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黒竜江省密山市の劉桂英さんが死亡したときの情況

 
 【明慧ネット2006年1月5日】黒竜江省密山市の法輪功学習者・劉桂英さん(43歳・女性)は、密山コンクリート製品工場の従業員だった。2002年3月、悪人に密告されたため、劉さんはもう1人の学習者と密山大通りを歩いていたとき、警官に不法に強制連行された。不法に密山市留置場に拘禁され、2002年10月24日に無理やり鼻から食物を注入されたため、死亡した。10月26日に遺体は強行に火葬された。

 2002年5月、悪らつな警官は劉桂英さんをハルビン麻薬中毒治療所へ送ったが、血圧が高かったため、受け入れを断られた。劉小虎などの悪らつな警官は旅館の一室を借り、劉桂英さんを部屋に閉じ込めてから、彼らはショッピングに出かけた。密山市に戻る途中、劉桂英さんの血圧が急に高くなり、体は極度に衰弱し、生命が危篤な状態に陥った。劉小虎は責任を負うことを恐れ、「頑張ってください。密山市に着いたら釈放するから、保証金も要らないよ」と言った。車が密山市に到着した後、劉小虎は劉桂英さんを留置場に送り込んで、離れて行った。しかし、ハルビンへ行く費用(悪らつな警官たちのショッピング代金、旅館の宿泊費なども含む)は全部劉桂英さんの家族が負担することになり、合計4000元(日本円で約6万円)であり、さらに政保課は4000元の保証金を要求し、家族が払えなかったため、劉桂英さんは不法に長期に拘禁された。

 同年10月13日、劉桂英さんと楊海玲さんなど10人の法輪功学習者は一緒に絶食で不法拘禁に抗議し、無罪釈放を求めた。22日午前、留置場は強制的に彼女らを密山病院へ送った。院長の趙曙光は自ら5〜6人を連れて、劉桂英さんの足を押さえ、小指程の太さのプラスチック管を5本使い、劉さんの口、鼻の穴に差し込み、粉ミルク、高濃度の塩水、薬物など注入した。注入が終わった後、劉さんは留置場に戻された。ほかの学習者は病院で手錠、足錠を嵌められ、ベッドに固定されて食物を注入され、留置所所長の馬宝生は「もし続けて絶食するなら、男性犯人にあなたたちの小便を取ってもらう」と脅した。

 昼ごろ、劉桂英さんの顔色は真っ青になり、痛みに耐えられなくなった。1人の警官は症状を見て、脈を触り、「本当にだめになった」と馬宝生に報告した。警官が「掛け布団で車に運ぼうか」と言ったが、馬宝生は「だめだ!私の面子はない。歩いてもらう!」と言い、仕方なく、劉桂英さんはなんとか立ちあがり、壁で両手を支えながら車に移動した。

 病院についたとき、劉桂英さんはすでに口と目が斜めになり、口から血が流れてきた。2002年10月24日、8カ月苦しめられた劉桂英さんは、冤罪が晴れないまま1人でこの世を離れた。

 密山人民病院は馬宝生らの指示の下で脳血栓、腎臓衰弱の「死亡証明書」を発行した。これにより、馬宝生らの殺人の罪が隠された。その後、公安局内部は厳密に情報を封鎖し、遺体附近で監視して如何なる人も劉桂英さんに近づくことを許さなかった。馬宝生は怯えながら被害者家族の前で、すべての費用は留置所が払うことをあっさり承諾したが、劉桂英さんの遺体が火葬された後、馬宝生は約束を破り、仕方なく劉さんの家族は費用を全額負担した。

 馬宝生は2002年に事故に遭い、座骨神経が損傷を受け、趙曙光は2004年7月に肝臓癌を患い、公費400万元(日本円で約6千万円)で治療したが死亡し、まさに悪報に遭った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/5/118092.html