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大連市の法輪功学習者・李萍さんは、迫害を受け死亡した

 【明慧ネット2006年12月6日】遼寧省大連市の法輪功学習者・李萍さんは、「真・善・忍」の教えを守り法輪大法の修煉を堅持したことで、数回も不法に拉致や監禁されたことがある。李萍さんは、2回も大連市労働教養所で人間性を失った残酷な迫害を受けた。残酷な迫害を受け、全身動けない李萍さんに対し、悪らつな他の受刑者・張秀娟と謝小莉は、暑い夏、分厚い布団3枚で彼女を覆い、布団の中に虫を入れて彼女を刺すようにした。悪党の法輪功に対する長期間の不法な迫害の中で、李萍さんは2005年11月27日この世を去った。

 李萍(48歳)さんは、1998年から「真・善・忍」の教えを守り法輪大法を修煉し始めた。李萍さんは、1999年中国共産悪党が法輪功の迫害を始めてから、大法のことを実証し、人々に法輪大法の真相を伝えたため、何回も不法に監禁されたことがある。2000年1月、李萍さんは法輪大法の真相を伝えるため、上京して天安門広場で煉功した。そこで、悪らつな警官に不法に逮捕され、地元へ送られた。2000年4月、李萍さんは不法に大連市戒毒所で監禁され、強制的に40日間も「洗脳」を受けた。また、不法に拉致され姚家看守所で15日間も拘留されたこともある。

 2000年10月、李萍さんは不法に懲役3年の判決を受けた。その後、大連市労働教養院で残酷な迫害を受けた。彼女は、鉄窓の鉄杆に吊られたり、無理矢理りんご箱に詰め込まれたりした。また、3カ月後には馬三家労働教養所へ送られ、更なる残酷な迫害を受けた。李萍さんは、2002年7月、絶食4ヵ月間にわたる非常に危険な状況下で、保外治療を許可された。

 2003年2月27日、李萍さんは、姚家看守所に不法に監禁されている妹(元学習者、現在は邪悟している)に服を持って行った。悪らつな警官は服の中まで捜査し、服の中に隠した師父の経文を発見した。そこで、李萍さんは不法に逮捕され、再び懲役2年の判決を受け、大連市労働教養所で人間性を失った残酷な迫害を受けた。悪らつな警官は、李萍さんに対して肉体的な迫害を行ったばかりでなく、人格上でも彼女に対して汚辱を行った。李萍さんの髪の毛を全部カットして坊主頭にしたり、眉毛をカットしたり、下の毛を引っ張ったり、セクハラを行ったりし、様々な手段で、李萍さんに対して、人格上での汚辱を行った。このように口にも出せない悪事をいっぱいした悪人達であったが、「俺たちは政府のために仕事をしているから、俺たちが良い人なのだ」と恥知らずに口を揃えて言った。李萍さんの「真・善・忍」を守る志を放棄させるため、悪らつな他の受刑者・謝小莉は、警察隊長にそそのかされて、李萍さんの口に尿を入れたこともある。

 そこで、李萍さんは半年間も絶食で抗議を行い、2003年9月には、労働教養所から脱出することができた。それから邪悪の不法な迫害を人々に告げると同時に、法輪功の真相を人々に伝えて、世人を救い済度するため、李萍さんは真相資料を作り始めた。また、自分の家を小規模の真相資料点にした。特に、『九評共産党』が発表されると、需求量がだんだん多くなってきたので、李萍さんは一人で一週間に160冊以上も作成した。その他にも、李萍さんは他の真相資料や明慧週刊などを作成した。

 2005年9月中旬から、李萍さんは咳が出て、食事もできなくなった。また、食べた後にすぐ咳が出ると同時に、吐くようになり、体もだんだん痩せてきた。周りの人々は、李萍さんが労働教養所で、命に関わる残酷な迫害をも乗り越えることができので、この難をそんなに重視しなかった。しかし、李萍さんはその後、横になってベッドから起き上ることができなくなり、体重も55キロから35キロまで痩せて、2005年11月27日の午前9時にこの世を去った。生命の最後の瞬間にも、李萍さんは「たくさんの版はどのように製作するの?」と聞いたそうである。このように、李萍さんは、生命の最後まで、『転法輪』を必要とする人々の事を考えていた。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/6/115913.html