日本明慧


『転法輪』の字の修正についての認識

文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年12月13日】今年12月11日、私のいる地区の大法弟子は、小型交流会を開きました。交流会で「2回目の『転法輪』の字の修正(注①)を、どのように認識しているのか」と質問した学習者がいます。このことをめぐって皆で深く突っ込んだ交流をしました。この交流は他の学習者を啓発し、助けることになるかも知れないので、私はそれをまとめ、明慧ネットに投稿しました。

 学習者A:2回目の『転法輪』の字の修正の通知はみなさんがすでに目を通したと思いますが、明慧編集部の通知が明確に書かれており、私達は今回の字の修正を重視すべきです。私には一つの提案がありますが、今回私達は必ずまじめに修正し、1回目修正した時、良く修正していなかった字があれば、一緒に修正し直します。私達は今日歩んだ道は将来の修煉者に参考として残すものなので、今日真面目に、厳粛にこのことに対処できなければ、将来の人々も正しく歩むことができません。もし、今日私達が使っている大法の本は将来の人に残すものでしたら、私達は心にやましいところがなく将来の人に手渡すことができますか?また旧勢力は私達が文字修正においての漏れを口実にし、私達が師父や大法を尊敬してないと言ってきます。

 学習者B:確かに厳粛に対応すべきです。パソコンのできる学習者は、要修正の文字をプリントアウトして、以前良く修正していなかったところも、修正し直します。

 学習者C:二日前、字の修正の通知を見ると、「こんなたくさんあるのか!」と悩みました。今日考えると、この一念が正しくなかったのです。これは単なるいくつかの字を修正することだけではありません。通知に「まだたくさんの用語が表面の文化によって変異しているが・・・・・・」と書かれてあります。もし法に立ってみると、私達は、変異された表面の文化の物質と要素を正しているのです。これはどれほど大きな事でしょうか。大法弟子しか、師を助け法を正す中でそれを担うことができず、この栄光を獲得することができません。

 学習者A:そうですね。これはとても神聖なことで、もし私達は認識を高めれば、良く行うことができます。同時にこれは心性を修煉する良い機会です。最初は落ち着いて文字の修正をしていましたが、時間が経つと、早く修正しよう、もうご飯の準備をしないと、他のこともやらないと、なかなか落ち着いて文字修正できない、という学習者がいます。師父はおっしゃった「站椿(たんとう) の煉功をしていて足がガタガタと震えるほど疲れているにもかかわらず、頭は少しも休んではいません」(『転法輪』)の人と同じです。一回目の字の修正した時、自分がきれいに修正できないと言い、他の学習者にやってもらおうという学習者がいます。私達は修煉者として、手数のことを他人に押し付けてもよろしいでしょうか?修煉の機会を他人にあげてしまい、自分が何をもって修煉するでしょうか?他の学習者にやってもらったら、その学習者は法を勉強し煉功する時間がありますか?

 学習者D:そうですね。その前の文字の修正は、私は他の学習者に頼みました。今回は必ず自力で修正します。昨日の夜、私達は夜中まで修正しました。私達は文字を修正するほか、発音も注意すべきで、正しい道を歩むよう、励まし合いました。

 学習者B:特別な場合、とても時間がかかる学習者なら、私達は助けてあげます。師父がおっしゃいました。「一部の人はどうしても悟性が上がってこないもので、わたしのこの本に勝手に線を引いたり、印をつける人がいるのです。われわれの中の天目が開いた人であればみな見えますが、この本は色鮮やかで、金色(こんじき)の光を放っていて、どの字もわたしの法身の姿形なのです。わたしが、もし、嘘を言っているとしますと、皆さんをだましていることになりますが、あなたが一筆(いっぴつ)でも書きこめば真っ黒になってしまうのです。あなたには勝手に書きこむ勇気がおありですか?」、「佛を拝むことはあなたの真の修煉に役立ちますか? 非常に敬虔(けいけん)で、佛像に触らぬよう気をつけたり、毎日、彼のために線香を立てますのに、真にあなたの修煉を指導できる大法(ダーファー)をあなたはあえて粗末にしようというのでしょうか」(『転法輪』)。大法弟子が文字修正の時、厳粛で、尊敬の心を持つべきです。

 学習者A:私は一つのことを思い出しました。数年前、私は仕事の関係で心理学の養成訓練を受けたことがあります。そこの先生は一つの言葉を説明したとき、その言葉の発音が間違っていました。「なんで」と私はその先生に聞きました。先生は「教わっていた教授になまりがあり、教授がこの発音でした。教授に対する尊敬として、この教授の学生はみなこの発音をしていました」と説明しました。1回目の文字修正の時このことを思い出しました。常人でも教授を尊敬しているが、修煉者としての私達は師や法をもっともっと尊敬すべきではないかと考えていました。しかし当時全体から考えたことがなく、他の学習者に自分の体得を話していませんでした。心が正しくなかったため、数人の年寄りの学習者が修正した後の本が整っていないことを私に見させてくれました。その後、きれいに修正していない本をたくさん見て、私はだんだん無頓着になりました。そのためここで、以上の提案をしました。

 注①:明慧編集部は2004年8月20日に『転法輪』文字修正などに関する重要な通知』を発表し、2005年12月9日に『2005年大法著作修訂に関する特別通知』を発表しました。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/13/116414.html