【伝統文化】お世辞を信じてはいけない
文/清言
【明慧ネット2005年11月14日】晏子(「あんし」・斉の名宰相)が、世を去って17年目のある日、斉の景公は、官吏たちと酒を飲んでいた。景公が矢を射たとき、的に的中しなかったのに、その場にいた大臣たちは、みな口をそろえて賞賛し歓声の声をあげた。斉の景公は、深いため息をついて、矢を投げ捨てた。
そのとき、弦章がやってきた。斉の景公は「弦章よ、私が晏子を失って17年過ぎたが、今まで私の弱点や過ちを指摘した者は、一人もいない。きょうは、私が射た矢が的中しなかったのに、皆は異口同音に賞賛したのだ」と彼に言った。弦章は「これは諸大臣が本当に賢くないのです。真の知恵が足りず、陛下の過失を見ようとせず、勇気が足りないので、陛下の威厳を犯してまで、陛下を諌められませんでした。陛下が何かの服がお好きだといわれれば、大臣たちもその服が好きになり、陛下が何かを食べるのがお好きになれば、大臣たちもこれを食べるのが好きになるのです。陛下は、お世辞を聞くのがお好きではありませんか」と答えた。
斉の景公は、この話を聞いた後「よし、今日は、あなたが君主で、私が大臣となろう」と言った。そのとき、漁夫が魚を贈り届けてきた。斉の景公は、五十台の馬車に積んだその魚を弦章に贈った。弦章が帰った後、彼に魚を送る馬車が道にあふれた。弦章は馬子の手を撫でながらこう言った「今日、歓声をあげた人たちは、これらの魚を手に入れるつもりなのです。以前には、晏子が恩賞を辞退するのは、ほかでもなく、ただ君主を助けるためなので、彼は君主の過ちを見逃すことは一度もありませんでした。今、大臣たちは、私利を図るために、阿諛迎合し、矢が的中しなくても口をそろえて賞賛の声をあげるようになってしまいました。きょう、私は君主を助ける業績があまりないのに、君主からの恩賞を受け取れば、これは晏子の道義に背き、君主に阿諛迎合することになり、私利を図るものとなりましょう」と言って、彼は魚を受け取ることを辞退し、恩賞を受けなかった。
おべっかや機嫌とり、阿諛迎合の話を信用すれば、人はごまかされ、正か、邪か、本物か、偽者かを見極めることができなくなり、或は独りよがりで、傲慢でわがままになる。従って、賢く、聖なる君主は、阿諛迎合する話を信用しないのである。古来、身を失い、国を無くした君主を見てごらんなさい。彼らの身辺には、阿諛迎合する小人が少なくなかったのである。
今の日常生活の中にも、多くの人々は、誠心誠意にせよ、口と腹が違うことを、自分の親戚、友達、或は同級生と顔を合わせれば、すぐさまお互いにお世辞を言い、おだて上げる。これも阿諛迎合することではないだろうか。誰でもお世辞を聞き、おだてられるのがすきで、自分をよく評価する話を聞けば、気持ちがいいことになるが、「良薬は口に苦いが病気に効き,忠言は耳に痛いが行いのためになる」という古人の名言を忘れてしまった。
これでも分かるように、他人がいくら阿諛迎合しても、これを本気に受け取ってはならない。「的に的中しなかった矢を、的中した」ことにすれば、自分を騙し人をも騙し、最終的に自分に害を与えることになる。我々自身が、阿諛迎合することを拒めば、他人も変わるであろう。従って、トラブルに遭えば、しばしば自分に原因を探し、自身からきちんとしなければならない。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/14/114121.html)
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