日本明慧

環境を正し、小さな出来事から自らを修める



 文/黒龍江省大法弟子 法縁

 【明慧ネット2005年12月27日】私は親戚の紹介で法を得てから『中国法輪功』の本を読み、一生で一番の幸運を得たと感じました。そして『転法輪』を読み、五式の功法を学んで修煉するようになりました。

 修煉を始めてからすぐに奇跡が起き、長年の持病が一気に治りました。「メニエール病」や貧血、低血糖、めまい、腰痛等が全部消えたのです。そして、毎日苦しくて薬に頼っていた体が軽くなり、元気が出て、心地よくなり、言葉では表現出来ないほどすばらしい感覚を実感しました。その時から師父を信じ、大法を信じる心が動じることはありませんでした。そして、職場の同僚たちに師父の講法の録音テープや洪法の録画テープを見せると、数人が修煉するようになりました。このようなすばらしいことが私の洪法に力を与えてくれ、私は各農村や村に行き洪法しました。そして煉功をする人が増えたので、わが家に煉功場を作りました。大法を得ることは千年、万年に一度巡り会えるか巡り合えないかの大事な事なので、最大の力を尽くして同修に学法や煉功が出来る便利な条件を作りました。

 99年7.20に弾圧が始まりました。私はかつて悪党の党員であり、また職場では幹部として勤めていました。夫は派出所の所長だったので、悪党、職場、社会等から来る圧力の下にいました。また恐怖心から法理に対する理解が正しくなくなり、どうしたら良いのか分からなくなり、煉功場を解散してしまいました。煉功は公の場から地下にもぐり、人目を盗んで煉功するようになりました。私は学法に努めましたが、職場での楽しみは無くなり、上司からは煉功をするなと言われ、同僚からは嫌な目で見られ、まるで犯罪者のような日々でした。しかし、私は師父の『洪吟』の中の「法を学びて法を得る 学んで比し修して比す 事々く対照し做すところ 到るは是れ修」の詩を覚え、修煉者の要求に従って自分を律しました。職場では兼職が多く、会計、経理、統計等を担当していて、月末や年末になると徹夜する日が増えましたが、不平不満をこぼしたことはありませんでした。職場での苦しい仕事、汚い仕事は自ら進んで行い、常にトイレの掃除もしていました。ある日、休憩から帰って来た女性の従業員に「あなたはまたトイレを掃除していたの?」と聞かれ、私は何も言わずに笑いました。修煉者は苦を楽とし、常人の中で最も良い人にならなければならないと思いました。私はこれらのことを負担に思わず、自ら選んだ最も良い修煉環境だとみなしたので、上司からも同僚からも褒められました。

 2000年5月22日、師父の新経文『心自明』が発表され、私の心も晴れました。私達が学んでいるのは宇宙の大法「真、善、忍」であり、煉っているのは生命双修の高いレベルの大法で、心を修め、善に向かい、完全に他人のことを考えてやっていることで、「常人は修煉しない限り、われわれの得るものを得ようとしても得られないのです」(『轉法輪』)。私は自分に対して「あなたは大法弟子ですか?」「なぜこんなに消極的に受け取るのですか?」と尋ねます。師父は私たちが落ちることを気にして、慈悲の手を伸ばし私たちを救い、私たちのために限りのない苦難に耐えているので、私たちは「大法の修煉を堅持して師父について行き」、執着心を捨てながら、正々堂々と修練するべきだと思いました。そこで私は再び職場の上司と同僚に真相を説明しました。私は彼らに法輪功が難攻不落の宇宙の真理で、悪党が反対するのは天理に背くことであると説明しました。時には彼らに真相資料を見せ、また時には彼らに大法の非常に不思議な出来事について話しました。

 「天安門焼身事件」の後、私は公然と職場の上司や同僚達に真相のCD-ROMや明慧ネットに掲載された大法弟子に対する迫害を暴露した文章—例えば馬三家、長林子、万家等の女性労働教養所の迫害の事実—を見せました。このようにして私達の修煉環境を正しました。仕事をする時間以外は大法を学び、正法の資料を読み、煉功をしました。私の机には常に『転法輪』が置いてあるので真相説明の話題になったこともありました。大法弟子のすることなすことは、彼らが真相を知ることが出来るか出来ないかに繋がり、すばらしい修煉環境が出来ました。

 2002年冬、派出所の悪らつな警官が私の職場に調査に来て、会社の壁に赤いペンキで書かれた「法輪大法は素晴しい」のスローガンを見つけて「これはあなたの職場の人が書いたでしょう」と尋ねると、社長は「煉功する人は皆良い人ばかりだ。当社の従業員は真面目に会社に通っているのにそんなことをするはずがない。彼らがやっているのをその目で見たのか?」と尋ねると、その警官は「見ていない」と答えたので、「これは法律的責任を問われることで、見ていないのならば、でたらめを言うな」と言ったのです。すると、悪らつな警官は腹を立て帰って行きました。

 職場は体制の改革により、個人経営が始まり、私は処置室に配属されたので経済的収入がよくなりました。数カ月後、卒業したばかりの人が来ました。本来ならば私のところに配属されないはずなのに私のところに配属されたので、それなりの指導・調整が必要でした。しかし、下請けの責任者は自分の経済的利害関係から、この新人を私のところに配属したので、私の収入を2人で2等分することになりました。ある同僚は不平不満をこぼし、「あなたも役員の一人として長年仕事をしているので、このようなやり方は良くないと上司に言うべきだ」と私に言いました。その時、私は「お金は多くても少なくて合わせて使えばいい」と言いました。彼女は「あなたは修煉してから馬鹿になった」と言いました。私は修煉者の基準に基づいて、いつでも法理に従って自らを律しているだけです。師父は「煉功者としてはどのように失と得に対処すればよいのでしょうか? それは常人とは異なっているのですが、常人が得ようとしているものは個人の利益であって、どうすれば暮らしが良くなるか、どうすれば楽に暮らせるか、ということなのです。煉功者はそれとは正反対に常人の得ようとするものは求めようとしないのですが、常人は修煉しない限り、われわれの得るものを得ようとしても得られないのです」(『転法輪』)といわれました。このように、私は新人に対して、身内のように、仕事面でも、生活面でも思いやり、善意を持って世話をし、上司には不満を言わずに毎日を楽しく過ごしました。

 その後、夫の病気が発病した為、私は1年半職場を離れ、再び職場に戻ってきた時は前と情況が違っていました。夫の病気の治療のため20万元以上の借金があり、また夫が亡くなったことで収入が減りました。その時、まだ子供が大学生だったので学費が必要であったし、会社の景気もよくなく、毎月100〜200元しか貰えませんでした。このような状況に直面しても、私は依然として前と同じように落ち着いていました。師父と大法に恵まれているから億万長者より豊かで、とても充実していました。三つのことは一貫して行っており、時には地元の真相説明の強調役にも携わっており、常に皆と一緒に学法や煉功もしました。師父の慈悲と加護の下で、私の状況には転機が来て、年末には保険金と新年の生活費を貰い、仕事も調整して貰い、収入も増えたので、最低限の生活は保障されました。99年の7.20以前のある修煉者は「あなたの生きかたは一番良くて、充実しているように見える。夫を亡くした人のようには見えない」と言い、私の身に起きている奇跡を見て再び修煉を始めるようになりました。

 私は仕事の中の全ての機会を見逃さず、私と出会うすべての患者に真相を説明しました。ある日、上司は私に「私からあなたに言うことはないが、言わなければあなたはこのようにするでしょう。会うすべての人に説明しているが、私たちの商売に与える影響にも気を付けるべきでしょう、そろそろ定年退職なので、何かが起きたらもったいないでしょう!」と言ってくれました。

 常人から見れば好意ではありますが、私はすぐにこれは邪悪が彼の口を借りて私を脅迫し、私の真相説明を止めさせようとしていると判断し、彼に向かって真相を説明し、正念を発して彼の後ろの邪悪の要素を取り除きました。それから今まで彼は私の真相説明をとめることがありませんでした。

 生活面でも自分に厳しく要求しました。家が市外にあるため、会社に泊まることが多いです。会社の私への宿泊条件に対して満足しており、不満を持ったことはありません。修煉者として、至る所で他人のことを考えなければならないと思い、電気代を節約するためガスでご飯を炊き、電気器具は使いませんでした。学法や煉功の時間は合理的に使い、夜は出来るだけ明かりをつけないようにし、寒い日は電気毛布の代わりにお湯を入れたビンを使いました。時間が経つにつれ、上司はこのことに気づき感動し、私を訪ねて「なぜ明かりをつけないのですか?炊飯器も使っていいですよ。」と言いました。私は「もう慣れましたので、大丈夫です」と言い、この答えはもう口癖になりました。

 今年4月、『九評』が私の病院まで届けられ、院長はこの本をさらっと一度読んでから猛烈に怒り私に「以前法輪功は良かったのですが、今は××党と対立しており、公然と反党しているのでないか?私はこの本を県の党委員会に持っていくよ。皆はいったい何をしているのか、なぜ構わないのか。」と怒りました。私は、これは共産悪党が党徒の口を借りて最後の悪あがきをしていると思い、他の同修者と一緒に落ち着いた気持ちで、彼に「悪党はあなたが知っているより早く暴露される時が来るので、気を静めて読んで下さい」と穏やかに言いました。それから正念を発して彼の後ろの邪悪を取り除きました。翌日、彼は平然となり、何もなかったように落ち着いていました。私たちは引き続き彼に脱党の資料を手渡し、彼の家族全員が脱党しました。

 以上は私の修煉体験ですので、適切でない所があれば、慈悲の指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/27/117378.html