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驚くべき「正体不明の薬物」(写真)

 【明慧ネット2005年11月16日】(記者=黎鳴)山東省平度市の「610」洗脳センターで、法輪功学習者・張付珍さんは、警官にベッドの上に「大」の字に縛り付けられたため、ベッド上で用を足すしかなかった。

 目撃者によると、張付珍さんの衣服はすべて剥ぎ取られ、髪の毛もすべて切り落とされ、辱めを受けた。そして、何らかの薬物注射を打たれ、直ちに狂ったかのようにもがき始め、そのままベッドの上で悶絶し死亡した。その場に居合わせた「610オフィス」の官員らは、一部始終を監視していたという。

 張付珍さん(女性、38歳)は、山東省平度市現河公園の元従業員であった。彼女は2001年、山東省平度市「610」洗脳センターに連行され不法監禁された後、二度と帰ることができなかった。

 ナチス収容所の毒ガス室はすでに存在しなくなったかも知れないが、中国共産党が法輪功を迫害する中、毒薬物を使い、学習者を不具にさせ、さらに虐殺することは、しばしば発生し、その残忍さは驚くべきものであった。「正体不明の薬物」と「中枢神経」という言葉を明慧ネットで検索をかけると、関連報道は合わせて800数件にも達した。この六年余りの中国共産党が法輪功を残酷に迫害する中、張付珍さんのような、「正体不明の薬物」によって苦しめられた中国の法輪功学習者は、数千人にも達した。 

 法輪功は佛家の修煉大法で、修煉者が五セットの功法を煉ると同時に、心性の修煉をさらに重んじ、「真・善・忍」に従い心性を修め、本当の良い人になろうとする。これは個人にも、社会にも、国家に対しても、百利があって一害もないものである。法輪功は現在すでに世界80近くの国家と地区に伝え広められている。世界各国の政府機構、議員、団体組織が、法輪大法と法輪大法の創始者に授けた表彰と奨励はすでに1337項に達した。 

 中国共産党の暴政に統治されている中国だけで、善良な罪のない学習者がこのような非人間的な迫害を受けている。 

 2004年5月に、「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG)と「中国精神衛生観察」(CHMHW)は、中国共産党が「精神科治療」で、精神の正常な法輪功修煉者を迫害することについて、追跡調査を行った。その結果によると、これらの迫害実例は中国の23省市自治区に分布し、少なくとも百カ所の精神病院が迫害に加担した。数千人の法輪功学習者は不具になったり、精神異常になったり、さらには死亡した。このような悲惨なことが中国の民衆の身の回りで発生し、21世紀の今日なお発生している。 

 * 山東省の18歳の少女・郭雪蓮さんは「正体不明の薬物」により精神異常となった

 郭雪蓮さん(女性、1982生まれ)は、山東濰坊昌邑市丈岭鎮郭家上疃村に居住している。小さい時から聡明利発で、純真でかわいく、学習成績がずっと優れていた。学校で先生とクラスメートからいつも好評を得ていた。1998年両親と周囲の人が法輪功を学んで心身とも受益したのを見て、郭雪蓮さんは法輪功の修煉を始めた。修煉した後、郭雪蓮さんは各面においてすべて良くなった。

 1999年7月20日に法輪功が弾圧された後、雪蓮さんは政府が法輪功の真の状況を知らないためだと思った。そして2000年5月に、18歳の雪蓮さんは誠意をこめて、北京へ政府に法輪功の真実の情況を伝えに行ったが、結局警官に逮捕され地元に護送され監禁され、また6000元のお金を支払わされた。

 2000年10月国慶節の間、雪蓮さんは再び北京へ陳情に行った。当時、北京の学習者・趙昕さんは、北京の警官に迫害され命が危篤に陥っていた。雪蓮さんは他の学習者と一緒に趙昕さんの世話をしていた。趙昕さんは2000年12月11日に冤罪が晴れないまま死亡した後、雪蓮さんは北京の街頭でビラを配り、趙昕さんが迫害され死亡した真相を人々に伝えた。間もなく雪蓮さんは逮捕され「北京派出所」に監禁され、その後労働教養に処せられ、北京大興県新安女子労働教養所に送られた。

 労働教養所で、警官は法輪大法を中傷するテレビを見るよう雪蓮さんに強いた。雪蓮さんはそれを拒否し、「法輪大法がよい」と大声で叫んだ。直ちに数名の警官がとり囲み、雪蓮さんを殴り倒し、体に乗ったり、腕をねじったりして、ひどく殴打した。警官の趙磊、白某某などは雪蓮さんを縛り、四本の電気棒で同時に電気ショックを与えた。雪蓮さんの頭は電気ショックにより二カ所が破れて出血し、傷口が化膿し二年かけてやっと治癒した。

 その後、悪らつな警官は郭雪蓮さんに強引に「正体不明の薬物」を注射し、また彼女のご飯に得体の知れない錠剤を入れた。数ヶ月後、郭雪蓮さんは精神異常となった。

 2001年の5月1日に、新安労働教養所は、郭雪蓮さんを迎えにくるよう郭雪蓮さんの家族に連絡した。郭雪蓮さんの父は山東省昌邑から遠路はるばる労働教養所にやって来たが、雪蓮さんに会うと、目の前の悲惨な光景に驚き呆然とした。雪蓮さんは顔に表情がなく、話もせず、目の動きが鈍く、足首が腫れており(足かせをつけられたせいだと思う)、頭の二カ所に髪の毛がなく、まだ血痕が残されていた。雪蓮さんの父は胸が刺されたように痛み、昔の活発でかわいい娘であるとどうにも信じられなかった。

 北京から家に帰る道中、郭雪蓮さんはずっとぼんやりとして話もしなかったが(新安労働教養所を出る直前に、悪らつな警官に安定剤を注射されたかもしれない)、家に帰って間もなく、彼女は精神症状が現れ、大声で叫んだり、みんなの前で服を脱いだり、さらにパンツまで脱いでしまった。

 雪蓮さんの両親は、かわいい娘は真実のことを言っただけで、こんなに迫害されたことを見て、胸を刺されるような思いをし、涙が止まらなかった。

 ここ何年来、雪蓮さんはいつもむやみに走ったり跳んだり、話もしどろもどろであった。ときどき服を全て脱いで真っ裸になる。ややもすれば他人を殴ったりののしったりし、両親にさえ殴ったりののしったりする。両親は雪蓮さんの世話を見ながら、一つ又一つの耐え難い日夜を過ごし、母親は毎日涙が止まらなかった。


 *「正体不明の薬物」により精神異常となった一部の実例

 王冬梅さん(女性、30数歳)は、河北省衡水市武邑県某鎮の教師であった。2001年に地元の「洗脳センター」で洗脳を強いられ、その後労働教養に処せられ、石家荘労働教養所五大隊に送られた。そこで王冬梅さんは残虐な拷問の苦しみと精神迫害を受け尽くし、例えば、縄できつく縛られる、電気棒で電撃される、寝させない、長期間の隔離などの刑罰を受けた。警察がいろんな手段を使用しても彼女の信仰を変えることはできなかった。王冬梅さんは強引に精神病院に送られ、「正体不明の薬物」を注入させられた。王冬梅さんは重病のため一時出所で家に帰った時、意識がぼんやりとし、行動も遅く反応が鈍くなり、たくさんのことが思い出せず、記憶が衰えてきて、痴呆になった。家族は「どのように精神病院に送られたか」と聞くと、「何も知らない」とゆっくりと答えた。「精神病院で何をされたか」と聞いたら、「薬を飲まされ、注射をされた」と、またゆっくりと答えた。王冬梅さんの両腕に細い縄で縛られた時残された傷跡が見える。王冬梅さんは長期にわたり意識がぼんやりし、2004年3月12日に池に落ち死亡した。 

 于桂貞さん(女性、55歳)は、山東省平度市城関事務所の寮に住んでいた。于桂貞さんは法輪功の修煉を始めた後、長年の持病がいつの間にか無くなり、元気に満ち、おおらかで人に親切で、とても勤勉な人になった。知っている人から「まったく生まれ変わったようだ」と羨まれた。法輪功への迫害が始まった後、于桂貞さんは「610事務室」の人員と警官に何度も残虐な拷問をかけられ強制洗脳されたが、依然として修煉を堅持し、法輪功の真相を伝えたため、代玉剛をはじめとする平度市「610事務室」人員に、同和精神病院に連行された。そこで毎日ベッドの上に「大」の字に縛り付けられ、強引に「正体不明の薬物」を飲まされ、中枢神経を破壊する薬を注射された。そのため、于桂貞さんは自分をコントロールできなくなり、目の動きがにぶく、口がゆがみ、よだれを絶えず流し、一日中眠気がし意識がぼんやりとなった。その後、家族は警官に1万元を支払い、于桂貞さんを家に連れ帰った。家に帰った後も、于桂貞さんは体中が痛くてたまらず、片足をびっこを引きながら歩くようになり、痛みにより毎日ベッドの上で寝返りを打っていた。それにもかかわらず、警官はいつも家をかき乱しに行き、脅かしたりした。于桂貞さんの夫は恐れて他人と接触することすら怖く感じた。2003年11月13日に于桂貞さんは死亡した。平度市「610事務室」のある男性警官は、于桂貞さんが「精神病院に送られ、その後首をつって自殺した」ことを認めた。

 黒竜江省阿城市玉泉鎮の農民・鞠亜軍さん(男性、33歳)は、体がとても健康で、人柄も良くて、おとなしい人で、みんなが認める良い人であった。彼はただ「真・善・忍」を堅く信じたため、ハルビン長林子労働教養所に不法監禁された。彼は迫害に抗議するため断食を始めた。2001年10月21日午後、鞠亜軍さんは長林子刑務所の診療所に運ばれ、乱暴に食物注入をされ、同時に「正体不明の薬物」を注射された。そのため鞠亜軍さんは頭を持ち上げることができなくなり、意識がぼんやりとして、口をいつも大きく開けながら喘ぎ、話をするのは困難になり、腕を指しながら「注射、注射……」と絶えず言っていた。労働教養所は責任を負いたくないため、2001年10月24日に彼を家に帰した。2001年10月26日朝4時18分に鞠亜軍さんは70代の父親と幼い子供を残し死亡した。まだ33歳だった。 

 

 黒竜江省佳木斯市の法輪功学習者・呉春竜さんの場合

 呉春竜さん(男性、30歳)は、黒竜江省佳木斯市の法輪功学習者であり、修煉する前には、深刻なリューマチ性関節炎を患い足が腫れて歩くことができなかったが、法輪功の修煉を始めた後体が健康になり、病気が無く体が軽くなったことを実感した。法輪功が弾圧された後、呉春竜さんは善の心により、二回も北京に行き、法輪功のために声を上げたが、中国共産党より非人間性的な迫害を受けた。

 呉春竜さんは1999年11月と2003年10月に相前後して二回も不法に三年の労働教養に処せられ、佳木斯市労働教養所に監禁された。労働教養所で呉春竜さんは煉功したため、「老虎凳」(刑具の一種)に七日間も座らされた。呉春竜さんはこの理不尽な迫害に抗議し断食を始めた。労働教養所の警官・劉洪光、楊春竜などの7、8人が呉春竜さんに、乱暴に食物注入し、さらに食物に「正体不明の薬物」を入れた。数日後、呉春竜さんは人事不省となり、大小便が垂れ流しになった。七、八日間の後、呉春竜さんのひざから腰までの筋肉は麻痺して感覚がなく、足が動けなくなり、胸が冷たく、頭が鈍く、思惟がなく、骨と皮ばかりにやせこけてきた。それでも、労働教養所の悪らつな警官は呉春竜さんを迫害し続けた。人事不省となった呉春竜さんを「水房」(注:水房はお風呂場ではなく、大勢の人が同時に顔を洗ったり、歯を磨いたりできる多くの蛇口が設置されている場所)に引きずり冷たい水を呉春竜さんにかけた。他の受刑者・王福は、悪らつな警官に指図され、大便をつけたタオルで呉春竜さんの口を塞ぎ、人事不省となった呉春竜さんは、いつも口の中のタオルで息ができず目が覚める。 

 2005年4月30日、呉春竜さんは危篤状態に陥り、労働教養所の悪らつな警官・楊春竜と刁玉坤は、タクシーで呉春竜さんを家に送り帰した。家族に渡す前に、悪らつな警官は家族を騙して、呉春竜さんの父に「呉春竜さんに何かあったら家族がすべての責任を取る」という保証書を書かせた。良心のない警官はまた家族に5000元のお金を要求した。呉春竜さんの家はこの数年来不法監禁された息子に会うため、すでに2万元近く支払ったため、お金がなかった。でもやはりあっちこっちで300元を集め悪らつな警官に渡した。 

 

     亡くなる一週間前の呉春竜さん 2005年8月20日午前2時、呉春竜さんは冤罪が晴れないまま死亡

  呉春竜さんは冤罪が晴れないまま死亡 亡くなったとき骨と皮ばかりにやせこけた呉春竜さん

 家に帰ってきた呉春竜さんは骨と皮ばかりにやせこけて、ねこぜになり、意識がぼんやりし、目の動きがにぶく、顔に表情がなく、父親さえ分からなくなった。顔色が青白く、顔の左側は右側より大きく見え、片方の目が充血しており、殴打されたことによるものだと明らかに分かる。親友から話をかけられても、反応がなく、思惟もなく記憶もないようだった。呉春竜さんは2005年8月20日朝2時頃に冤罪が晴れないまま死亡した。まだ30歳だった。


 *  林鳳さんは成都龍泉驛女子労働教養所で「正体不明の薬物」を注射され腎臓が壊死し死亡

 林鳳さん(女性、36歳)は、四川省南充市順慶区舞鳳鎮四村九組に居住していた。2002年12月30日に、林鳳さんは、順慶区馬市鋪で法輪大法の真相資料を配ったところを、順慶区長征路北城街道事務室、順慶区国安局の悪人・杜某某などに連行され、ひどく殴打され家宅捜査をされた。その後、林鳳さんは、順慶区法院で三年の労働教養に処せられ、四川省成都龍泉驛女子労働教養所に監禁された。林鳳さんは法輪功の修煉を堅持し煉功したため、強引に「正体不明の薬物」を注入され、腎臓が壊死し、意識がぼんやりし、体中がむくみ何度も意識不明になった。 

 

                  四川省南充市の大法弟子・林鳳さん

 2005年5月18日、林鳳さんは迫害により息をすることも困難になったため、労働教養所は、林鳳さんを南充市に送還することにし、署名をして林鳳さんを家に連れ帰るよう林鳳さんの夫を脅迫した。林鳳さんは、直接南充市川北医学院入院部腎臓病科に送られ救急治療を受けた。その間、国安、610悪党警察は彼女に対し24時間監視を行っていた。 

 昏迷状態に陥り治療を受けていた林鳳さんは、たまに目を覚めると、「私は病気ではない。悪らつな警察に迫害された。ここは私がいるべきところではない。私は家に帰る」と言った。林鳳さんは、また目撃した四川省成都龍泉驛女子労働教養所の残忍さを暴露した。そこでは悪らつな警官は修煉を堅持する大法弟子を地面で引っ張り回し、大法弟子の服がすりきれ、全身が傷と血だらけになり意識不明になってしまう。学習者は、そんな残酷な迫害を受け、互いに見るだけでも心を刀で刺された感じがし、すぐ涙がぼろぼろ出てしまう。林鳳さんを家に送還した悪らつな警官は彼女の家族に「林鳳は労働教養所で全ての刑罰を受け尽くしたが、法輪大法の修煉は放棄しなかった。本当に頭が固すぎた」と言った。 

 林鳳さんは2005年7月26日朝、この世を去った。わずか36歳だった。林鳳さんが死亡した後、地元の悪らつな党支部書記・陳菊芳は、中学校に通っている林鳳さんの息子さんにも迫害の手を伸ばし、林鳳さんの母親に言った。「あんたの孫は今後学校に行くことができない。母親が政治犯だったからだ。彼の登校を許可しないように学校の先生に言っておく」といった。

 * 元重慶市栄昌県副県長・張方良さんは、強引に「正体不明の薬物」を注射されわずか数日で死亡 

 

                    重慶市大法弟子・張方良さん

 張方良さん(男性、47歳)は、重慶市栄昌県広順鎮に居住し、栄昌県副県長に勤めていた。「真・善・忍」を修める大法弟子として、張方良さんは賄賂を受けず、外食の時も全部自分のお金で支払い、公正かつ清廉な人柄は、栄昌県の幹部と民衆の誰にも認められていた。 

 2001年10月6日に、張方良さんは重慶市銅梁県で真相の資料を配っている時連行され、相前後して重慶市公安局、銅梁県留置場に不法監禁された。彼は心身とも残虐な迫害を受けた情況においても、接するすべての人に真相を伝えた。2002年6月に体の状況が更に深刻になり、字を書くことができなくなった。彼は他人に代筆してもらい家族に最後の手紙を書いた。家族が手紙を受け取った後、7月3日に銅梁県留置場に駆けつけ、張方良さんと面会するよう強く要求した。当時張方良さんは四人の囚人に支えてもらい家族と面会した。四肢がむくみ、立つこともできず、動きがにぶく、手は字を書くことができない、ただ思惟がはっきりし、大声で話をすることができた。親族は保釈を求めたが、銅梁県政治法律委員会の副書記・劉安学は「連絡を待っていて」と家族に言った。7月8日、張方良さんの妻が再び銅梁県政治法律委員会を尋ね、返答を待っていた。しかし同時に張方良さんはすでに銅梁県病院に運ばれ、強引に「正体不明の薬物」を注射された。家族が病院に駆けつけた時、張方良さんはすでに意識がぼんやりとし、自分の妻さえ分からなくなった。妻は悲しみ憤り「夫になにかあったら、あなたたちは責任を負ってください」と銅梁県の政治法律委員会「610事務室」の人に言った。銅梁県政治法律委員会「610事務室」の人は急いで薬の注射をやめ、慌てて張方良さんを家族に帰した。 

 張方良さんが家に帰った後、呼吸が困難になりますます悪化し、当日の夜11時頃家族は張方良さんを栄昌県人民病院に運び緊急措置をとった。翌日(2002年7月9日)午前7時に張方良さんは永遠に呼吸が停止した。

 張方良さんの妻は悲しみが極まり、情況を栄昌県長・李啓松に訴え、正義を主張するよう求めた。しかし「法輪功を修煉する人なら、私達には何もできない」という返答だった。


 *  人間性のない邪党の書記は、毒薬で妻を殺害した

 

                 寧夏霊武市の法輪功学習者・陸紅楓さん

 陸紅楓さん(女性、37歳)は、もとは寧夏霊武市第一小学校の副校長兼教務主任で高級な教師であった。仕事に熱心で能力も優れ、教え方がずば抜けていたため、区の優秀教師、区の模範教師と称され、多くの栄誉を得た。 

 2000年3月に、法輪功学習者・陸紅楓さんは人民代表大会に上書し法輪功への迫害を停止する公開状に署名するよう呼びかけた。そのため市教育局によって停職処分にされた。また陸紅楓さんは大法の修煉を放棄しないと表明したため、さらに市教育局に除名処分をされた。 

 陸紅楓さんの夫・秦玉煥は、霊武市第一建設会社の党支部書記を務めており、党性は人間性に取って代わり、積極的に陸紅楓さんを迫害することに加担した。5月6日に陸紅楓さんを殴り家から追い払った。また寧夏霊武市精神病院の入院部主任・董芸、看護婦・陶志軍と結託して6月7日に陸紅楓さんを強引に霊武市精神病院に連行し、陸紅楓さんに非人間的な迫害を50数日間も続いて行った。 

 精神病院で陸紅楓さんは強引に病床に縛りつけられ、大量の中枢神経を破壊する薬物を注射され注入された。精神病院の一人の医者によると、ドイツから輸入したある薬は、普通の人が1錠を飲めば3日間も人事不省になるが、陸紅楓さんに毎日24錠を注入した。50数日間の非人道的な迫害により、陸紅楓さんは精神異常になり、体が極度に衰弱した。7月末に陸紅楓さんは釈放され家に帰ったが、まったく人間性のない夫の秦玉煥は、毎日陸紅楓さんに大量の神経を破壊する薬物を飲ませ、更に陸紅楓さんの精神と肉体を苦しめた。それにより陸紅楓さんは衰弱し、2000年9月6日にこの世を去った。

 人間性もなく良知もない秦玉煥は妻を殺害した後、新聞、テレビなどのメディアで、大法に対する悪辣な中傷と誹謗を行った。 


 * 山東省泰安裁判所は、弁護させないように法輪功学習者に強引に「正体不明の薬物」を注射

 2004年6月24日夜7時、山東省泰安市の法輪功学習者・宋富栄さんは、泰安の警官に泰山区迎勝派出所に連行され、二晩も徹夜尋問された後、泰安市留置場に不法監禁された。そして彼女は他の2人の学習者・宋其愛さん、瞿貝貝さんと一緒に泰山区公安支局の警官に目隠しされ、あるところに連行され自白を強いられた。悪らつな警官は、宋富栄さんの髪の毛を掴まえ強く壁にぶつけ、また残忍にも電気棒で宋其愛さん、瞿貝貝さんの首に電気ショックを与え、殴ったり蹴ったりし、苦しめ尽くした。彼女たちは断食し迫害に抗議すると、悪らつな警官は乱暴に食物注入をした。 

 2004年9月15日、泰山区裁判所は不法に開廷する前に、彼女たちが法廷で話せないように、強引に「正体不明の薬物」を注射した。 

 9月23日、泰山区裁判所は宋其愛さんに9年の、宋富栄さんと瞿貝貝さんにそれぞれ8年の懲役という不法な判決を下した。学習者が上訴した後、泰安市中級裁判所は不法に「元の判決に服する」と裁定した。彼女たちは済南市女子刑務所に送られる前に、裁判所はまた彼女たちに強引に中枢神経を破壊する薬を注射した。そのため、彼女たちは舌が硬く、痺れる感じがし、よだれを絶えず流し、話そうとしても何も話せなかった。 

 それから、宋富栄さんは体が非常に衰弱し、歩くときも他人に支えてもらわなければならなくなり、記憶が喪失し、村の名前、家の電話番号さえ思い出せなくなった。朝顔を洗う時、どれが自分のタオル、どれが自分の石鹸なのかをいつも覚えていない。宋其愛さんは目の動きがにぶく、家族さえ分からなくなり、何か聞かれてもただ頭を振るだけで、何も思い出せずに何も話せなくなった。瞿貝貝さんは三人の中で最もひどく迫害されたので、症状がそれよりはるかにひどいものだった。


 * 経済的利益の誘惑により悪質事件が頻繁に発生

 2004年5月国際人権組織の調査によると、「精神科治療」で精神の正常な法輪功学習者を迫害する事例は中国の23個省市自治区に分布している。中国共産党当局は経済的利益をもって誘惑し、このような違法で人間性の全くない悪質事件を、中国で頻繁に発生させた。ここでは山東省青島市の事件を例にする。 

 明慧ネット2005年1月6日の報道によると、青島市李沧区にある青島労働教養所は、20数名の法輪功学習者を不法監禁している。労働教養所の内部情報によると、「奨励金をもらうために、2005年上半期までに学習者を全員転化させるよう、各大隊に要求する。一人の学習者を転化させると3000−4000元の奨励金をもらえる」。上からの強い圧力で、奨励金の誘惑から、悪らつ警官はこれを政治と経済の資本を手にする手段とし、殴るなど残忍な手段で学習者を迫害する。 

 概算統計によると、99年中国共産党江沢民グループが学習者を迫害して以来、2004年末まで、青島地区(青島、莱西、平度、即墨、膠州、胶州、胶南、城陽、崂山などを含む)だけで、海外メディアに暴露されたものによると、迫害により死亡した学習者は23人もおり、不法に労働教養された法輪功学習者は1000人を超えた。47-60人は精神病院に入れられ強引に食物注入され中枢神経を破壊する薬を注入され、さらに電気針で刺されるなど残忍悲道な迫害を受けた。もっと多くの人は各地の洗脳センター、留置場に連行され、残虐な拷問を受け、洗脳され、恐喝され、巨額の罰金を課せられた。

 青島市崂山区の大法弟子・于仁美さんは法輪功を修煉したため、地元の悪らつな警官などに四回も精神病院に入れられ、何度も強引に中枢神経を破壊する薬を注射された。それにより于仁美さんは精神がぼんやりし、反応が鈍く、大小便を失禁し、毎日落ち着かず、精神が崩壊する寸前になった。

 ある日、看護婦は点滴するよう于仁美さんを強いた。于仁美さんは拒否すると、看護婦が「(点滴を)したくなくてもしなければならない」と憎々しげに言った。于仁美さんは「私には病気がないのよ、ただ法輪功の修煉を放棄しないだけで精神病院に送られた」と看護婦に言った。看護婦は「私もやりたくないが、家に老人と子供もおり、私は稼がなければならないのよ、こうしないと首になるから」と仕方なく言った。何人かの看護婦が于仁美さんの手をしっかりと押さえ、数人の精神病患者にも手伝ってもらい、于仁美さんに強引に点滴を打ち、また「正体不明の薬物」の入った針を注射した。間もなく于仁美さんは感覚を失ってしまった。 

 于仁美さん(1957年生まれ)は、大麦島村454番に居住していた。小さい時から体が弱く病気がちで、リンパ腺を患い、喉がいつも炎症を起こし、そのため微熱が続いた。結婚して1人目の子供が生まれ、産褥熱(産後の病気)に罹ってしまった。

 于仁美さんは結婚した後、生活が幸せではなかった。夫が不倫したため、夫婦げんかが絶えなかった。于仁美さんは失意のどん底に落ち、だんだん耐えられなくなり、ビルから飛び降り自殺しようとしたが、自殺未遂で足を骨折した。20日間後、やっと退院したが、自立できなくなった。1997年6月に、于仁美さんは家で休養していたとき、2番目のお姉さんが1冊の『転法輪』を送ってきてくれた。それから于仁美さんは修煉の道を歩み、3ヶ月たたないうちに、病気が自然に治った。

 大法が弾圧された後、于仁美さんは他の学習者と一緒に北京に陳情に行き、大法のために正義の声を上げた。不法に逮捕され、四回も精神病院に送られ迫害を受けた。

 聞くところによると、崂山区「610事務室」は良い人を迫害して「功労」を立てたため、江沢民邪悪グループに乗用車一台を褒賞として与えられた。于仁美さんのいる大麦島村は「村にはただ1人の精神病患者だけが法輪功を修煉している」と上に嘘をついたため、「先進文明村」と評され、賞励金23万元を入手した。大麦島村の派出所、崂山公安支局、崂山「610事務室」は学習者を迫害したため、賞励金を取得した。

 * 「正体不明の薬物」を使い法輪功学習者を迫害する事件はいまだに発生している

 中国では、「正体不明の薬物」を使い法輪功学習者を迫害する事件はいまだに発生している。明慧ネット2005年6月25日の報道によると、高蓉蓉さんの救援に参加した数人の法輪功学習者は危険にさらされている。女性の学習者は、董敬哲さん、張麗栄さん、馬廉暁さん、董敬雅さん、隋華さんなどがいる。男性の学習者は、孫士友さん、劉慶明さん、馮剛さん、馬玉平さん、呉俊徳さんなどがいる。彼らには長期にわたり行方不明になった人もいれば、迫害され危篤状態に陥った人もいる。 

 董敬哲さん(32歳)は、孫士友さんの妻、馬廉暁さんの娘で、広告デザイナーであった。現在馬三家労働教養所に不法監禁されており、断食して抗議しすでに2か月になった。「正体不明の薬物」を点滴された後、半身不随になり、自立した生活が全くできなくなった。6月23日に、家族が馬三家労働教養所へ董敬哲さんとの面会を求めたが、馬三家労働教養所の、董敬哲さんを担当する警官は「董敬哲は現在すでに動けなくなり、目さえ開くことができない。断食しているから」と言った。 

 張麗栄さんは不法に派出所に連行された後、警官に強引に「正体不明の薬物」を注射された。そのため、張麗栄さんは頭がずっとくらくらするようになり、現在馬三家労働教養所に不法監禁され迫害を受けている。

 隋華さんは、現在馬三家労働教養所に不法監禁されている。派出所に監禁された時、警官に「正体不明の薬物」を注射された後、足がずっと痛み、歩くことも困難になった。もう一人の学習者・鄭守君さんも強引に「正体不明の薬物」を注射されたことがある。 

 

董敬雅さんと母の馬廉暁さん       孫士友さん 孫士友さんの妻・董敬哲さん

                           * * * *

 21世紀の今日に起きたこの一つ一つの悲惨なストーリーは歴史に刻まれ、人類の記憶に永遠に残り、将来の人々に教訓を与えるでしょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/16/114634.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/11/30/67410.html