白馬龍労働教養所で目撃・体験した法輪功学習者への食物注入の残虐さ
【明慧ネット2005年11月27日】私は法輪功の修煉を堅持しており、北京へ法輪功のために陳情に行った。そして、2月23日に白馬龍労働教養所に送られた。そこで、私は自ら労働教養所の警官が他の服役者を利用して乱暴に食物を注入するのを目撃し、自分でも経験した。法輪功学習者の門歯を割り、甚だしきに至っては法輪功学習者を死に至らせたことも目撃した。
私たちが法をそらんじていたため、警官はたくさんの手錠を持ってきて、私たちの両手に掛けてから吊り上げた。最初私の手錠をベッドの端にかけていたが、私の背が高いため、私を横にして丁字型にして吊り上げた。手錠が足りなくなったため、もう一人の学習者の腕と私の腕を重ねて一つの手錠で固めてから、ベッドをそれぞれ外側に引っ張って私を苦しめた。朝早くから正午まで吊らされていたため、意識不明になり、私の体は麻痺し、動けなくなった。その後、座禅してなんとか動けるようになったが、腕にある手錠の痕は数ヶ月後経ってやっと消えるようになった。
それから七二隊の法輪功学習者全体が絶食し、無条件で法輪功学習者を釈放するよう求めた。鬼のような警官は三日間絶食を続ける法輪功学習者に乱暴に食物を抽入し、絶えず部屋を変え、堅持すると思われる学習者と、その部屋で影響力のありそうな学習者を離し、小部屋に拘禁し、他の法輪功学習者には会えないようにした。また、生産隊の犯人と一緒に拘禁される人もいた。
2001年3月中旬のある朝、ある話が聞こえた。「早く見て。食物を入れたら、人が死んだ。」法輪功学習者はみな回廊に見に行くと、担架の上の人に布が被せられて運ばれており、大門へ向って走ったのが見え、法輪功学習者はそろえて叫んだ。「法輪大法は素晴らしい!法輪大法は正法だ!」
警官は絶えず部屋を変え、死亡の情報を封鎖しようとしたので、食物を注入され、死亡したのが誰なのかほとんどだれも知らない(後に法輪功学習者の左淑純さんだとわかった)。2001年4月から5月にかけて、白三家労働教養所から学んできた迫害の手段で、法輪功学習者に対する迫害はより残酷になった、毎朝男性警官チームは、電気棒で法輪功学習者を電撃した。チン州の一人の法輪功学習者の陳さんはある朝動功をしていた。警察は走ってきて、彼女を電撃した。電気棒からパンという音が出た。犯罪者が法輪功学習者を殴るのは日常茶飯事だ。あらゆる手段で法輪功学習者を迫害した。学習者の口に雑巾を入れ、立つことを罰し、しゃがむことを罰し、洗脳ビデオを強制的に見せ、一日何十回も呼び出した。
私達が二回目の絶食をして四日目になったとき、陳という警官は私と相談するという理由で私を呼び出した。しかし、それは嘘で、食物を抽入するためだった。彼は四人呼んできて、私を地面に押し倒した。そして、一人は私の左足に座り、一人は右足に座り、別の二人は私の両手を別々に押し、警官は食物を抽入し始めた。食物注入しようとしたが入らず、すぐに折れたので、ある道具で歯を上と下へ割ろうとした。私はしっかりとした一念を出した。入れられない。結局なにも入れなかったので、全身至る所におかゆが付いた。
ある法輪功学習者はこのような迫害を受けた。悪者は彼女の鼻から胃まで管を通し、ご飯を食べる時間になると管から入れる。何日間もその管はずっと彼女の鼻にテープで貼りばなしだった。私は見ることができなくて、尋ねた。「なんで取らないの?」すると、彼女は思い切って取った。私と同じ部屋の若い法輪功学習者は岳陽から来た。ある日、彼女の門歯が全部なくなったことに気づき、「なんで歯がなくなったの?」と聞くと、彼女は3月に絶食するときに彼らが乱暴に食物を入れるときに割られたという。
私が見た白馬龍労働教養所の悪行は私がいた一つの部屋中で私が経験したことだけで、多くの法輪功学習者が迫害を受けている。特に警備室の小屋に拘禁された法輪功学習者、彼女達に対する迫害はもっと残酷だったようだ。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/27/115312.html)
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