日本明慧


家族に真相を説明することについて同修と交流

 文/河南三門峡大法弟子

 【明慧ネット2005年12月4日】大法弟子が真相を説明し衆生を済度するとき、最も忘れがちなのは自分の親族も衆生であるということです。ある同修がこのような出来事を話してくれました。彼女は6人姉妹で、5人は大法を修煉し、よく一緒に法を勉強し、交流していました。ある日、彼女の母親が夢を見ました。夢の中で自分には行くところがなく、我ながら自分が非常にかわいそうだったそうです。翌日、彼女はこの夢を姉妹たちに教えました。

 姉妹たちは非常に恥ずかしく思いました。何年も法を学び修煉しましたが、誰も落ち着いて母親に字を教え、一緒に法を勉強することをしませんでした。逆に母親はよく彼女たちに法を学び、煉功するように注意していました。彼女たちは自分に問いかけました。もし他人の母親が字は読めないが修煉したいと望めば、彼女たちは落ち着いて教えたでしょうか? もちろんそうするでしょう。ではなぜ自分の母親や自分の親族に対してそれができなかったのでしょうか? それは親族を衆生の一員とみなしていなかったので、彼女も邪悪の嘘に騙された一人と意識しなかったからです。彼女も済度すべき衆生であるのに、かえって人心で対応していたのです。自分の親族だと思って、自分が大法を学べば、彼らには絶対何かメリットがあるはずだと思っていました。しかし、相手の立場から考えてみると、もし、親族が真相を知り大法の修煉に入れば、これはどういう状況でしょうか? 当然一心に親族を救い済度すべきです!

 親族に真相を説明するときも同じく、大法弟子の善良、慈悲、純正および大いなる忍の心を表すべきです。親族は修煉者ではないため、彼らには重い人心があり、我々のように法を学んで我々を認識することはありません。しかし、彼らは我々の言動を見ています。もし我々が話しばかりで、大法弟子の善良、慈悲、純正および大いなる忍がなければ、親族は理解もしないし、我々を支持することもしません。もし、我々が善なる心をもち、慈悲をもって親族に接し、最大限に常人社会の状態に合わせて、彼らを思いやり、彼らによく接し、穏やかな態度で彼らに温かくするならば、親族も影響され、彼らは仏の慈悲を体験でき、大法を認め、大法を選択することでしょう。

 私の祖母は80歳を超えています。あるとき、私は彼女のために布団と彼女が好きな食べ物を買ってあげました。彼女のために昼食を作っているとき、ある田舎の友人が彼女を訪ねて来ました。私はこう言いました。「冬は時間が充分あるので、あなたの務めは『法輪大法はすばらしい』か『真・善・忍はすばらしい』を覚えることです。これはあなたに幸せと平安をもたらすでしょう」。このとき私の祖母が急に割り込んで来て、「とても覚えやすいですよ。『法輪大法はすばらしい』、私はずっと覚えていますよ」。私はびっくりしました。私はずっと祖母が気にしていないだろう、あるいは記憶できないだろうと思っていた自分に失望しました。まさかこのようだったとは。私が法の上でよく行い、祖母を感動させることができて、ようやく本音を話してくれました。

 親族に真相を説明するとき、理性的に話し、過激になってはなりません。あまり次元の高いことを言わないでください。また時間をかけて継続してじっくり行う必要があります。親族と長く一緒におり、一時的なことを重んじていません。長期にわたって真相を説明し、彼らに心から真相を知ってもらう必要があります。親族が一時理解できないときも、興奮しないで、一度置いておいて、自分自身に原因を探してみる必要があります。努力が足りなかったのでしょうか? 急ぎ過ぎたのでしょうか? あるいは自分がよく行っていなかったので、大法弟子のあるべき姿・表現ができなかったのでしょうか? そして親族の障害を捜してみて、チャンスがあれば、その障害は真相を伝えることによって、絶対によい効果が得られると思います。

 以上は個人の認識で、同修による慈悲なる指摘をお願いします。 

 合十。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/4/115792.html