すべての念や行動を大法弟子らしくすべきである
文/成都大法弟子 【明慧ネット2005年12月11日】最初真相を伝える時、心の中にいろいろな考えがあった。この人は優しくなさそうに見え、私服の警官のようだから、真相を伝えても無駄で、告発されるかもしれない。あの人は優しそうに見えるから、でも他の大法弟子がすでに真相を伝えたかもしれないと思ったりした。法を学ぶことを通して、それらの考えは本当の私のものではなく、旧勢力の按配だったということを悟った。心性が向上してから、再び真相を伝える時に私はこう話した、「私達はお互いに知りませんが、あなたに伝えるのは、少なくともあなたを信頼しているからです。私はただ素晴らしい祝福を善良な人々に伝えたいだけです、『法輪大法は素晴らしい』と信じてください」。
ある日私は運搬用三輪自転車に乗って真相を伝えた。三輪車の運転手に退団するよう薦めた。しかし、結局彼は大声で言った、「私は脱退しない。私は共産党員だよ!」。そのとき私は穏やかに言った、「あなたが党員であることは知りませんでした。なぜ脱退したくないのですか?」。彼の語気が幾分か柔らいだ、「あなたが言ったことが信じられないから」。私は正念を発して言った、「現実の生活の中で、ある人は利益を何よりも高く見ています。あなたは何を求めているのですか? 私が言ったのはすべて真実ですよ。信じてください」。
彼は何か考えながら、微笑んでうなずいた。私は悟った、「私達大法弟子が真相を伝えるすべての相手はみな救える生命である」。大法弟子が行うべきことを行えば、その生命は理解できるはずである。
ある日、私は携帯の待ち受け画面に「真・善・忍は素晴らしい」と設定したが、翌日どうやっても表示されず、最初は人の観念が出てきてイライラした。携帯専門店に修理に出そうと思ったが、でもいつ行こうか? しばらくして、私のできている面が私を点化したかもしれない、正念を発しよう! そして私は両手で携帯を持って言った、「あなたも大法のために来た生命だから、『真・善・忍は素晴らしい』と認めるのは、あなたにとってもよいことであり、私も捨てたくないから」。数分後にやってみると、正常に表示できた。
普段足を組んで腰かけることがある。「足を組んで腰かけることは気持ちがいいことですよ」と旧勢力がそういう錯覚を私に与えた。私は自分に問いかけた、「大法弟子らしくしているでしょうか?」。個人の悟りで、これは小さなことにすぎないが、修煉者として自分を厳しく要求すべきである。言動を正し、衆生を済度することはよいことである。またよく使う言葉の中に汚い言葉があり、時々つい出ることもあったが気にしていなかった。しかし、話す人は気にしていなくても、聞く人には気になるかもしれない。やはり法を多く学ぶべきで、法を勉強すれば、汚い言葉も出なくなる。そして、詩のようなきれいな言葉に代わる。真相を伝える時、平凡な一言でも彼らの内心の深いところを打つことができる。
個人の悟りで、共に交流することを望みます。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2005/12/11/116297.html)
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