日本明慧


修煉者となり、明慧文章チェック者となっての体験
—— Becoming a Practitioner and a Polisher

 文/西洋人大法弟子

 【明慧ネット2005年12月7日】私は1998年に法輪功の修煉を始めたが、その時から、私の新しい生活が始まった。過去を振り返ってみると、自分がなぜこんなに遠回りして歩んできたのか信じられない。始まりは順調ではなかったが、私は自分がこのような所まで来られるとは想像もできなかった。しかし、現在、私はこれらのことを一気にはっきりさせる必要がある。まず、5セットの功法だが、最初これが法輪功のすべてだと思っていた。私は続けることができない。運動が好きな私にとって、これはまさに苦行であり、非常に困惑し、恥ずかしいことであった。確かに、これは続けられるかどうかの試煉であった。体も心も大きな障害にぶつかって、こうした状況が一年間続いた。

 西洋文化の中で一般の人には「修煉」という概念がない。最初、私は法を学ぶことに対して怖れていた。従って、私はただ一時的に好き嫌いで法を学んでいた。私の以前勉強した知識や常人の観念が大きな障害になった。しかし、師父は我々に教えてくださった。「皆さんがここにお座りになっていることは、すべてが縁によるものなのです」。これがなぜ私がずっと返本帰真を目指し、修煉を続け、煉功を続けたかの唯一の解釈である。私は煉功を学ぶのが遅く、進歩が非常に少ないのと同じく法を学ぶことも同じ状態であった。私は少しずつ法を学ぶことが煉功の鍵だと理解できるようになった。

 2000年前半にパソコンを持つようになってから、私は英語版の明慧ネットを見るようになり、このことが私の修煉の命綱となった。ここが私に見抜く力と力量を与えてくれた。私の心を温め、私を励ましてくれ、学習者が受けた迫害に私は鳥肌が立ち、涙を流した。私は毎日できるかぎり英語版の明慧ネットを見た。私が出張から家に帰って、いつもどおり明慧に掲載された以前の文章も見て、見逃したものを読むことができた。私は自分にとって特別意義をもつ文章を保存し、それらを読み返した。私は関連ある文章を同修や修煉するかどうか迷っている人に転送し、さらに自分が興味をもった文章を友達や家族にも転送した。またファイルを印刷してコピーし、家にパソコンがない人にも提供した。

 そして明慧文章をチェックすることを承諾したことが私にとって大きな一歩であった。しかし、私がこんなにたくさんのものを得た以上、どうにかして何かお返しできないだろうか? と思った。チェックの仕事は本当に言葉で表せないほどのメリットがあった。私が自分の仕事では考えられないほどの責任の重さに畏れをなし、それで私は一つの文章をチェックするのに何時間もあるいは何日もかかった。これらのすべてのことにより、私は法を学ぶことに対してもっと切迫した心境になり、法を学ぶことも容易になり、なぜ以前、自分はあんなに法を学びたくなかったのか分からないくらいだった。

 数年が過ぎて、明慧編集者の依頼で私は文章チェックの中心メンバーになった。この極めて貴重なチャンスとさらなる責任の重大さを大切にし、すべてをよく按排して自分にそれができることは分かっていた。「失うものなければ、得るものなし」。これは私がほかのことをやる時間を失うことを意味するが、それらのことはもはや私を引き付ける力はない。しかし、私が得たもの、この高尚な修煉環境を含めて、これは量り知れないものである。

 私の体験談を終える前に、私は皆さんにとっては普通であるが、私にとっては非常に意義のある比喩について分かち合いたいと思う。私が初めて明慧ネットのチェックをやって間もなくの頃、私は多くの人、多くの心がこのネットに注がれ、これを現実にしていることを知った。その時、ある言葉が私の頭に浮かんだ、「私は車輪の中の小さな歯車である」。私が修煉の中で何か困難にぶつかった時、この一念が出てくる。私は車輪の一部分、あの偉大なる法輪の一部分である。なぜなら、私は法輪大法のために話しをしている、私が大法の中で約束をしたためである。同時に、その神聖なる輪の一部分として、私の責任には善と忍が伴い、真を保つべきで、私は三つのことをよく行うことで、法を正す過程がもっと順調になるようにすべきである。

 必要であれば、私は私のすべての能力を尽くして明慧チェックを続けます。

 以上は私の私なりの次元の理解です。師父、ありがとうございます、同修のみなさん、ありがとうございます。

 (2005年明慧ネットスタッフ修煉体験交流原稿選択掲載)

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/7/115990.html