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警官は口実をつけて、法輪功学習者を唐山開平労働教養所におびきだした

 文/大法弟子 張秀存

 【明慧ネット2005年12月15日】唐山開平労働教養所女子第二中隊は主に法輪功学習者を迫害する魔窟だ。そこでの迫害の情況は次のようだ。入獄したばかりや、信仰を堅持する学習者は専用の監禁室に閉じこめられ、長いあいだ太陽を見ることができず、そこは暗闇で湿気がひどい所だった。そこでの迫害には一般的に顔面殴打、侮辱、長時間立たせ続ける、寝かせない(長くとも7日7夜)、縛る(学習者の手足を椅子か、暖炉に縛り付ける)、トイレに行かせない、強制的に押印を強いられるなど、様々な迫害手段がある。

 2004年5月、私は廊坊洗脳班に連行された。そこでは、断食を1カ月続けたため、体が極端に衰弱した。2004年7月21日、実家で休養している時、廊坊師安次区公安分局国保大隊の劉書、董氏と廊坊市北史家務郷政府の役員・楊宝銀は、30人近い警官を連れ、私の実家を包囲した。彼らが「ちょっと煉功点の情況調査で来てもらいたい。すぐ終わるから」と説得され、彼らの車に乗った。当時はベストと短パンだけの格好で、まっすぐ河北唐山開平労働教養所まで連れ去られ、しかも不法に裁判を受け、1年半の禁固刑となった。その労働教養所に着くと、二中隊の2番手である王艶華は私を監禁室へ閉じこめた。そこは湿気がひどくて寒いし、太陽が全然見えなかった。そこは学習者を対象に迫害する専用の場所でもあったのだ。このような監禁生活で人身の自由が完全に奪われ、しかもトイレに行く時でさえも当番の受刑者に監視される。

 無実で法律を犯していないにも関わらず、こんな理不尽なことをされたので、私は断食で抗議の意思を示し、彼らの言うことを聞かず、彼らからのすべてを断った。こうして王艶華の怒りを買ったため、暴力を振るわれ、顔の左右の頬を20回ほど殴打され続けた。それだけではなく、無理やり立たせられたが、反抗した。そして、暴行の中で彼女に「正義はどこにあるのか?」と聞いたら、「あんたが正義を捜せよ!」と返された。彼女が更に攻撃を加えようとすると、ちょうどほかの受刑者にぶつけて避けることができた。その後、彼女は受刑者の王知淑と何人かの受刑者を協力させ、動かないように私の手足を椅子に縛り付けた。縛り付けられ、トイレに行くことも禁じられた。

 こうして午後4時からずっと翌日の午前10時まで縛り付けられたままだった。そして私を4日4夜にわたって寝かせなかった。石家庄の悪らつな警官である劉俊玲は、いつも黙って邪悪の脅迫に妥協しない私のことを知ると、手を操り、筆を握らせ、師父と大法を罵る内容を書かせた。強制的に書かせた文章に、更に押印を強いられ、しかも「この文章を持ち帰れば、任務が終わりだ。ネットにも掲載してやる」と言われた。

 2005年2月15日、囚人服の着用を拒絶し、「教養」、「労働」などもすべて拒否したため、二中隊長・厳虹麗に監禁室に連れていかれ、「あなたの髪型は山賊と同じだ」と侮辱された。このたぐいの汚い言葉で、大法のことも侮辱したりし、または体罰も受けた。毎日20時間も立たされ、たったの4時間しか寝られなかった。これが半月も続き、太腿が腫れて膨らみ、踵が痛み痺れて凍り付くような症状も出た。

 私は1998年に法を得た法輪功学習者です。修煉する前に喘息を患っており、発作がおきたら眠ることができず、あちこちへ治療を求めに行っても治らなかった。しかし、大法を修煉したら疾病がなくなり、この大法の修煉で巨大な変化があったのだ。私は実名で署名した勧善書をもって、各層の長官に何十通もの手紙を送ったが、かえって彼らはこの手紙の住所で私の家に辿り着き、2回も廊坊洗脳班まで連行され、迫害を受けた。2回も不法に家宅捜査をし、大法の書籍を没収したり、私有財産も奪い取られた。2004年5月頃、悪らつな警官が再び不法な家宅捜査をした後、廊坊洗脳班へ私を連行した。監禁された間、断食を一カ月続けた。その後、彼らは私の家族に現金2500元を要求し、私を釈放した。しかし、あまりにも残酷な迫害を受けたため、体が非常に衰弱した。

 唐山開平労働教養所で迫害に加担した悪辣な警官は、二中隊長・厳虹麗、王艶華で、共犯者は王燕、秦小艶、李小鳳という人たちだ。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/15/116566.html