて、「私たちに何かできることはありますか?」「どうすればあなたたちを助けられますか?」「どうすればこの迫害を停止させることができるのでしょうか?」などと言ってくれた。

 そのとき、私はこの一日の間に起きた、私への妨害や苦境がすべて、私が真相を伝えだすその瞬間から、全部消えたように感じた。

 それからすべては平和的で、順調だった。そして、みんな一緒に喜びをかみしめた。

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 彼はこの手紙の最後に「私たちが真相を伝えるとき、遭遇する妨害が大きければ、それは乗り越えなければならないものである。なぜならそうであればあるほど、私たちがやり遂げたことでより大きな威徳が表れるからだ」と書かれていた。

 これはまた私自身の体験だった。彼のその体験から、私に再び、本当に純粋な、世の人々を救い済度するために頑張っている心を持つとき、慈悲なる師父は、必ず私たちの願いを叶えるように助けてくださるのだと教えられた。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/11/24/115118.html