日本明慧


グループ学法に参加したことで、最大の難関を突破できた

文/遼寧省大法弟子

 【明慧ネット2005年12月3日】師父の細心な按配および同修の幇助の下で、グループ学法に参加するようになった私は最大な難関を突破でき、真に修める修煉者になったと感じている。その日の夜6時の正念を発し、自分の空間を清めるとき、最初の自分は非常に分厚く、かすかに黄色く、そして透明な光の柱が上に登って行くようになるにつれて、元々分厚かった黒い物質も消えていき、体は軽くなり、地面から飛び上がるように感じた。座禅を終えると、非常に玄妙な感じがした。

 私はずっとグループ学法に参加しようとしなかった。いつも一人で家で法を学び、黙読していた。もし声を出すと、みぞおちがうずいて、二ページほど読むとそれ以上読めなくなり、読むにしても流暢に読めなかった。体調が悪くなると家で少し休むか寝るようにして、良くなってから起きてまた読むようにしていた。そのため、時間が経つにつれて一種の観念と執着が形成され、邪悪に隙に乗じられ、私の修煉を妨害し、ひいては直接私の体を妨害し、みぞおちが痛くなる、熱が出る、息が苦しくなる、無気力になるなどの妨害があった。師父は何度も私を起こそうとして啓示を与えてくださったが、しかし私は起きられなくて、このよくない状態が長い間続き、どうしてもこの関門を突破できなかった。同修にグループ学法に参加するよう呼ばれ、何度か参加したが、言い訳をしてほとんど参加しなかった。

 その後、師父は再び私にグループ学法に参加するよう啓示を与えてくださった。私は再びグループ学法に参加するようになった。最近、師父は「最後になればなるほど、精進すべき」を発表されてから、私は法を学ぶことで、グループ学法に参加するよう自分に要求し、朝8時半から午後3時頃まで、昼は休憩なしに法を学んでいた。しかし私は最初から最後までいることができず、昼になると自宅に帰った。数日後、同修にもう少し学ぶように言われたため、私は三講学ぶようにした。そのとき、私の体に変化が生じてきて、体が非常に軽くなり、まるでエネルギーに包まれているように、良くないものが一切取り除かれたように感じた。しかしそれでも、私は途中で家に帰り、最後まで堅持することができなかった。

 相互の向上をはかって、私たちの二つの学法グループが一つになった。二日間で『転法輪』を一通り読み終え、昼頃は一斉に正念を30分発した。8人ほどいたので、エネルギーの場が非常に強かった。皆で一緒に交流ができ、法理上での向上もできた。

 ある日の正午、私は再び家に帰ろうとすると、同修たち全員が私に最後まで学ぶよう要求してきた。ある同修から饅頭(中国の蒸しパン)を一つもらって食べた。しかし午後になると、私の胃が痛くなり、まるで鉄の針に刺されているかのような激痛が走った。そのため私の全身は震え始め、息が切れ、寒くなったり、暑くなったりして悪い状態が続いた。同修たちが私のため正念を発してくれてから、痛みは少し和らいたが、それでも痛かった。実は、こうなることを私は最初から知っていた。そのため、私は何度も最後まで法を学び終えることをしなかった。しかし今回、この痛みをものともしないで、同修たちと一緒に法を学び終えることができ、この関門を突破することができたのだ。今回、私は初めて、続けて7時間学法をすることができたのだ。

 帰宅してから、痛みも消え、体が非常に良くなり、非常に軽く感じた。午後6時に正念を発し、自分の空間を清めるとき、最初は非常に分厚く、かすかに黄色く、そして透明な光の柱が上に登って行くようになるにつれて、元々分厚かった黒い物質も消えていって、体が軽くなって地面から飛び上がるように感じた。夜寝るとき、自分の両手には銀がちりばめられたルビーの指輪をたくさんつけている夢をみた。指輪には黄金の指輪もあって、それぞれの指に二つの指輪を付けており、両手の指にいっぱいつけてあった。これは師父が励ましてくれていると分かった。私は、「苦をなめ難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正しい法理です」(「最後になればなるほど、精進すべき」)という師父のお言葉をしっかりと心に刻まなければならないのだ。

 今、私は自らグループ学法に参加し、法を読もうと思っている。続けて10ページ読めるようになり、みぞおちも痛くなくなり、読むときは非常に流暢になり、皆が一緒でとても穏やかである。師父の済度および同修の幇助に感謝したい。私たちは一緒に法の中で精進していきましょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/2/115637.html