日本明慧


これこそが修煉なのです

 文章/星星(台湾)

 【明慧ネット2005年11月29日】過去の自分を見つめ、今の自分を思い出した時、最大の違いは考え方が異なり、観念も違っていることです!

 最近の日々、私はずっとこの問題を考えています。私は法輪大法とどのような因果関係あるのだろう?まるで全てが機縁によって按配され、私を修煉の門に入らせているようです。

 この修煉の縁は、ある同僚がくれた《修炼の出来事》という一冊の本から始まりました。最初私はこの本を手にしても、決して直ぐ見ようという念は無く、ずっと家の本棚の上に置きっぱなしにしていました。

 以前気功を紹介する雑誌でも「法輪功」の三文字を見た事があります。その時は特に知ろうとしませんでした、書いてある文章は私の心をくすぐる内容もなかった。その後、台湾大紀元時報にて《美しい水の結晶》という報道の文があって、ある同僚が私に持ってきました、水の結晶の写真を見て、不思議に思い、更に多くの内容について知りたくなり、従って、私はネットで《水からの情報(来自水的讯息)》を購入し、この本をすべて見た後、私のもう一人の同僚にも見せてあげ、それから一緒にそれらの面白い内容について討論しました。その後、この本は同僚がなくしてしまい行方不明になり、失望の末、突然、もし水が人の善なる念によって美しい結晶になるなら、「法輪功」が人に言っている「真・善・忍」に従うとどういう結果になるだろうと思いました。

 ある日、家で休んでいる時、突然何となくその《修煉の出来事》という本を読みたくなり、一気に読み終え、書かれている修煉の奇跡に引かれ、ネットで「法輪功」に関する資料を探し、多くの人は皆その《転法輪》という本を読んでとても好感をもっているということを知り、取り敢えず同僚から借りて、一部の生活知識にしようと考え、こうして修煉の道に入りました。

 最初、この《転法輪》を手にした時、まだ開いていないのに、私の心性を高める試練がやってきました!その時私は突然人に誤解され、告訴され、相手から大量の訴訟書が届き、その時同僚は私が主管に呼び出されるではないかと心配していた。当時の考えは「どうしてこんな目にあわなければならないの?相手はその当時の状況を知っているはずなのに、彼の言っているようなことではない。何故私はこんなに酷い誤解をされるのか?全く話にならない!」

 「何故私は責任を負わなければならないのか、あの人は何故反省しないの?」ちょうど、その時《転法輪》を手にして読もうといていました、可笑しな事に、元々争おうとしていた私は、突然心が一転して、心の中で「いけない、怒ってはならない、耐えなければならない」と思いました本を読む前から、心性は一般人より高くなっていました。それで、私は同僚に当時の詳細状況を話した。すると皆が私の味方についてくれ、直ぐに相手の主管に説明するように進めた,私は冷静に「その必要はありません。貴方達がそう言って下されば十分です。もし彼等が私のことを間違っていると思うなら、それでも構いません。私は謝ります。好きな様に言わせればいい!」と言いました。

 私の耐えた事が正しかったと実証され,事は一つの誤解だった。その後主管もその人の態度に問題があると言ってくれた。私は「皆仕事は辛いが、イライラせずに、お互いにとって良い事をし、お互いに理解し合いましょう!」と言いました。

 法を得て修煉後、私も法理の認識の中で、物事を処理する方法を改め、どの様に周りの人と接触するかを知り、矛盾に遭遇した際に内に向かって探す様になりました。

 元々何人か好きでない同僚がい ました。会っても話さず、以前は互いに相手は冷たい態度で、私も皆と付き合わなくても構わないと思っていました、しかし修煉を経て、私は何故この様な考えがあるのかを考え、他人が自分に対する見方や態度を気にしており、決して自分の考え方や観念を変えなければならないとは思っていませんでした。こうして心性を改め、体と精神状況は全て最良状態に達し、心にある執着も少しずつ消えてゆきました。だが心は豊かになり、今では名利に対し淡白になり、修煉もこうして一歩一歩着実に歩んできました!

 友よ、決して修煉は非常に高く或いは困難だと思わないで下さい、心さえあれば、誰でもこの様に修練の門を叩けるのです!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/29/115455.html