日本明慧


甘粛省平安台強制労働教養所での酷い拷問(ニ)(写真)

 【明慧ネット2005年11月21日】平安台強制労働教養所は99年の7月20日以来、甘粛省の法輪功学習者が迫害を受ける一つの主な場所となった。そこでは、既に何百名の学習者を監禁しており、多くの警官が麻薬常用者らと組んで学習者に対して、睡眠を奪い、重労働を大幅に増やして、また様々な拷問を行い、学習者たちの精神に苦痛を与えてきた。

 9.「手錠を掛けられたまましゃがむ」: 手錠で両手を背中で固定して、手錠がかけられたまま更に壁などの低いところにしゃがませる。このような拷問を受けた人は立つことができず、しゃがむこともできない状態になる。この刑を受けた後、腰や足や腕に激しい痛みが走るという。

 

 10. 「足、胸部を蹴る」

 ① 学習者の足を思いきり強く蹴る。これを受けた学習者はその後ほとんど歩けなくなるという。

 

 ② しゃがんでいるか、あるいは座ったままの学習者の胸部を、足で思いきり強く蹴る。強く蹴られた学習者は呼吸困難に陥り、両眼が暗くなり、嘔吐して、しかも胸部が濃い紫になった。

 

 11.「吊りベッド」: 学習者の両手を背中に回してベッドの頭の所に固定して、両足を真っ直ぐに引っ張って、もう一つのベッドの頭に縛って、体を床につかないようにする。その時、悪らつな警官らは足で二つのベッドを蹴って、ベッドとベッドの間の距離を少しずつ広げていく。この刑罰を受けた学習者は、全身の筋と股関節が強く引っ張られるために、激しい痛みを感じて、数ヶ月後になっても、両足と両手はなお痺れを感じるという。更に、手首と足首が潰瘍になったケースもあった。

 

 12.「両手を広げて吊り下げる」: 両手をぴんと広げて縄でそれぞれ両側に縛って、「大」という字に立たせる。このように、食事の時間や一日一回トイレに行く時以外に、10日間もずっと縛られて、睡眠を取ることさえさせてくれない。この刑を受けた人は縄を外された後、全身が激しく痛み、両目が青く腫れているために、物がはっきりと見えず、しかも幻覚を見るという。

 

 13.「腰掛をまたぐ」: 学習者の両足の間に2つ、あるいは3つの腰掛(背もたれのない細長くて低い椅子)を入れて、長時間立たせる。この刑を受けた後、両足の筋肉に痛みが走るという。

 

 14.「箸で手に穴をあける」: これは、学習者の二本の指の間に一本の箸を挟ませて、一人の悪らつな警官は、箸を挟んだままの学習者の二本の指をきつく握って、もう一人が両掌で箸を速く回すという酷い拷問である。更に、このように拷問されて指の間の肉が腐ってしまっても、また別の二本の指に換えて、箸を回し続けるという。この拷問を受けた人は激痛に襲われて、両手の指が腐ってしまう上、痛みで物を掴むことができなくなる。両手の傷が治ってからも、まだ痺れが何ヶ月も残ってしまうという。

 

 15.「頭をぶつける」: 学習者の両腕を二人でそれぞれ掴まえて、力を入れて学習者の頭を壁にぶつける。この拷問を受けた学習者は目の前がしきりにちらちらして、頭がひび割れるように痛く、頭のてっぺんが青くはれ、しかも耳鳴りがして、一週間が経ってから、ようやく少しずつ治っていくという。

 

 16.「口を塞いで乱暴に殴る」: これは、学習者の両腕を背中に回して縛ってから、口の中に悪らつな警官らが使って臭くなった靴下を入れて、口を塞ぎ、思いのままに学習者を酷く殴るという拷問である。殴られた学習者はその後、全身がひどく腫れてしまうという。

 

 平安台労働教養所で、他に法輪功学習者に対して行っている迫害の手段は、まず一つ目は「長期に睡眠を取らせない」ことである。かれらは学習者に対して毎日2時間ぐらいの睡眠しか取らせないのである。その上、1、2ヶ月も昼間には強制的に過重労働を続けさせる。学習者は心身両面で苦しめられる。

 二つ目は、軍人のように厳しく訓練をさせる。これは過重労働をさせない代わりに、毎日歩かせたり、走らせたり、歩調を取って歩かせたりするということである。また、ある時は、片足を引き上げて、もう一方の片足だけで立たせる。一定の時間が経ってから、引き上げられた片足を下ろして、もう一方の片足を引き上げて立たせる。これが毎日6、7時間も続くという。もし、学習者の立ち方が少しでもくずれたら、すぐ罵られるのである。

 三つ目は、いわゆる「全体再教育」をするということである。教育を口実にして、実は学習者の人格を辱めるのである。多くの麻薬中毒者は隊長に唆されて、学習者に対して罵しる。「全隊の教育授業」とは、隊長らが師父と学習者を思いのままに辱めて、しかも麻薬中毒者が学習者を憎むように、でっちあげを広めるのである。

 平安台労働教養所の悪らつな警官らは、人間性が少しもない、様々な酷い迫害の手段を使って学習者を迫害してきた。学習者の馬躍芬さんは、労働教養所に入って間もなく、悪らつな警官である徐万軍と連進財に唆された馬成林などに、足骨が骨折するほどひどく殴られたという。しかも、骨折が治っていないのに、馬さんは一週間の労働を強制された。その後、馬さんの足がますますひどく腫れていくのを見て、ようやく馬さんを教養所の病院に連れていったのである。しかし、連進財らは馬さんの家族に訴えられるのを恐れて、責任を上司に押し付けて、「上の人に言われたからやった、俺と関係ないから、訴えないでくれ」と話した。

 連進財は、以前三大隊のニ中隊中隊長を務めた時、残忍な方法で数多くの学習者を迫害してきた。連の妻・胡も女子中隊長であったとき、同じく多くの学習者を迫害していた。胡は学習者である侯有芳さんを殴って死亡させた後、侯さんが逃げた時転倒して亡くなったと嘘をついた。その時、胡が侯さんを殴ったのを見た人がいたが、教養所の管理課は嘘を言わせるように、その人たちに何百元のお金を渡した。これは、われわれが農作業をさせられたとき、事情を知っている人から聞いたのである。胡はその後中隊長から外されたという。

 法輪功の真相が社会に理解されつつある今、学習者に対する迫害は公から、密かに行うようになった。悪らつな警官らは、「教育、感化、救い」というスローガンのもと、学習者に対して精神的な迫害を行っている。更に、学習者が彼らに従わないとき、彼らはすぐ邪悪な本質を現わし、学習者を乱暴に殴る。時には、一つの狭い部屋に閉じ込めて、両手を手錠で掛けてから、吊り上げ苦しめるのである。このように体と精神を苦しめられて、空腹になった学習者に対して、悪らつな警官らは同情を装って、麻薬中毒者に学習者の足や腕をマッサージさせたり、食事を持ってきて食べさせたりする。このようにして、ある学習者たちは悪らつな警官らに騙されて妥協してしまうのである。

 六大隊指導員の徐万軍は、学習者を迫害したことをネット上で報道されても、恥ずかしく思うどころか、逆に自慢している。彼はよく「再教育授業」で、麻薬中毒者が学習者のことを恨むように、でっちあげを広めている。六大隊副大隊長の王は、大いに学習者を迫害したので、普通の隊長から副大隊長へ昇進した。副大隊長になったその日から、王は学習者への迫害を更に酷くした。彼はしばしば学習者を罵ったりして、元四大隊、今六大隊の学習者をよく迫害した。六大隊指導員である韓喜明は、以前三大隊ニ中隊の学習者に対してよく迫害を行っていて、頻繁に学習者を辱めた。六大隊の悪らつな警官である李文輝も、「おとなしくしない者に、俺はいろいろやる方法があるぞ!お前らの布団の下に何枚かの経文を入れたら、お前はここで更に半年延長される。あるいは、お前らを縛ってから十分間吊り下げるぞ!これ以上の苦痛はないだろうな」とよく言った。学習者の白貴祥さんは妥協を断ったために、李が開いた「反省会」でひどく辱められた。

 学習者の司永前さんは、「大」という字のように、悪らつな警官らに両腕をそれぞれ両側で縛られて、十何日間も吊り立たされた。司さんがそこから外された後、目が腫れて、物が見えず、しかも幻覚が見えたという。悪らつな警官の馬成祖は、いつも人前で司さんを罵っていて、絶えず司さんを蹴ったり殴ったりしていた。それでも、司さんはいつも馬に微笑みを返した。それを見た麻薬中毒者たちですら、「この人は優しすぎるよ」と話していた。また、大法弟子の陳剛さんは、毎日2時間しか眠らせられず、昼間にはいつも過重な労働を強制されて、夜帰ってきたら部屋の隅でしか座らせられずに、四ヶ月も迫害された。

 教養所の管理課は警官たちから虐待されたかどうかというアンケートを行った。学習者の王淑坤さんは虐待されたと返答した。そのために、王さんは一ヶ月の間に隊長に毎日6、7時間ぐらい走らされて、長く立たされた。教養所管理課の警官らと隊長らとは同じ仲間であった。

 全ての法輪功学習者は不法労働教養されていた間に、トイレに行くにも報告がなければトイレにいけないほど、全く自由がなかった。しかも、隊長の唆しの下に、部下の警官たちは、思いのままに学習者を罵ったり殴ったりする。妥協しない学習者は要注意人物とされ、もし学習者がそこで真相を伝えれば、すぐ取調室に連れ去られて、何日間も拷問を受けるという。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/21/114924.html