日本明慧


99年以来、大法弟子全員が迫害を受けている

文/大陸大法弟子

  【明慧ネット2005年12月7日】以前、「明慧週刊」の「迫害による死亡」のコラムを見たことがある。一部の学習者は刑務所に監禁され煉功することができず、体に病気の症状が現れた。さらには病状が悪化し、家に帰された。しかし回復できず死亡し、または病院に送られ治療を受けても効果がなく死亡したという話だった。これを見て私は「これは彼らが『病死』したのであって、迫害され死亡したことと言えるのだろうか?」と疑問を抱いていた。

 その後、もう一つの情況も見た。一部の学習者は、逮捕され監禁されたことはないが、やはり深刻な「病状」が現れ、病院に行った人もいれば、病院に行ってない人もおり、結局亡くなった。文章でこれは邪悪に迫害され死亡したと述べられた。そして再び私は、誰が彼を迫害したのか? 彼は家にいて、誰も彼を妨害したことがないのではないか? 逮捕されたこともないし、彼自身が病気になったので、迫害され死亡したと言えるのだろうか? これではどのように他人を説得できるのかと思ってしまった。修煉の角度から言っても、それは学習者の修煉が精進しておらず、根本的な執着心を放下できず、あるいは人心があまりに強かったため、もたらした結果であり、迫害され死亡したと言えないのではないだろうか?

 法を勉強し着実に修煉し、試練を受ける中で、私ははっきりと認識するようになった。多くの学習者は苦しめられ、瀕死状態になってやっと釈放された。労働教養所の警官は責任を負いたくなく、学習者が家で死亡し、労働教養所と関係ないといううわべだけの現象を作ったのだ。私は悪らつな警官の卑しい手段に騙されていた。さらに深く考えていくと、この迫害は常人に対する迫害ではなく、他の空間の邪悪な生命の大法修煉者に対する迫害である。このことから自分自身にある深刻な問題が暴かされた。邪悪な迫害の中で、法に基づき認識しておらず、悪らつな警官が直接学習者を殴ることだけが迫害であり、悪らつな警官がその場で学習者を虐殺したことしか、迫害され死亡したと言えないと思っていた。この迫害を完全に人間が人間に対する迫害と見なし、自分を完全に常人と混同した。実は、多くの常人にも分かることだが、労働教養所に迫害され瀕死状態になって家に帰され、しばらくして死亡したのは、労働教養所に不法監禁された時の厳しい迫害のせいだった。しかも、私達を迫害しているのは、他の空間にある邪悪な生命で、それは世の中の悪人をコントロールし法輪功の弾圧と大法の破壊に仕向けたのだ。それは悪らつな警官をコントロールし学習者を逮捕させ殴打させ、悪人をコントロールし学習者を妨害させ、学習者の親族を利用し、修煉を放棄するよう学習者に強要した。私達の修煉を破壊するために、常人のすべての形を利用している。大陸の学習者は不法に拘禁されたことがあるどうかに関わらず、学習者全員が深刻な迫害を受けている。もし邪悪な勢力が大法を迫害しなければ、大法学習者の修煉の道はこのようなものではないからだ。1999年7月20日、迫害が全面的に始まった後、大陸の学習者全員は皆、長期にわたり恐怖とかき乱された状況で生活し、たとえ直接的に逮捕され迫害されたことがなくても、死亡した学習者に対し、江沢民・羅幹グループならびに中共悪党は全面的に責任を負うべきだ。

 実は、海外の学習者も別の形で迫害を受けているのではないか? 実際に拘禁され、残虐な拷問を受けてはいないが、邪悪な勢力が中傷し憎しみの宣伝を行うことにより、もたらした圧力や誤解に耐えている。特に中国国内に家族、親友がおり、中国国内と繋がりのある学習者にとって、中国共産党の虚言に害毒された世間の人の誤解、差別、更に憎しみを受けているだろう。さらに中国共産党スパイに不法に盗聴され、ブラック・リストに載せられるなどの迫害も受けている。もしこの迫害がなければ、彼らはこういう情況に直面するはずはない。

 悪らつな警官や法輪功取締り本部、通称「610オフィス」のメンバーによる、逮捕、家宅捜査、監禁、脅迫、罰金などの迫害は、最もはっきりと見極めることのできるものだ。常人がやり方を変えると、私達はその背後にある邪悪を見極めにくくなった。多くの時、正念が作用せず私達に能力がないのではなく、すべては私達が迫害をはっきりと見極めていないため、迫害を認め邪悪に協力し邪悪を放任してしまった。そして私の認識が高まり、頭がとてもはっきりしていると感じた。

 母に深刻な「病状」が現れた。私は他の学習者と、これは迫害であると認識し、正念を発し邪悪を取り除き、同時に内に向かって自分の不足を探した。母の状態が好転したときもあるが、根本から変わってはいなかった。グループで法を勉強する時、母が咳をして正念を発することができず、本を読むことができなかった。長い間、母の状態が依然としてそのままであるのを見て、私は自信を失ってしまい、自分にはこれ以上何もできないと感じた。最後に原因を母の心性のせいにし、母自身が向上しないと、誰もなす術はない.と思った。その後、母が正しい念を持っていないことは仕方がないと思い、がっかりした。結局、邪悪に貴重な人体、母の命が奪われてしまった。

 その後、このことについて私はずっと反省した。これは迫害なのだ! 学習者に漏れがあるのは確かだが、修煉している人は誰でも間違いを犯すのだ。今回のことから脱出して見ると、邪悪が学習者を迫害している時、私達は何をしたのだろう? 私達は3つのことをしっかりと行うと同時に、学習者の立場に立ち、法に基づき確固と邪悪を取り除いたのだろうか? それとも邪悪の立場に立ち、学習者の執着に目をつけ学習者を指摘したのか? その中から、私は自分が法理に対する認識の不足が見え、また向上できた。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/7/116025.html