日本明慧


真相の資料を配る中で自我をなくす

 文/阿吉

 【明慧ネット2005年12月3日】私はよく同修と一緒に外で真相の資料を配っています。毎回強大な正念を保つように努力しています。しかし、みな人の心があるので、時々観念上の衝突があり、人の心が表れます。いろいろなことにぶつかる中で、自我をなくし、心性を向上させています。

 同修が同時に二つの資料を人ごみの中で自転車のかごの中に入れたのを見て、資料が損失を受けるかもしれないので、このように密集しているなかで配ってはいけないと心の中で彼女を非難しました。私はそれを言おうと思ったとき、考えが変わりました。「彼女のせいにしてはいけない。彼女もできるだけ多く配り、多くの人に見てもらいたいのであって、資料を無駄にするつもりはないのかもしれない。私が彼女を非難すれば、彼女に対して善で接していないことになり、傷つけてしまうのではないか?」私は非難するのをやめて、彼女と歩きながら、同時に「資料を置かなくてもいい、ひとつだけでいい」と言うと、彼女はとても自然に私の言うことを聞いてくれました。

 ある同修がいつも暗いところを歩きたがるのを見て、いつも暗いところを歩くなんて彼女は臆病だ、恐れの心があると心で非難し、彼女にそれをやめるように言いたくなりましたが、考えが変わりました。「彼女は恐れの心があり、まだ完全になくなってはいない。もし彼女に恐れの心をなくし、絶対に私の考え方に従わせようと強制したら、思い通りにことが運ばないのではないか? 彼女の心性がまだ上がっていないときは、私は寛容に、そして少し譲歩するべきだ。一人ひとりそれぞれ各種の執着を取り除く過程があって、その人自身で修めさせるべきだ」

 私は彼女をとがめようとは思わなくなりました。彼女とつなぐ手をさらに緩めて、知らず知らずのうちに明るい方に向かって歩き出しました。何も圧力がないかのように時々心を開いて笑いました。私たちは最もよいことをしているのであり、もっとも光り輝く正大な、そしてもっとも重要な、衆生を救い済度することをしているのです。いかなる要素も邪魔することは許されません。同時に心で正念を発し、邪魔をするあらゆる要素を取り除きました。

 資料を配るとき、心で無意識のうちに数えていたり、自分の資料を配り終えたときに、それを少し強調したりするときもありました。「私はもう配り終わりましたよ」、この中に一種の顕示心と功績心が含まれていました。まるで私は能力があるように。自分のこの心を見つけ、すぐ修正し、資料を数え、自我を強調しないようにしました。一方で、心に一念が生じました。「しっかり協力し、最も必要としているところに資料を届けよう」

 私が並んだ郵便受けに資料を入れていると、同修が私を止めて、錠がない郵便受けは資料のむだになるので入れる必要はないと言いました。私はとてもいやな気分になりました。私はすでに配るときに気をつけて見ていて、きちんとした郵便受けにだけ入れていました。そこで私は彼と論争し、心がとても不愉快になりました。少し経ってから気づきました。「言い争ってどうするのだ? 同修もよいことをしようとしているのであって、少し離れていたからよく見えなかっただけで、悪意はなかった。私はなぜどうしても自分が正しいと強調しなければいけないのか? この強調こそ自己を放棄できていない証拠ではないか? 誤解に耐えられないのか?」こう思うと、私はこのことを気にしなくなりました。その後は資料を配るときにさらに気をつけて郵便受けがきちんとしたものであるかを見ました。自分の恐れの心とそれによって生まれた焦りの心を取り除きました。

 同修のバイクに乗って資料を配りに行ったとき、何回か急ブレーキをかけ、私はあと少しでバイクから落ちそうになりました。彼になんて不注意なんだととがめました。彼は、バイクに問題があって、ブレーキがうまく作動していないと言いました。しかし、私はやはり心の中で怒っていました。すごく長い時間が経ってやっと私の気分は回復しました。私は考えました。「私は生死を放棄したのだろうか。ひとつの急ブレーキだけでこんなにおびえてしまい、ひたすら自分の安全を強調してしまう。同修はバイクを運転しているので、危険と言えば彼のほうが私よりも危険なのでないか? 私は彼の危険まで考えたのか? それなのに彼をとがめている。常に他人のことを先に考え、他人を思いやるということを私はできていないのではないか? そして自我を強調していて、自己中心的である」私は自分のこの私心を見つけ、その後は外に出るたびに正念を発してあらゆる邪魔を取り除き、常に同修のことを先に考えるようになりました。次第に、私たちのチームワークはどんどんよくなっていきました。

 私はどの同修と出かけるときも、いつも自分に言い聞かせています。「大局を重んじ、同修を重んじ、自我を放棄して、いかなることも寛容に対応し、忍耐する。同修がうまくやっているときは、自分を高め、早く追いつけるように努め、同修がうまくできていないときは、寛容にして、忍耐し、善意をもって引導する。ほめられても批判されても常に平穏で穏やかな心を保つ」。私たちはますます、よりうまく資料を配る仕事をこなせるようになりました。

 少しだけの悟りです。同修の皆さん、慈悲をもってご指摘ください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/3/115715.html