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元吉林工業大学の学生・高洪飛さん、労働教養所で受けた不法な迫害(写真)

文/吉林省大法弟子

 【明慧ネット2005年11月29日】元吉林工業大学学生・高洪飛さんは、法輪大法を修煉していることで、数年間に渡って邪悪の気の狂った不法な迫害を受け続けた。高さんは、悪党人員たちによって不法に拉致され、お金を取られたり、不法に労働教養所へ送られたりしたので。朝陽労働教養所の悪人たちは責任を恐れ、残酷な迫害によって肺結核腹水の症状が現れ、左肺から空気が胸部へ漏れ、命まで危なくなった高さんをやっと釈放したのである。高洪飛さんの父は、悪人たちの脅迫に耐えられず、この世を去った。また、70歳の高洪飛さんの母は、高洪飛さんの治療費の借金を返すため、現在も多くの苦労を強いられている。
不法な迫害を受けて皮と骨しか残っていない高洪飛さん、左脇には傷が残っている

 高洪飛さん(29)は、山西省繁峙の出身で元吉林工業大学の学生である。高洪飛さんは、「真・善・忍」に基づいて自らを律する法輪大法を修煉し、上京して法輪功の真相を伝えたことで、2000年10月、長春市公安局に不法に拉致され、37日間も鉄化看守所に不法に監禁された。その後、高洪飛さんは長春市奮進労働教養所へ送られ、残酷な迫害を受け続けた。看守所に不法に監禁されている期間、労働教養中に高洪飛さんは、非人間的な迫害と虐待を受けた。長春市奮進労働教養所の管教と裏切り者たちは、全ての残酷な手段を使って、善良な法輪功学習者に対して迫害を行い、法輪功学習者の「真・善・忍」を信じることを放棄させようとしたのである。外での仕事ができない冬に、不法人員たちは、法輪功学習者たちを鉄の小さな檻に監禁し、毎日、強制的に長時間、腰をまっすぐして坐る「坐板」と言う拷問をしたのである。「坐板」の拷問を数日間受けると、でん部には血の泡が出てしまう。また、この拷問を受けている時、少しでも目を閉じると、犯人達は管教に、「煉功しているよ」と報告しながら、めった打ちを行うのである。本当に、不法人員達の残暴な手段は、普通の想像を超えるほどである。

 法輪功学習者の「真・善・忍」を信じることを、強制的に放棄させるため、労働教養所は毎日、法輪功学習者に対して、強制的に気の狂った洗脳を行っているのである。悪人たちは、法輪功学習者を脅迫して、法輪功を蔑む言葉を書くようにした。また、学法・煉功も禁止したのである。不法な管教は、「真・善・忍」を信じることを放棄しない大法学習者に対して拷問刑具を常に使って、長期間、精神上と肉体上で迫害を行ったのである。それでも、「真・善・忍」を信じることを放棄しない大法学習者に対して、不法に懲役期間を倍にして延長するばかりでなく、家族との面接も禁止し、生活用品も受け取れないようにしたのである。労働教養所による、法輪功学習者に対する恐怖の迫害は、ナチス収容所の数十倍、数百倍を超えるものである。

 高洪飛さんは、このような恐怖の労働教養所で、数カ月間の残酷な迫害を受けた後、2001年3月、長春市朝陽沟労働教養所へ移された。しかし、長春市朝陽沟労働教養所の環境はもっと酷く、不法人員の邪悪は、長春市奮進労働教養所よりもっと残酷であった。元々痩せ気味であった高洪飛さんは、高圧な迫害下で、学法・煉功ができなくなったばかりでなく、毎日長時間の肉体労働を強制されたので、2001年の末には、肺結核腹水の症状が現れ、左肺から空気が胸部へ漏れ、命まで危なくなったのである。責任を恐れた長春市朝陽沟労働教養所は、仕方なく高洪飛さんを釈放した。

 高洪飛さんは、長春市朝陽沟労働教養所から釈放された後、親友たちにより、白求恩病院で手術を受けるようになった。しかし、傷口がずっと治らず、病院側から、「生きられる時間は短い」と宣告を受けたのである。このような状況でも、高洪飛さんは、大法を修煉し続け、師父の慈悲な保護下で、8月間後、だんだんと回復して正常になってきたのである。

 回復中で、まだ完全に回復していない高洪飛さんの家へ、地元の公安派出所は勝手に入りこみ、高洪飛さんと彼の両親を脅迫した。高洪飛さんのお父さんは、毎日の日常生活に対する脅迫に耐えられなくなり、この世を去ったのである。また、高洪飛さんが読んでいた大法書籍と持っていた師父の法像は、不法人員により押収された。

 2003年3月、高洪飛さんは太原に行く途中、再び陽曲県公安局の不法人員により拉致され、太原市杏花岒派出所へ送られた。その後、不法に労働教育されるようになった。当時、全国にはSARSが流行っていて、高洪飛さんの身体は監獄が定めた基準に満たなかったため、地元の県公安局へ移された。不法な悪徳警察は、高洪飛さんのバイクとコンピューターを勝手に取ったばかりでなく、彼の家族からいわゆる審問のための「保釈金」として3000元も巻き上げたのである。

 このような迫害を絶えず受けて、高洪飛さんの家族は一家離散し、家も貧しくして何もない。元々、老後をゆっくり過ごすはずの70歳の高洪飛さんの母親は、家族の生活を維持するため、また、高洪飛さんの治療費として借りた借金を返すため、風霜雨雪の中で、極度に痩せた身体で苦労を強いられている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/29/115447.html