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王守慧さんが迫害され死亡した事件の補足 【明慧ネット2005年12月29日】長春市の法輪功学習者・王守慧さん、劉博揚さん親子は2005年10月28日に警官に不法に逮捕された後、二週間以内に相前後して迫害により死亡した。以下は王守慧さんが長春市第三看守所で迫害により死亡したときの詳細である。 法輪功学習者・王守慧さんは2005年10月28日に不法に逮捕された後、長春市第三看守所に送られた。看守所で、王守慧さんはいつも「法輪大法は素晴らしい」と大声で叫び、断食で迫害に抗議した。 第三看守所の衛生課長・李顕東はきわめて邪悪な警官で、監禁されていた法輪功学習者全員への迫害に直接的に参与していた。毎日乱暴に王守慧さんに食物注入していた。ある日、王守慧さんは食物注入により危篤状態に陥ってしまい、監房に帰された後、李顕東は受刑者を指図し、11月の東北の寒い天候の中、王守慧さんを無理やりに冷水に「入浴(残虐な拷問の一種)」させた。 最初は王守慧さんの叫び声が聞こえていたが、1時間ぐらいで静かになり、警官と受刑者にどこかに運ばれた。この時王守慧さんはすでに迫害により死亡していた。 2003年の3月、4月の間に、長春市の法輪功学習者・李淑芹さんは、不法に連行され長春市第三看守所に監禁された。李淑芹さんはずっと名前を言わないため、「長久甲」と名づけられた。看守所で断食で迫害に抗議したため、「小号(注:更なる迫害のために用意された、身動きもままならない狭い部屋)」に入れられ、足かせをかけられ、強引に食物注入された。5月のある日、李淑芹さんに食物注入をして「小号」から帰ってきた数人の受刑者は、みな顔色が変わり、呼吸ができないと言い、号泣した人もいた。今度の食物注入は1時間以上も続いた。それから、李淑芹さんは二度と帰えることはなかった。彼女は食物注入されている最中に死亡した。 |