日本明慧
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文/日本大法弟子 佐藤裕子 【明慧ネット2005年12月23日】私は、この法輪功に本格的に出会ったのが昨年です。白川公園には時々行き、始めたのが5月16日からです、雨の日は行かず、次の日聞くと「煉功をしましたよ」との返事。いつも不思議に思っていましたが「煉功の時は雨が止む」と言うので、行くように決めましたが煉功の動作が分からなくて、西部公民館の講座に2日目より参加して動作を習い、法輪功は「真・善・忍」に基づいて修煉するレベルの高い気功であることを知り、続けようと思いました。 それからは時間のある時は必ず行くようにし、大江公民館、東部公民館、花園、北部の講座に参加をしました。9月には宮崎での弁護士学会の正法活動に参加して全国から来た法輪功の学習者と出会い一緒に弁護士さんに迫害の真相を伝える事も出来ました。初めての活動でしたがそれを通じて勇気づけられました。 その後11月には二ューヨークでの法会に参加することが出来て、幸い李先生にも出会う事が出来てとっても嬉しかったです。行き帰りがとても順調だったので今でも不思議と思っています。法輪功の素晴らしさを実感し、これから多くの方に伝わればとの願い・・・ この事があってから「私に何か出来ることはないか」と考えて、災害が多い阿蘇の人々にも法輪功に縁がある方に伝える事が出来ないかと思い法輪功講座のことをほかの学習者と相談して、今年の1月16日より第1日目を開始することになりました。阿蘇の事は小さい時から良く知っていたので、自分で出来るのではないかと思い、配りを始めました。12月の週末の休みと年末年始の1週間休みを全部講座案内のチラシ配りに使いましたが、市内と違って、一枚を配るには近くて5mから100m以上歩かなければならない状況でした。冬なので暗くなるのも早いし,街灯が少ないなどの理由で、思うように枚数がはけなくて、時間が足りないことに気づきました。最初は甘い考えで姉にも手伝って貰う予定でいたのでしたが、姉も忙しく手伝ってもらえず、思うように出来なかったのが事実です。しかし、自分ですると決めていたのでやはり甘い考えはいけないと考え直しました。宮地の就業改善センターでの講座であるにもかかわらず、立野から始め、1日で300枚がやっとです。(市内ではマンション1戸立てで100枚位配布出来るのに)、赤水では2日かかり、阿蘇駅周辺でも4日ぐらいかかりました。見かねて他の法輪功学習者達も、黙って講座案内の配布を手伝ってくださいました。主に内の牧方面を手伝って下さいました、本当にうれしく思いました。 また最初は、チラシお断りの表示があり「この家の方たちは法輪功を知らずかわいそうだと思いながら」このお宅には最初はチラシを入れずにいました。同修に尋ねると「これはただのチラシではないから大丈夫だと言われ」ああそうなんだ、これはただのチラシではないと改めて認識し、その表示があっても入れることにしました。また私は犬が苦手で吠えられるとしり込みをするのですが、どうかするともう少しで噛まれそうになったりもしましたが「この法輪功の講座案内をあの時持ってきたのだ」と思ってくだされはいいのだと、考えを変えることが出来ましたし、吹雪の中足が痺れてきても、めげずに頑張れたし、本当に楽しかったと言う思いがいっぱいです。 大変だけど、やはり一人でも多くの人に、この法輪功を伝えたいという気持ちだけで大胆にもまだ始めて間もないのに余計なことをしたのかとも考えましたが、素直に行動に移していました。 今年1月16日より講座が始まり、その日は大雪で3人の参加でしたが、毎回人数が増えて、今は十人越える時もありました。その時より今まで阿蘇はずっと続けている状況です。今の皆さんは一人でも続けていくと言う固い決心がありますので、私もそれに感動して、毎週日曜日の午後は50kmも離れている一宮まで行って一緒にやっています。 9月4日からは阿蘇の皆様と一緒に『転法輪』の勉強も始めました。まだまだ理解しにくい所が多いのですが、ちょっとずつ理解していく過程であり、今まで知らなかった事が分かるようになってきました。それから職場でいやなことに遭う時も前と違って理性になるようになり、何かある時に、そうなんだと考えさせられることがあります。 今までのことを思えば何だったのだろうと思うけど、自慢したいなど考えたこともありません。この場に立つということも、自分では考えもしなかったのですが、事実は事実として伝えることだと言われ、この場に立った次第です。私も法輪功のお陰で肩こりや他の病気も治りました。法輪功に出会ったことを本当に嬉しく思います。李先生は『転法輪』の中で「一人の修煉者として、他でもない常人の環境の中で修煉し、自分を錬磨し、徐々に執着心とさまざまな欲望を無くしていかなければなりません。」と教えました。今は法理に基づいて自分の執着を無くしていく過程です。 (2005年熊本市日本語での修煉体験交流会文章より)
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