日本明慧


三尺の窓台で真相を伝える

 【明慧ネット2005年11月24日】私たち夫妻はともに1995年9月に法を得ました。99年7.20に江沢民が法輪功に対する残酷な迫害を発動して以来、地元の公安、派出所、町内会、委員会と工場の公安部門は私たちの家に数十回も押しかけてきました。2005年5月31日の午前9時、彼らはまたやってきました。私たちは家に閉じ込められて9日9夜がたっていました。私たちは三尺の窓台を利用して、窓を開けて本当のことを話し、世の人に真相を伝え、旧勢力の一切の邪悪な按配を完全に否定しました。

 2005年5月31日午前9時、町内会の主任、蔡××(女)はもう一人の男性を連れて、妻が気づかない間に私を捕まえようとしましたが、後に発見され、実現できませんでした。その日の午前10時、町内会の人は家を監視し、午後1時に偽の警察の制服を着た警備の人と交代しました。私たちは24時間監視されました。彼らはドアのすぐ外に座っていて、私たちが外に出ればすぐに捕まえると言いました。

 邪悪の気炎に直面し、私と妻は冷静に自分のどこかに漏れがないか、邪悪に利用されたところがないかと探してみました。「恐れがあれば 彼らは捕まえる」(《洪吟(二)・何を恐れるのか》)。師父はすでに私たちを諭してくれています。邪悪は私たちの恐れの心に向かってきているのです。保安の人員はすでに部屋を2日間も包囲していました。しかも、毎日夜になると人員を増やして監視しました。人が行ったりきたりして、本当に敵軍が城下に迫っている感じがしました。明らかに、旧勢力が私たちの恐れる心を試しています。師父はこのようにおっしゃいました。「法を証明する中で自分の観念、常人の中で抱いている各種の正しくない考えなどは放下すべきものです」(『2004年ワシントンDC法会での説法』)。師父ははっきりと、恐れる心は観念であり、執着であるとおっしゃいました。

 6月1日の夜、私たちは師父の《洪吟(二)・何を恐れるのか》をもう一回読みました。「恐れがあれば 彼らは捕まえる 念が正しければ 悪は崩れる 修煉を積む人 法を身につけ 正念を発し ?鬼は破裂する 神は世にいる 法を実証しよう」。この詩は、私たちがこのような特殊な修煉環境のもとでいかにより正しく道を歩むのかをはっきりと教えてくれました。そこで私たちは相談し、心を決めました。このまま黙って隠れているわけにはいきません。窓を開けて本当の話をし、公に世の人に真相を伝えましょう。旧勢力の一切の邪悪な計画を否定しましょう。

 私たちの建物の前から4メートル離れたところに通学路があり、建物の正面は学校です。この道は、朝はとてもにぎやかでした。登校する学生、子供を送る親が行き来して、人の流れは絶えません。

 2005年6月2日午前8時、私と妻は同時にガードレールのついた窓台に立ち、道行人に聞こえるように、保安の人たちに、なぜ私たちの家を監視するのか詰問しました。保安の人員は頑に否定しました。これはまさに師父がおっしゃったとおりでした。邪悪は悪を働くことはできますが、それを認める勇気はありません。私たちは不動の事実で彼らの不法行為を晒しだし、その場で、ある常人は彼らの行為が犯罪であると指摘しました。警備の人は何も話すことが出来ず、携帯電話で町内会の?という人を呼んできました。?が来ると、家に入って話をしようと提案しました。

 このとき、すでに20人あまりがその場で見物していました。「神は世にいる 法を実証しよう」師父の教えはまた耳元で響き始めました。これはまさに真相を話す絶好の機会でした。師父がいる、そして法がある。ガードレールが私たちの安全を守っており、高所を制している私たちにとって、天の時、地の利、人の和はすべて私たちの見方でした。足りないのは真相を伝える一言だけでした。このとき、保安の人員はそっと私にささやきました。

 「?の目的はあなたたちに「三書」を書かせることだ。「三書」を書けば、あとは自由に修煉すればいい。私たちはもう何もしない」そこで私たちはこの話題をかりて、見物人たちに言いました。「皆さんはすでにこの目で見たと思いますが、私たちは修煉し、真・善・忍にもとづいてよい人、そして法を守るよい人になろうとしています。町内会は私たちに反省文を書くようにと言っている。書かないと、私たちを捕まえて洗脳班に入れて迫害します。これはいったいどの法律……」。

 私たちは、江××がなぜ法輪功を鎮圧するのか、大法弟子がどれほど残酷な迫害を受けているのか、焼身自殺事件の真相、大法の世界での広まり、そして江××が法輪功を迫害したために多くの国で起訴されたことなど、一気に全部言いました。私たちは高いところから見下ろし、声は明瞭として響き渡り、下で聞いていた多くの人たちは、絶えずうなずいていました。?××と保安人員は慌てふためきました。捕まえることも、口を封じ込むこともできず、しかたなく携帯電話で救援を呼びました。

 しばらくすると、パトカーが飛ぶように駆けつけました。車から降りてきたのは派出所の所長と工場の公安所の所長でした。彼らはドアを開けるように言いました。ドアは絶対に開けません。話があるなら言ってください。私たちはそう言いながら正念を発しました。「あらゆる邪霊と?鬼を解体させる」3人が窓の前に来てドアを開けるようにと言いました。私は公安所長に次のように言いました。「あなたは×××ですね。私は知っています。悪事に参与しないでください」。三人は私たちが箸にも棒にもかからないのを見て、去っていきました。ただ何人かの警備員が残され、引き続き監視に当たっていました。

 このような憚ることない犯罪行為は、正義感がある人たちの強い不満を引き起こしました。その中に、ある60歳の老年の女性がいます。その日の午後にもう1人の人と大通りで楊××を厳しく非難しました。「彼ら2人はいい人で、もうかなり年なのに、あなた達は人にこのようなことをする。もし万一のことがあったならば、私達は見てみぬ振りはしない」。

 私達は取り囲まれた日々には、各地の修煉者の友達は私達に協力して正念を発し、世間の人をコントロールする邪悪な卑しい鬼を取り除いてくれました。ある人たちは私たちに電話をかけて、自分の中から探し、法を師にし、正念で正しく行うよう励ましてくれました。

 6月4日、家の食料が尽きてしまったのを見て、心配し始めました。6月5日に故郷の修煉者の友達と親族は野菜、油、肉を、工場の修煉者友達は果物などを買ってきてくれました。窓から食料が渡されるのを見て、警備は顔を赤くして怒りました。師父は常に私たちのそばにいて守ってくれていることを、私たちはこの身で感じました。師父がいる、そして法がある。大法の全体的な協力があり、私たちが自己をしっかりと修煉すれば、師を手伝って法を正す自信はさらに満ち溢れたものになりました。

 三尺の窓という有利な条件を利用して、人が来れば窓から真相を話し、人がいなければ、さらに真相を話して邪悪を震え上がらせるために法を学び、正念を発しました。6月7日に私は写し終えた『憲法』第二章、人権に関する項目をひさしの下に掛けました。一気に大勢の人が見に来ました。保安は慌てて携帯電話で町内会の数人の若者を呼んできました。?××もきました。私と妻は窓から彼らに聞きました。「そこに書いてあることは本当ですか、それとも嘘ですか」。彼らは本当だと答えました。その憲法に従うべきかどうか尋ねると、彼らは従うべきだと答え、がっかりして去っていきました。

長 い間の日照りと雨で、蚊などに刺され、保安人員の不満が高まり、時々道行く人からも非難の声が上がりました。邪悪はこれ以上我慢できなくなりました。

 しかし長い間取り囲まれたため、思わず人の心が現れることもありました。一縷の心配が生じたこともありました。こういうとき、私は長期にわたって牢屋に入れられていたり、命を失ったりした大法学習者の気持ちを分かるようになりました。私が心のうちを妻に話すと、妻は《洪吟(二)・悲しむことはない》を開けました。「牢屋の中に横たわっていても悲しむことはない 正念で正しい行いをしよう、法がある 心を静めて自分の執着を探してみよう 人の心をなくせば悪は自分で滅びるだろう」。私たちは法を正す時期の大法弟子です。師父が教えてくださった「法を学び、煉功し、自己をしっかりと修める。正念を発して邪悪を除去する。真相を伝え、衆生を救い済度する」という重大な歴史的使命をしっかり果たさなければなりません。しっかり行っていないから、常人の心が生じたのです。師父はまた次のようにおっしゃいました。「法に対する認識と理解の違いによって現在の形勢に対する感じ方も異なります。この全てはみな、異なる人心と対応しています。良く行っていれば自分の周りの環境を変えることができ、良く行っていなければ、自分の周りの環境を心に従って変化させることもできます」(『2002年ワシントンDC法会での説法』)。

 この間、私たちは自ら大法の神秘と偉大さを目の当たりにしました。私たちの心が不安になったとき、外の保安は動き回り、周囲が落ち着かなくなり、邪悪は虚像を造って私たちを惑わします。私たちが心を静めて真剣に法を学び、心が法の上にあるときは、外の環境はすぐに静まり、呼吸も聞こえません。私のこの不安だった心が法の中でだんだんと静まっていくとき、ある詩が清らかな泉のように心からゆっくりと湧き出しました

 《悲しむことはない》を読んで

 小さな部屋に閉じ込められても傷ついて悲しむことはない
 衆生のことを思い、窓台に出よう
 執着をなくして師とともに行こう
 信じなければ、春の風は吹かないだろう

 6月8日午後3時、警備は全部撤収という通知を受け取り、9日9夜続いていた監視はこのように終わりました。このとき、私たちは師父の「人の心をなくせば悪は自分で滅びるだろう」という言葉の深い意味を真に理解し、体験することができました。

 個人の悟りです。不適なところがありましたらどうぞ慈悲深くご指摘ください。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/11/24/115126.html