着実に修煉 奇想天外はできない
文/大陸大法弟子
【明慧ネット2005年12月1日】真・善・忍は法である、真・善・忍は私たちの修煉を指導してくれる。常人は修煉していないため、法を理解することが出来ない。常人に伝えるときに、高い内容を伝えてはいけないし、また修煉の細かいところを伝えてはいけない。下心がある人は私たちを攻撃する口実にしてしまうからである。私達は、ただ、人々に法輪大法がよい、真・善・忍がよいということだけを伝えればよいのである。難しいことを伝えたら常人は理解できないので、かえって常人を大法から遠ざけてしまうのである。
世の中には、いろいろな修練法が広く伝えられ、道がたくさんある、しかし私たち大法弟子の修煉を指導できるのは大法だけである。あなたが世の中に伝えられているもので、何かよさそうだと思っても、私たちの修煉を指導できるものではないし、法の中にほかのものを混ぜてはいけない。この面の教訓はすでにたくさんあり、ある人は自分が「仏陀」だと思ったり、ある人たちは着実に修煉したくないので、奇想天外な形式や儀式を行って「仏陀」になろうとする。これらの考えはとても悲しいし残念だ。これは常人が執着し、追求するもので、真の修煉ではないのである。何を求めても無駄で、ただ着実にこの心を修煉することしかないのである。師父は言われた。「この心を修煉しないと、誰でも上へ行けないのです」(『転法輪』)。
師父の言葉はまるで耳の辺にある、私達はどうして忘れることができるだろうか?
いくつかの認識や、適当でないところは、同修の指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/1/115420.html)
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