日本明慧


私は大法の一粒子です

文/華北大法弟子 冬蓮

 【明慧ネット2005年11月9日】私は農村の大法弟子で、天目が半分開きながら修煉しています。教育レベルが低いので、何度も修煉で体得したことを書こうとしましたが、できませんでした。明慧ネットで「第2回大陸大法弟子の修煉体験書面交流大会の原稿募集」が掲載された後、また書きたいと思いました。実際に書き出すと、障害が次々とやってきて、ごく普通の字も書けなくなり、とても時間がかかり、中断してしまいました。学習者の文章を読むにつれて、学習者の大法に対する確固とした正しい念正しい行いを見て、私はその差を認識でき、修煉の体得を書くことも、私達が一体となって向上することの一部分であると認識しました。他の学習者ほどすさまじい勢いで法を実証した経験はありませんが、師父を固く信じ大法を固く信じることにより、私も乗り越えてきました。

 * 修煉の前後

 私は1996年正月に大法の修煉を始めました。修煉する前は腰痛があり、足も痛み、関節炎で、胃の調子もよくありませんでした。初めて『転法輪』を開いて師父の写真を拝見した時、私は泣いてしまいました。長年迷っていた子供が急に両親に再会した時のように、泣いてしまいました。泣いて、泣いて、また笑って、とても嬉しくて笑いました。師父の写真を見ながら絶えず「師父! !師父!」 と呼び、内心から「必ず最後まで修煉する」と決心しました。その後、私は修煉者の基準に従い厳しく自分を律し、1ヶ月経たないうちに、すべての病気がいつの間にか消えてしまい、病気がなく全身が軽くなったことを実感できました。

 修煉は厳粛なものです。修煉してしばらく経ち、ある日、集団で師父の済南での講法を聞き、師父が「色魔の勢いがすさまじい」とおっしゃった時、私は心の中で「勢いがすさまじい? 私はいつもうまく乗り越えましたよ」と考えました。この妄言と師父に対する不敬により、修煉にとても大きな損失をもたらしてしまいました。その日、色魔の関を連続して何回も乗り越えられませんでした。私はとても悲しくなり泣いてしまいました。それは師父に対して不敬であり、修煉に対して厳粛でないことだと、心を静めて法を勉強することで気づきました。人為的に修煉に多くの障害をもたらしてしまい、修煉は厳粛であることを真に体得することができました。私達は師父の話を聞き、師父の要求に従って行ってこそ、本当に師を尊敬し法を尊敬することになるのです。

 修煉する前は、私は毎日10時間ぐらい寝ていました。10時間より少なくなると頭が張ってピンピンして、持ち上げることができません。修煉した後、私は法を勉強する重要さを認識しました。忙しい時もあるので、私は睡眠時間を10時間から7、8時間まで減らし、さらに4、5時間に減らしました。ある日、昼間法を勉強していると、とても眠くて目を開けることさえできませんでした。少し寝てから勉強しようと思いました。しかし、頭が枕についたとたんに、「天地に聳え立つ立派な男が、昏々冥冥夢の中」という言葉を耳にした。私はすぐ元気になって、これは「法を勉強して眠くなるのは妨害であり、それは抑えなければならない」と師父が私に悟らせたのです。心がしっかりしてくると、2回ぐらいでそれを乗り越えることができました。この数年、どんなに忙しくても、法を勉強し、煉功することを中断したことはありません。

 97年のあるとき法を勉強していた際、私が「修煉人」という三文字を見ていると、突然金色の光を放つ「了不起」(すごい、すばらしいという意味)の三文字がきらめく金色の光の中から現れて、自分の次元の法の内包が見えました。また覚えるべき行うべきことの言葉の下に、透明な淡い青色、黄金色またはピンク色でアンダーラインが引かれており、私がそれを暗記できるとその線も消えてしまいました。これは師父が法をたくさん勉強し、法の要求に従い行うように励ましてくださったのです。また大法の本の字はすべて法輪で、ページの空白はすべて果てしない世界であり、自分の功柱が絶えず色を変えているのが見え、いろんな色の大法輪が見え、衝灌の時のエネルギーは赤、法輪の気機は淡い青色を呈し、静功を煉る時に百脈の運行が見えました。

 97年旧暦の正月はとても寒く、部屋の中にストーブをつけていなかったのですが、師父の法像の前に座ると、少しも寒くはなく、ただとても幸せだと感じました。師父に立てた一束の線香は一つの大きな蓮の花になり、火炎が九つの握りこぶし大の青緑色の糸で縁をつけられた赤い蓮の花になり、とてもきれいでした。私が静功を煉る時、師父の法身が微笑みながら印を結び、私の側に坐っておられるのが見えました。私はとても嬉しくなり、師父と一緒に新年を祝うことができました。師父は一分一秒私達の身の回りで私達を温かく見守り、保護し、悟らせ、修煉が向上するよう励ましてくださっています。

 * 法を正す修煉の道を歩みます

 江沢民の嫉妬により、1999年7月20日に法輪功に対する弾圧が始まりました。7月20日、私達は北京に陳情に行き、県の公安局に護送されました。ほかの学習者は釈放されましたが、私の家が煉功点(注:公園などでみんなが集まって法の勉強を行ったり煉功したりする場所)だったので、私だけは何日間も拘禁されました。9月27日に法輪功が「×教」と決めつけられたので、翌朝、私と妹は再び陳情に北京に向かいました。途中で差し止められ、現地に連行されました。まずひどく殴打され、晩ご飯も食べさせてくれませんでした。翌日、私達は手錠をかけられ、街中を引き回されて、見せしめにされた後、刑務所に監禁されました。刑務所で尋問された際、どうすれば良いか分からなくなり、「修煉しない」と嘘をついて釈放されれば、また北京に法を実証しに行こうと思いました。そして不本意に「修煉しない」と嘘をつきました。口に出すとぼうっとしてしまい、すべてが停止したような、心が摘み取られてしまったような、師父とは何かで隔てられているような、生命の根っこを失ってしまったような状態でした。あの何日間は、私は抑え切れないほどの涙が流れ、「師父、私は修煉します。私は師父の弟子で、いつまでも師父の弟子です」と心の中で黙々と師父を繰り返し呼んでいました。

 何日間か経って、過ちを改める機会がやってきました。今度修煉すると言うと刑罰が下される。尋問されると、私は「修煉する、いつまでも修煉する」と言いました。警官は、2—3年の刑罰を下すと言いました。私はそれを認めないが、心中はやはり不安で、刑務所に入れられたら、法の勉強ができなくなるのではないかと心配していました。夜監禁された同じ部屋の学習者は皆寝ていましたが、私は留置場でただ1冊の『転法輪』を手に取り、少しでも多く読もうと思いました。法の勉強につれて「私は師父の弟子であり、誰も私を連れて行くことはできません。私は師父が段取りしてくださった道を歩みます。私は大法弟子で、絶対法から離れません」という正念が生まれました。翌日警官から、明後日、私を刑務所に送ると知らされました。私はそれを承認せず、師父を堅く信じ、大法を硬く信じました。師父の慈悲、大法の力により、警官らは判決を下すことができず、1ヶ月後、家族が金を支払い、私は釈放されました。

 私が二回も拘禁されたため、家族はとても怖れるようになり、毎日私を監視していました。私はもともと恐れる心がとても強い人間で、家族の影響を受け、その恐れる心も起こされました。2000年の前半、私は法を実証することをあまりせず、ただ個人で修煉してきました。ある日、法の勉強中、無意識に師父の写真を見ました。師父の目じりに涙の粒があるのが見えました。私は思わず泣いてしまいました。どこが間違って、師父をこんな悲しませたのでしょう。自分に問いかけましたが、しかし、自分は別に何もしていないのではないかと、悟りませんでした。この日は、心を重石で押さえられたかのようにずっと沈んでいました。晩に師父に線香を立てたとき、師父の法像も涙が絶えず湧き出ているのが見えました。師父が私のことを心配しておられ、自分が恐れる心、安逸を求める心を持っているため、師父をこんなに悲しませていたのだと突然悟りました。

 それからは、私は真相のビラを配り、法輪功の真相を伝え始めました。当時ビラが少ないので、自分で書き、一日に何部、十何部を書きました。また黄色い布を買ってきて横断幕を作り、他の学習者と地区ごとに横断幕をかけました。当時、村の幹部は大法を中傷するスローガンをよく書いていましたので、書く度に私たちはそれを消しました。ある日、彼らは、またいくつかのスローガンを書きました。夜、私が消しましたが、昼間彼らはまた書きました。そして夜は2台のパトカーで監視させました。師父に加持していただき「いつでも起きて消しに行きます」と寝る前に心の中で師父に言いました。いつもは3時頃なのに、その日は5時に起きました。パトカーはそこで一晩監視し、夜が明けたのを見て帰りました。この機会に私はその中傷の言葉を消しました。

 恐れる心が出てくると、私は法をよく勉強します。法をたくさん勉強し、正念を発し、真相を伝えることにより、人々は次第に真相が分かり、修煉を始める人もいます。村の幹部は大法弟子を保護するようになり、敏感な日に、上から人を派遣して学習者の家に検問に行きますが、村の幹部はそれを差し止めてくれました。

 * 正念を発します

 師父が発正念するようとおっしゃってから、私はそれをとても重視視しています。一日に7、8回、もっと多い時もあります。発正念の当初、私は怒り恨む心を持っており、邪悪を一気に消滅しようと思いました。ある日正念を発した時、十階建ての高さの透明な深紅の「善」という大きな文字が目の前に現れました。これは、発正念の時「善」でいられるようにと師父が注意してくださったことだと悟りましたが、「善」でいられませんでした。師父は再び悟らせました。ある日の発正念の時、自分は中央に坐っており、周りに佛が座り、佛たちは片手で立掌し、皆とても慈善にみち、一つ一つの細胞も慈悲で穏やかなのが見えました。それからは発正念の時、自分の心も穏やかになりました。

 ある日の発正念の時、次のようなことが見えました。厚さが1尺、長さ数百メートルもある蛇の群が家の入り口までやって来て、ドアを叩き、その舌が家のドアより1メートルも高い蛇もいましたが、家の中には入れませんでした。それは私が正念を発する前に「ドアに鍵をかけ、ドアに支えをする」という言葉を無意識に思い出したからです。邪悪はどうしても入れず、これは師父が助けてくださったのです! また、自分がドアを飛び越え、空中で法輪を打ち出し、直ちに黒山のような蛇の群が消滅されたのが見えました。

 ある日曜日、私は息子(13歳)、甥(9歳)と一緒に正念を発しました。私達は「天安門にある他の空間の邪悪を取り除き、それらの悪魔の魔窟を取り除く」と言い、正念の口訣を読み終わって、心が静まりました。天安門の両側に多くの大法弟子がおり、みんな片手を立てピンク色の蓮の花の上に座り、一層、一層、列をなして、表に出てきた大法弟子がいたようです。天安門には邪悪が黒山のようにおり、隙間がないほどとても多かったのです。私達はたくさんの邪悪を取り除き、また邪悪の最も多いところ——魔窟に行って、火で多くの黒い手、邪霊、卑しい鬼を焼き潰しました。火から生き残った邪悪はとても大きな覆いの下に入ってしまい、それを一掃することができないので、師父に加持していただき、すべての大法弟子に助けてもらうことにより、あっという間に、大法弟子の功が一体となって、覆いを爆破し、無数の鋭い剣が黒い手、邪霊、卑しい鬼を刺し、また大きな剣が一匹の大蛇を刺していきました。邪悪が全滅し、火で魔窟を焼き潰しました。その時は45分間も正念を発し続けました。息子と甥も「たくさんの悪魔を消滅した」と言い、私達は一緒に笑いました。

 正念を発する時、蓮花掌から小さい嬰孩が飛び出し、1寸ぐらいの高さの、ピンク色の小さな蓮の花の上に座り、私と一緒に邪悪を一掃しているのが見える時があります。ある日、気持ちが悪くて、夜12時の正念を発する時間になっても起きたくないのです。その時、獄中の学習者が迫害を受けながらも、法を勉強し煉功し正念を発していることを思い出し、海外の学習者がろうそくの光で徹夜して私達を声援していることを思い出し、体の調子が悪いからといって正念を発しないわけにはいきません。私達が正念を一回でも多く発すれば、獄中の学習者が受けた迫害を一回ぐらい減らせたかもしれません。私達は皆師父の弟子で一つの全体なのです。これを考えて、私は壁に寄りかかりながら正念を発しました。翌日、体が正常に戻りました。

 私は、「法を良く勉強し、発正念の時心を静めると、威力が大きく、強大なエネルギーに包まれる」と実感します。私の回りの学習者は、発正念、特に四つの正点に正念を発することを重視していなかったのです。学習者の皆さん、全体で強大な正念を発してこそ、威力がこの上なく発揮できるのです。発正念は師父と大法が私達に賦与したもっとも高く無私な享受であると考えています。私は師父から賦与されたすべてを享受し、大法に賦与された強大なエネルギーと無限な知恵を享受し、師父と大法から賦与された強大な正念をもって、大法を破壊するすべての邪悪を消滅し、自分を正します。

 * 真相を伝えます

 真相を伝える当初、私はとてもせっかちで、大法の悪口を言う人に会うと、すぐ自分の機嫌が悪くなっていました。その後、心を静め、法を勉強することにより、根気よく善の心で衆生を救い済度すべきだと認識しました。夫の両親がテレビの「焼身自殺、殺人」などを見て、恐ろしくなり、夫に私を監視するように言いつけました。毎回両親に真相を説明しても、全然、話を聞いてくれませんでした。私は彼らを責めずに、依然として至る所で彼らのために、このことを考えていました。しばらくして彼らの考えが徹底的に転換し、夫の父は「息子の嫁がとても親孝行で、さすがは法輪功を修煉する人だ。法輪功の師父が良い人になるよう教えているのです。テレビの宣伝のようではなく、テレビは私達庶民を騙すだけのものです」と誰に会っても言います。親戚が家に来たとき、私が真相のことを話すと、夫の両親が隣で口添えをしてくれます。

 ある日、別の村の二人の技術者が村に井戸のポンプの修理をしに来ました。私はその二人の技術者に家で食事をするよう誘いました。彼らは「結構です。昼ごろに外で食べるのでいいです」と言いました。昼が近づくと風が強くなり、まだ2月なので、外はまだけっこう寒かったのです。それで私はお粥を作り、彼らに届けました。村の1人が「『法輪功』がご飯を届けに来たよ。法輪功を修煉する人だけが、このような良い心を持っているのです」と言いました。私がその2人の技術者に真相を説明した時、村の人はすでに真相が分かったため、皆私の代わりに真相を説明してあげました。真相が分かった2人は「あなたがわざわざご飯を届けにきたことだけで、私達はすでに『法輪大法は素晴らしい』と分かった」と言いました。私は笑い、その場にいた人はみんな笑いました。

 夫と一緒に商売に行く時もあり、人々は「秤は正しいですか?」と聞いてきます。「私は法輪功を修煉し、師父は公平に取引し、極悪非道な事をしないよう教えてくださいました。私を信用できないなら、あなた達が秤を持ってきて調べてみなさい」と言いました。本当に家から秤を持って来て調べる人がいます。少しも違っていません。私はこの機会を利用して、彼らに真相を伝えます。真相を伝えたことにより煉功したい人もいれば「大法は素晴らしい」と言う人もいれば、江沢民を罵る人もいます。このように、どこに行っても真相を伝えます。一枚の真相のビラを渡したら、もう一枚欲しいという人もいます。ある日、合わせて22人に真相を伝え、彼らは皆大法の真相が分かりました。その晩に22人が法を得た夢を見ました。

 家の前を通る商売人でも、私は彼らに真相を伝えます。私と出会ったすべての人に真相を伝えます。真相の資料を素直に受け取る人もいれば、受け取りたくない人や、受け取る勇気のない人もいます。私は発正念をして真相を分からせない妨害を一掃します。最後に彼らは「私は資料を受け取る勇気がないが『法輪大法は素晴らしい』ことをしっかりと覚えた」と言いました。春と秋、農民達は皆畑仕事に行くので、私は畑へ真相を伝えに行きます。多くの人は喜んで真相のビラと大法のお守りを受け取り、その場で法の勉強、煉功を始めようという人もいます。

 一時期、商売で忙しく、真相を伝えることをあまり行っていなかったので、旧勢力が体に邪魔をし、迫害をしました。ある日の晩、歯が痛く頭も痛くて一晩中眠れず、ベッドで転げ回りました。正念を発してそれを取り除き、同時に内に向かって探しました。法の勉強を怠って、真相を伝えることを怠ったためだと分かりました。翌日、頭はまだ痛いが、私は依然として数十枚の真相のビラ、数枚のCDを持って、真相を伝えに行きました。ビラ、CDのほとんどを直接手渡したのです。真相が分かった人々が私にお礼を言うのを見て、私はとても感動し、涙を抑えられませんでした。彼らは何世も大法弟子から真相を伝え済度されるのを待っていました。師父の慈悲で、大法が彼らを救ったのです。

 * 内に向かって探すことも法を正す修煉です

 2002年春のある日、正念を発する時、自分の佛体の一部分が見え、胸先に三列の濃い褐色の万字符があり、一列ごとに約九つあるようで、他の所にもあるがはっきりと見えませんでした。また「修煉はまだ中下層にたどり着いただけですよ」ととても慈悲深い声で伝えてきます。これは師父が精進するように励ましてくださったのだと分かりました。

 その後の何ヶ月間、真相を伝え正念を発し法を勉強し煉功など各方面において、しっかりと行いました。「修煉は中上層にたどり着きましたよ」師父はまた教えてくださいました。今度は自分の修煉の向上の速さを喜び、師父の手引きを更に精進の動力にせず、かえって有頂天になり、自分が大佛かも知れないと思い、歓喜心、顕示心が起こされ、心がいつもうきうきして、他人より良く修煉してきたと思っていました。法を勉強し法を実証することを行っているが、心性がどんどん下がっていることを明らかに感じ、せっかちになりすぐかんしゃくを起こしたりしました。ある日、私は怒った後、正念を発しました。心を静めてから、大勢の人が走り、つまづいて転んだ人もいましたが、身に付けたものを捨てて一生懸命に走っているのが見えました。「どうしたのですか?」と中の一人に聞きました。「怒る大王が来た」と答えてくれました。後ろから黒い波が人々を追いかけるのが見え、私は黒い波を遮って止め、取り除きました。私は泣きました。みんなは私の宇宙の中の衆生で、自分がかんしゃくを起こしたため、彼らは恐れていました。毎日正念を発し宇宙の中のすべての正しい要素に責任を負おうとしている私ですが、本当に彼らに申し訳なく、私に無限な望みを託している衆生に申し訳なかったのです。

 修煉は内に向かって探すべきだと知っていますが、本当に自分を探すのはとても難しいのです。時には自分を探しましたが、ただ表面だけで、あなたが正しい、彼が間違っている、真に内に向って探すのではありません。自分がよく修煉していると思い込んで、恐れる心があってもそれを認めたくはありません。この地区で法を実証することを誰よりも多く行ったと思いました。誰かにどの方面で良くなかったと指摘された時、口では認めたが心の中で納得せず、私心がとても強かったのです。ある日、師父は再び「内に向かって探すことも、法を正す修煉です」と悟らせました。それで私は真に自分を探しました。「100パーセント師父を固く信じ、師父の要求に従い行ったのでしょうか?」と自分に問いかけると、それはできませんでした。「100パーセント法を確固として守ったのでしょうか?」と自分に問いかけると、時には恐れる心、安逸を求める心を持っており、それもできませんでした。「100パーセント大法弟子という称号に恥じないのでしょうか?」と自分に問いかけると、すぐかんしゃくを起こし、せっかちで、よく行っていない時もあるので、それもできませんでした。

 ずっと他人よりよく修煉してきたと思い込んでいる私は、恥じ入り、他人を傷つけさせない心は、顕示心、歓喜心であり、極力、覆い隠そうとした深い所にある心は、私心でした。私は顔が赤くなり、師父のいつもの手引きにうぬぼれることはなくなりました。私は再び師父の慈悲を感じ、師父は悟性の低い私を捨てたくないので、いつも手引きをしてくださいました。こんなに長い時間をかけて修煉してきましたが、「私心」はすべての物質を変異させる根源であり、それを取り除かなければならないと思いました。

 それを認識できた後、正念を発すると、私はある暗い空間に来ており、そこには大勢の人がいました。真ん中に黒い服を着て、周囲は濃い藍色の服を着た彼らは、手に弁当箱のようなものを持っていました。逆さまに立っている人もいれば、坐っている人もいれば立っている人もいます。立っている人にしか弁当箱に食べ物がありません。食べ物のある人は、自分の食べ物を無い人に少しも分けてあげません。私には彼らの私心が見えました。私がその私心を徹底的に取り除こうと思うと、直ちに彼らはもう一つ高い次元の空間に上がり、青い空が見え、彼らは二人で1冊の『転法輪』を読む人もいれば、一人で読む人もいます。お互いに助け合いとても和やかで、もう利己的ではなくなりました。

 内に向って探すことを通じて、法を勉強する時、法の広くて奥深い内包が再び現れてきました。私は「寛容」という二文字を見ると、「無私の善」であると自分の次元で認識できました。大法に同化する時、広々とした慈悲が頭に植え付けられ、同時に体が震動し、その広々とした慈悲が全身を通すことが感じられ、自然と善の力、慈悲の内包をも感じました。

 *大法弟子は人を救い済度する心のみ持つべきです 

 明慧ネットで大陸の資料点(注:大法の真相資料を作るところ)が至る所にあるべきという文章を掲載して以来、去年6月に「あなた達の地区では、小さい資料点を作った方がいい」とある学習者が提案してくれました。私は承諾し、千元ぐらいのお金を出して学習者に360小型複写機を買ってもらいました。しかし複写機はどこに置けば良いか、再三考えた後、私の家に置くことになりました。私はこの複写機がとても好きで、法器のようで、よく働いてくれました。私達九つの村に約70、80人の大法弟子がおり、経文、明慧週刊、真相資料などは、大体それでまかなっています。それは全部私一人がやります。家の仕事がとても多く、忙しくて法を勉強し煉功する時間がなく、本を手に持つと眠くなり、どうしても勉強になりませんでした。立ちながら読んでも、歩きながら読んでも、駄目でした。でも、私の法を勉強する決心がとても強く、読んで効果がないなら、法を書き写すことにしました。真面目に一文字一文字を書き写します。最初はいらいらすると感じましたが、しばらくして、一文字一文字が頭に注ぎ込まれると感じ、同時に法の勉強を妨害するすべての邪悪を解体してくれました。再び法を勉強すると、心を静めることができました。私は資料を作るすべての物を大切にし、学習者が出してくれたお金は、全部他の資料点に送りました。この数年、私自身は2万元ぐらいを出して資料を作ることに使いました。家は豊かではなく、一台の10数年前の古いテレビ、いくつかの古い家具しかなく、夏になると、オンドルの上に敷くござさえありません。私はお金をむだ使いしません。師父、大法がすべてをくださいましたので、私はそのすべてを大法に応用すべきだと悟りました。

 大紀元で『九評』を掲載した後、私はまず自ら中国共産主義青年団、中国少年先鋒隊から脱退し、家族も続いて脱退し、親戚もほぼ脱退しました。どこに行っても、私は真相を伝えます。人々が真相を分かった後、「三退」(注:三退とは中国共産党、中国共産主義青年団、中国少年先鋒隊を離脱すること)を勧めると良い効果があります。

 最初は数に執着し、今日は何人が脱党したのか、明日は何人が脱党するのか、数をメモします。自分の勧めにより脱党した人の数が多ければ、他人より精進しているようです。自分に執着する心がまた起きました。ある日、法を勉強し「応該(…すべきである)」という二文字が頭に反映してきました。私は数をメモしなくなり、衆生を救い済度するのは、私たちがやるべきことだと悟りました。道で出会った人に対し、話す時間がなくても私の第一念は、真相を分からせ、早めに中国共産党の邪悪のすべての組織から脱退し、「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」ことを覚えさせ、美しい未来があるようにということです。

 ある日煉功しているところに「一人が煉功すれば、まわりの者に恩恵を与えることになります」の法の内包を悟りました。以前、私は、まわりのものを常人の家族などだと思っていましたが、今は、私達は煉功すると、体内、体外、全体の空間の場、全体の天体、体系、宇宙大穹のすべての生命は皆大いに利益を受け、それも衆生を救い済度するのであり、法をよく勉強することも衆生を救い済度するのであると認識しました。私はどんなに忙しくても、行うべきことは弛まずに行います。私は師父、大法が私に賦与した衆生を救い済度する知恵と能力を大切にします。私はこのすべてをうまく利用し、もっと多くの衆生を救い済度します。私の次元での「無私」の内包の再びの現れは、永遠に幸福の源で、大自在の現れであります。

 明慧ネットに関わる学習者の皆さん、私は文章を書いたことがなく、これは、ただ私が今の次元での体得したことであり、間違ったところは慈悲なご叱正をお願いします。

 (第2回大陸大法弟子の修煉体験書面交流大会の交流文書)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/9/114023.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/11/24/67180.html