米暁征さん:不法に監禁され、すでに7ヶ月以上も経った
【明慧ネット2005年12月9日】石家庄市の法輪功学習者・米暁征さんは、2005年4月初めに他の学習者と一緒に裕華公安支局に強引に連行され、石家庄市第二留置場で約1カ月もの間不法に監禁された。その後、また邪悪な河北省会洗脳センターに送リ込まれ、すでに7カ月以上も経った。
現在、米暁征さんは個別に洗脳センターの2階に監禁されている。米暁征さんの母・喬文英さんは、中国共産党当局のうそを信じ、邪悪に協力して、極力娘を「転化」させようとした。邪悪は後ろ盾があるので何も恐れなかった。洗脳クラスは最初、米暁征さんの母親に付き添ってもらったが、その後「洗脳」の便宜を図るために、米暁征さんの母親を家に帰らせ、家族にお金を出してもらい、洗脳クラスの指定した人に米暁征さんに付き添ってもらうことにした。米暁征さんの家は豊かではないが、母・喬文英さんはしかたなく洗脳クラスに高額な費用を払い邪悪に一人娘を迫害させた。米暁征さんの父親は、なおさら真相が分からず、娘の悪口を言い、さらに娘を無視した。
米暁征さん(27歳・女性)は、石家庄市金馬団地腾飛園4-6-203に居住し、もとは重慶大学B区建築城規学院の96年度入学生で、98年から法輪大法の修煉を始めた。大法を修煉した後、学問、品行ともに優れ、成績は学年で一位になり、また大法の「真・善・忍」に従い自分を律するようになったので、品行善良なことで周りに褒められていた。
1999年7月から大法は弾圧された。9月に、米暁征さんは北京にある国家陳情所へ法律に基づき陳情に行ったが、連行され、重慶市駐北京事務所に監禁された。その後重慶大学に帰らされたが、洗脳クラスで1カ月も不法に監禁された。学校に帰ると奨学金の支給を停止させられ、不法に監視されるなどの迫害に遭った。重慶大学(B)区の当時の校長先生は祝家磷だった。
2000年秋、米暁征さんは再び重慶市政治法律委員会と重慶大学(B)区に、重慶大学の宿泊所で不法に監禁され、外部と遮断した「勉強会」で洗脳を強いられ、大法の修煉をするか学校に戻るかの二者択一を迫られた。一日160元の高額費用は米暁征さん本人に支払わせた。やむをえず米暁征さんは7日間断食して抗議した。そして、強制的に停学処分を受け、米暁征さんは家に帰された。当時、米暁征さんはすでに4年生で、あとわずか1年で卒業できたところだった。重慶大学(B)区はこのことを公にすることを恐れている。
2000年12月、米暁征さんは天安門広場へ大法を実証しに行き、横断幕を開いた後、広場で悪らつな警官に殴打され、北京市前門派出所に連行された。そして、そこでまたひどく殴打された。また北京市崇文区留置場に送られ、その後釈放された。
2001年1月1日、米暁征さんは再び天安門広場へ大法を実証し、平和的な請願を行った。天安門支局の悪らつな警官に意識不明になるまでひどく殴打され、その後、北京市門頭溝留置場に送られ、そこで11日間断食して抗議し釈放された。釈放された後やむを得ず流浪生活に陥った。
2002年夏、米暁征さんは河北省会洗脳センターに連行され洗脳を強いられ、残酷な拷問を受けてきた。悪人・趙聚勇、警官・袁書謙に無理やり酒を注入させられた。趙聚勇は、米暁征さんの目の中に紅花油(注:清涼感の強い軟膏)を塗り、米暁征さんの鼻、耳たぶ、腕などを力を入れてつねったりし、顔に紙を貼ったり、頭をタオルで包んだり、米暁征さんの人格の侮辱さえもした。悪人・楊傑はののしりながら、米暁征さんの耳を引っ張ったり、米暁征さんの頭をずっと殴ったりした。そして、悪人・邢潇は米暁征さんをトイレに行かせなかった(明慧ネット2002年10月15日「『河北省会法制教育訓練センター』の内幕を開く」文章を参照)。米暁征さんは釈放された後でも警官がいつも家に検問に来たりして、しかたなく再び流浪生活に陥った。
2005年4月初旬、米暁征さんは尖岭にある友達のところで、数人の学習者と一緒に裕華公安支局の警官・李軍などに連行され、再び悪名高い河北省会洗脳センターに不法監禁された。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/9/116171.html)
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