甘粛省慶陽市の劉志栄さんは真相を伝え、15年の刑
【明慧ネット2005年11月28日】劉志栄さん(男性、1962年生れ)は、甘粛省慶陽市西峰区団結小学校の教師で、1995年から法輪大法の修煉を始めた。
1999年12月4日、劉志栄さんは法輪功学習者・徐峰さんなどと一緒に、北京へ法を実証しに行き、帰ってきてから、留置場に70数日間も不法に監禁された。監禁中、悪警官・鄭翔にひどく殴打された。鄭翔は当時慶陽市西峰区公安局国安科の役人で、大法弟子を最もひどく迫害している中の一人で、西峰区公安局に監禁された大法弟子のほぼ全員が、彼にひどく殴打され、罵られ、脅迫されたことがある。現在、鄭翔は公安局から転勤し、西峰区の煙草会社の保安課に勤めている。
2000年4月10日午前、鄭翔は西峰区団結小学校に行き劉志栄さんを派出所に連行し監禁した。同時に監禁された法輪功学習者は、徐振沢さん、李瑞花さん、焦麗麗さん、姚啓奎さんなどがいた。当日の午後、法輪功学習者は不法に「麻薬中毒回復所」に移され、麻薬中毒者と同じ部屋に監禁された。その後、法輪功学習者を西峰区肖金鎮の街中を引き回した。また不法裁判で劉志栄さんは一年の労働教養を言い渡され、4月25日、蘭州平安台第一労働教養所に送られた。一年の労働教養が満期になっても依然として釈放されず、理不尽にもさらに3ヶ月延期され、2001年7月1日に釈放された。
2002年4月28日、鄭翔は数人の警官を連れて、西峰区の団結小学校へ劉志栄さんを尋ねた。彼らは持ってきた用紙に署名するよう強要したが、劉志栄さんはそれを拒否し、機会をねらって逃げ出した。悪警官が追いかけてきて取り囲み、踏んだり蹴ったりし、警棒を劉志栄さんの顔や頭に向けて振り回した。劉志栄さんは、きつく縛られ、罵られ、警棒で打たれたり、殴られたり、蹴ったりされながらパトカーに押し込まれた。
鄭翔らは劉志栄さんを連行し、別の警官は劉志栄さん宅へ捜策のためにやって来た。家は留守で鍵がかかっていたが、鄭翔は自ら劉志栄さん宅に駆けつけ、鍵をこじ開けて押し入り、家をかき乱し、ごみさえ見逃さなかった。そして見つけた多くの大法の書籍、煉功の音楽テープと大法の音楽テープを没収した。
大法学習者をずっと殴打してきた悪警官・鄭翔は片足で殴り倒された劉志栄さんの胸を踏みつけながら、罵った。また劉志栄さんを逮捕する資料を劉志栄さんの目の前に放り投げ、床に倒れた劉志栄さんに拇印を押すよう強要した。劉志栄さんはそれを拒否し、拇印を押さなかった。すると鄭翔は劉志栄さんの腕を力いっぱい引っ張り、そのため劉志栄さんの腕は直ちに捻挫し、動かせなくなった。あまりの痛みに劉志栄さんは冷や汗をかき、服はびしょぬれになり、額の玉の汗がコンクリートの床を濡らした。
30日午後、警官は劉志栄さんを留置場に監禁した。劉志栄さんは自分は犯罪者ではないと主張し、留置場の扉を掴んで入ることに抵抗した。警官は殴打し留置場に強引に引きずって行った。劉志栄さんは留置場で断食して抗議し、意識不明となった。しかし、警官は釈放しないばかりか、不法に三年の労働教養を科した。その後「麻薬中毒回復所」に移された時、劉志栄さんは再度抗議し、また殴打され、警官らに留置場に運ばれた。
2002年7月28日午後、劉志栄さんは正念をもって監獄から脱出することができた。警官はあちこち探し、何日も連続して彼の家に泊まりこみ、また夫の居場所を教えるよう劉志栄さんの妻常秀玲さんを脅した。警官は家族を尾行し監視した。劉志栄さんはやむを得ず流浪生活に陥った。その間、学習者と甘粛省でテレビジャックして法輪功の真相を放送し、また法輪功の真相を伝え続けた。2002年10月25日、蘭州市城関裁判所で不法に15年の刑を言い渡された。
2003年10月末、劉志栄さんは蘭州市大沙坪刑務所に送られた。獄中で邪悪な命令、要求、指示に従わないため、小部屋に個別監禁されて迫害を受けあらゆる苦しみに耐えてきた。12月25日、甘粛省定西刑務所に移され、引き続き迫害を受けている。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/28/115382.html)
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