日本明慧


法の上で根本的な執着をはっきり認識し、放下する

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年11月18日】個人の修煉段階および正法修煉に入ってから数年、法を学ぶ間、私は『転法輪』の中の「これらの事情はわれわれがみなうまく調整してさしあげなければなりませんし、良い部分は残して、悪い部分は落としさり、今後、修煉できるよう、あなたに保証いたしますが、それは真に大法を学びに来る人にしか、してさしあげられません。もし、あなたが各種の執着心を抱いたまま、功能を求めにきたり、病気治療に来たり、理論を聞きかじりに来たり、あるいは何らかの良くない目的を抱いたままであるならば、これはみな、おこなわないのです」(『転法輪』第四講)という法については、何度も数え切れないほど学びましたが、ずっと理解できませんでした。大法の修煉を始めた時に、自分は何も考えを持っていなかったので、師父がおっしゃたような執着心を抱いて大法に入った人たちとは違っていると思っていました。2000年6月に師父の新経文『圓満成就に向かって』が発表され、それを学んだ後に、私は自分自身に照らし合わせてみました。自分自身の根本的な執着を認識することは極めて厳粛なことであり、重要であると感じました。しかし、その時、自分自身の根本的な執着を見極めることはできませんでした。特にその後、法を正す道を歩んでいる時に遠回りをしてしまいました。教訓として、挫折の原因は根本的な執着がまだ取り除かれていなかったからです。当時、認識していた根本的な執着というのは概括すれば世の中の名、利、情と生命であり、すなわち私のため、自分のため、自身を守ることでした。具体的に自分自身の根本的な執着というのは何なのかをはっきりと認識できませんでした。最近、私は同修の「根本的な執着に関する討論」という文章を読んで、同修が法理を悟った後で、自分自身の根本的な執着を、大法の修煉を始めた時点から思い起こして探し出したのをみて、私は大変啓発されました。自分自身の根本的な執着を、よく考えて探し出すように促されました。

 私はまず新たに師父の『圓満成就に向かって』と『転法輪』の第一講「本当に高い次元へ人を導く」の中の前段の法を学びました。師父の講法はまるで私に対して話してくださっているようで大変感動しました。自分が確かに何かを求める心−根本的な執着心を抱いて大法の修煉を始めたことに気づきました。この根本的な執着が何年にもわたって私を悩ませていたのです。私の法を正すことへの精進を妨害しました。自分が法を得る前のことを振り返ってみれば、いつも情の中に溺れており、常人の名利のために生き、人に抜きん出る人生目標を追求しつつ、何をやっても他人を超えようとしていました。学生時代は自分の成績を一番良い学生のそれを上回ることを一生懸命に考えており、就職後も他人を超える名誉を求めていました。自分はずっとこれらの観念と執着を持っていることさえ知らずに法を学んでいました。最初、大法は仏法であり、佛を修めることであると知り、幼稚にも「自分が来た次元より高い次元に修めたい」と考えていました。名利を追求する心をすべて表しています。

 修煉とともに良くない考えと思想業力が出てきて、考えていることは、何かを得たいとか、何かを失いたくないとかです。自分はできるだけこれらの良くない考えと思想業力を抑えようとしていましたが、その根源が何なのかがはっきり分かりませんでした。最近、同修と交流し、突然悟りました。私の根本的な執着というのは、損をしない、損をするのを恐れる、より多くのものが欲しい、より良い生活を求めている、ということです。これらを達成する手段として修煉をしていたのです。同時にこの根本的な執着が私の普段の良くない考えと思想業力の根源であることが分かりました。

 自分の根本的な執着を認識したとたんに、頭の中の良くない物質が瞬間に解体され、良くない考えと思想業もますます弱くなったことを感じました。もし自分が過去の正法修煉の中で、しっかりと法を学び、心を修め、より早く自分の根本的な執着を認識し、取り除くことができていれば、旧勢力に隙につけ入られることも避けられ、自分の法を正す道に非常に残念な思いを残すこともなく、衆生を救い済度することにも重大な損失をもたらさなかったでしょう。自分の根本的な執着を認識してきた過程において、師父の弟子に対する洪大な慈悲と、弟子の悟りに専心されていることを深く感じました。私たち大法弟子は内心から本気で自分の根本的な執着を探し、精進の志が退かなければ、師父は必ず全力で私たちを助けてくださり、私たちは目的を達成させることができるのです。

 法の上でどのように自分自身の根本的な執着を見極め、そして放下すればいいのでしょうか? まず、師父の『転法輪』の教えに従って悟るべきです。「われわれが失うものは実際、悪いものにほかならないのですが、それは何なのでしょうか? ほかならぬ業力なのですが、それは人間のさまざまな執着心と一体関係にあるのです。たとえて言えば、常人にはさまざまな良くない心がありますが、個人の利益のためにいろいろと悪いことをして、この種の黒い物質——業力を得ることになるわけです。これはわれわれ自身の心と直接、関係していて、この良くないものを取りのぞこうと思うのであれば、まずはあなたのその心を改め正さなければならないのです。」(『転法輪』第四講 失と得)根本的な執着と観念はどういうふうに形成したのかを明白にすべきです。「人類社会の理は宇宙の中で逆になっています」「修煉者の場合、正しい理にしたがって修煉すべきです」「人間の執着と、法を証明し衆生を救い済度することを妨害する観念はみな、取り除かなければならないものです」(経文『最後になればなるほど、精進すべき』)ということをはっきり理解すべきです。同時に、「日々心を静めて法を学び、着実に修煉すべきである」(経文『圓満成就にむかって』)。 三つのことをしっかりと行っていく中、心を修め、自分の根本的な執着と観念に直面する勇気を持ち、根本的な執着と観念の異なった次元の表れを見極め、これらの執着と観念を直視し、抑制し、そして正すことで真に成し遂げていくことができます。また、旧勢力およびあらゆる邪悪な要素の妨害と破壊を徹底的に取り除き、全体の大法弟子とともに、よりしっかりと大法を実証し、衆生を救い済度し、迫害に反対する中、全体で向上し、昇華していこうではありませんか!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/18/114790.html