明慧ネットの仕事に携わってとても幸せに感じる
文/日本大法弟子
【明慧ネット2005年12月8日】師父、こんにちは!学習者の皆さん、こんにちは!私は日本明慧ネットグループの一員で、明慧ネットの仕事に携わった心得を皆さんと分かち合うことを、とても嬉しく感じます。
(一)明慧ネットの仕事に携わってたいへん受益した
私が最初に日本語明慧ネットの仕事に携わったのは、2000年10月頃でした。当時、日本社会に大法が迫害されている真相を知らせるため、日本の数人の学習者が日本語のウェブサイトを発足させました。中国語の明慧ネットから文章を選び、それを日本語に翻訳してサイトに掲載します。1人の学習者は毎日、中国語明慧サイトから文章を選択し、翻訳する学習者に配布することを担当しています。
この学習者は他のことも担当しており忙しいので、文章の選択を手伝うようにと私を誘いました。しかしその時私はただ明慧ネットがあることを知っているだけで、家でインターネットを使用しておらず、インターネットを経験したこともなかったのです。コンピューターを使っているが、せいぜい文字を入力し文章を作成するぐらいで、電子メールを出したこともありませんでした。やってみたいが何も分からなくて、できるかどうかとても自信がありませんでした。
他の学習者が「分からなくても、勉強すればよい」と私を励ましてくれました。そうですね、分からなかったら勉強すれば良い。大法のことなので勉強して身につければよいと、私は考えました。学習者に手を取って教えてもらい、そして私は電子メールのやりとりや文章の編集を身につけ、その後、学習者からまたホームページの更新の仕方も教えてもらいました。このようにして私は基本的な技能をマスターできました。
今になっていうと簡単なことですが、勉強した当時は、高い山に登るほどとても越え難い関だと感じました。特にホームページの更新を学ぶとき、その理論が分からないので、ただノートに照らし合わせてやっていくしかできなかったのです。覚えることがとても多く、あれを忘れこれを忘れ、いつも誤りを犯します。だんだん自信がなくなり、ただ編集の仕事をやればいい、ホームページの更新は技術をもつ学習者に任せればいいと思いました。
日本明慧ネットの学習者は、大丈夫、もう一回試めしてみて、やってみないとどこに問題があるのか分からないよと、ずっと私を励ましてくれました。ある日の晩、一人の学習者は私と一緒にホームページの更新を練習し、分からないところがあると、すぐ教えてくれました。私はノートに書いたとおり一つ一つ行い、一通りやって、その学習者も私と一緒に徹夜しました。
その後私はホームページ更新の仕事も始めた。去年5月末6月初めの頃、ニューヨーク法会の後、集団で法を勉強し交流したことにより、日本明慧ネットの翻訳に携わる学習者が最も多い時で、毎日大体10数枚の文章が掲載待ちになっていました。これは私にとって新たな挑戦であり、私はノートに書いたとおりに一つ一つ行い、問題にぶつかったら学習者に教えてもらいました。順調で、うまくいくかと思うと、エラーがありましたが、どう対処するか知らず、学習者に聞こうとしたが、夜中の3時で連絡が取れる学習者もいなかったのです。どうすればよいのか?私はノートを照らし合わせて、最初からやり直し、何とか問題を解決できました。そして全部の10数枚の文章を更新できたら、すでに午前10時になっていました。前日の晩11時半から午前10時まで、知らないうちに10数時間も経っていました。
当時は、とても難しく感じ、勉強したくなかったが、技能を一つでも多く身につければ大法の仕事に多く携わることができるのだと、後で分かりました。特に日本明慧ネットは人手が不足し、技術を担当する学習者が忙しい時、私は一人でホームページを更新することができました。しかもそれから、コンピューターをそれほど恐れず、新しいことも試みるようになり、もう1つの障害を突破できました。
もちろん、明慧ネットの仕事に携わり、私にとって技術の障害を突破しただけではなく、更に重要なのは、明慧ネットを閲覧することで、自分の修煉にとても助かることでした。5年来、明慧ネットの編集を担当する学習者は、いろんな原因で明慧ネットの翻訳を担当する学習者と同じように、増えたり減ったりし変動が大きかったのです。今は私ともう一人の学習者二人で担当しています。1週間に私は6日間の編集を担当し、ほぼ毎日明慧ネットの文章を細かく読み、適当な文章を選択し、翻訳する学習者に配布します。また場合によって長い文章を短くしてから配布する時もあります。そのときは、その文章を2、3回も読まなければなりません。
いつも文章を選んで編集を行い、明慧を読むのは、とても時間がかかりますよね?と聞いてくる学習者がいます。確かに時間がかかることで、毎晩私の最初の仕事は、コンピューターを開けて当日の明慧ネットを見ることであり、数年来すでに習慣になりました。でも明慧ネットを読むことは、私の修煉にとても役に立ちます。たとえば毎日大陸の弟子が迫害された事実を見て、私は自分自身がその場にいるように感じ、重要な迫害事実を学習者に配布し翻訳を願うほか、暴き出すだけでまだ足りないと感じ、真相伝えの電話グループに参加したことがあり、大法弟子を迫害する悪らつな警官に電話をかけ、善悪には報いがあり、直ちに悪事をやめるよう邪悪に警告したことで、私自身の修煉にはまた新たな突破がありました。
大法弟子が正しい念正しい行いをする物語ならびに真相を伝える物語を読み、いつも涙があふれるほど感動させられました。学習者の修煉の心得はいつも私を啓発し励ましてくれます。毎日明慧ネットを閲覧することにより、精進していない時に私を精進させ、挫折にぶつかり失敗した時に、私を奮い起こさせ、妨害を受ける時、正念を固めるよう励ましてくれます。数年来私は何かを支払っているのではなく、毎日明慧ネットを読むことにより、私自身の修煉にとても受益しました。師父がおっしゃった法理を実感できました。大法のために何かを行うのではなく、自分のために行うのです。
(二)全体で共に向上してこそ 明慧ネットグループを安定して長く運行させる
最初に明慧の編集を担当した時、私は自分がただ毎日の翻訳する文章を選んで翻訳する学習者に配布すればよいと思いましたが、しかし実はこれだけではまだはるかに足りないのです。明慧ネットに携わる学習者はそれぞれに仕事を担当し、編集をする人もいれば、文章の翻訳を担当する人もいます。翻訳された文章の校正(チェック)を担当する人もいれば、技術的なサポートを担当する人も、ホームページの更新を担当する人もいます。この流れの中でどこかに問題があると、明慧ネットは正常に運行することができなくなります。私はいくつかの仕事を担当し、明慧ネットグループは全体として一つであることを知ってはいるものの、昨年末から、あらためてそれを深く体得することができました。
当時私は依然として毎日翻訳する学習者に文章を配布していましたが、翻訳された文章がなかなか返って来なくて、全体を協調する学習者は、最近返ってくる文章がまったくないと言いました。みんなはあまりにも忙しいかも知れないが、できるだけ明慧ネットの方も少し配慮し、たとえ週に1枚の文章を翻訳すれば、明慧ネットが運行できるのに、みんなで交流したほうがいいのではないかと思いました。その後インターネットでネット会議の形で交流を行いましたが、交流に参加した翻訳の学習者が少なく、交流に参加した学習者はとてもがんばって訳しているが、文章の数ははるかに足りないのです。私は、大法学会の学習者に、日本語のできる学習者が明慧の翻訳の仕事に参加するように、呼びかけをしてもらったり、または、大きな法を広める活動に参加した時、日本語のよくできる学習者に会ったら積極的に交流したり明慧ネットの翻訳を頼んだりしました。すると約10数人の学習者が翻訳の仕事に携わるようになりました。私はとても嬉しくて、時間どおりに彼らに文章を配布していたが、しばらくして、いろんな事情で翻訳をやめる人が出て、文章を送ってもなかなか翻訳した文章が返ってこないことがまたありました。明慧ネットの他の協調を担当する学習者と交流しても、いいアドバイスが得られませんでした。
私は気落ちして、私はすでに全力を尽くした、みんなは確かに忙しいから、もういい、私は自分の担当する仕事だけをしっかりと行えばいい、と思いました。その後しばらくの間、ただ数人の学習者だけがずっと明慧ネットの翻訳を続けていました。しかし私たち数人だけでどんなにがんばっていても、日本明慧ネットがようやく維持できる状態にありました。明慧ネットの協調を担当する学習者は皆考えています。どうして明慧ネットの翻訳を担当する学習者は長く続けられず、日本明慧はいつも1つの安定している全体を形成できないのでしょうか。今私はやっと分かりました。数人の学習者はいろんな原因で翻訳を辞めたが、実はすべて妨害で、明慧ネットが法を正す中で大きな役割を果たしているため、こんなに多くの妨害がやってくるのです。
私たち明慧ネットの仕事に携わる学習者は、定期的に集団で法を勉強したり交流したりすべきで、一人または数人だけの努力では遥かに足りないので、全体が共に精進し、「学んで比し修して比す」(『洪吟・実修』)、共に精進する正念の場を形成してこそ、私たちは根気よく長く続けられて、もっとよく行うことができ、数年来むりやり維持できた状態もなくなると思います。
以上は私が明慧ネットの仕事に携わって体得したことであり、適当でないところがありましたら、慈悲のご指摘をお願いします。ありがとうございました。
(2005年明慧ネット関係者修煉心得交流文章より)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/8/116006.html)
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