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太原市刑務所:ルァン福生さんは迫害により危篤状態に

 
 【明慧ネット2006年1月4日】河北石家庄市の法輪功学習者のルァン福生さんは、2002年10月、11月に丁立紅さん(すでに迫害されて死亡した)、王新中さんと一緒に山西太原で不法に強制連行された。ルァン福生さんは11年間の判決を言い渡され、太原のある刑務所に拘禁された。現在、ルァン福生さんは半身不随になり、極めて痩せてしまい、身体は極度に弱り、危篤状態に陥った。

 数年の不法拘禁で、ルァン福生さんに重度の糖尿病合併症が現れ、何回も入院したが、刑務所は家族に通知しなかった。今回は病院が危篤の通知書を出したので、家族はやっと面会できた。但し、ルァン福生さんは公安の病院に入院し、10数人の警察が交代で監視し、親族の会話が禁止された。糖尿病患者は特殊な飲食が必要だが、刑務所では不可能なので、家族は一時出所を強く要求したが、中共当局は人命を無視し、釈放しなかった。

 ルァン福生さん(55歳、男性)は、河北省政府不動産課の電気工事係で、北京へ陳情に行ったため、石家庄市橋西区興華街派出所(法の裁きを恐れて改名し、今は「維明街派出所」となった)の悪らつな警官の魏明に酷く殴られ、二階のベランダに手錠をはめられて拷問、取り調べを受け、北焦拘留所で30日拘禁された。2000年12月初め、ルァン福生さんは北京へ陳情に行って逮捕された後、北京で邪悪の命令に従わず、名前と住所を教えなかったため、何日間も苦しめられた後に釈放された。ルァン福生さんは地方の友だちの家に行ったときに派出所に逮捕され、不法に留置場で60数日拘禁され、不法に1年労働教養され、血圧が高すぎるため、刑務所外で服役し、その際に興華派出所に1000元ゆすられた。しばらくして、興華街派出所は再びルァンさんを労働教養所に入れようとしたので、彼は仕方なく山西省で路頭にさまよう生活を強いられた。2002年10月また太原市(太谷県という説もある)で不法に強制連行された。

 2002年10月1日、山西省太原市万柏林公安局は30人の刑事警察で「101特別捜査本部」を設立し、法輪功学習者を追跡、不法に強制連行することを行っている。10月中旬から11月中旬、100人以上の学習者を不法に強制連行し、その中にルァン福生さん、丁立紅さん、王新中さんなど石家庄法輪功学習者が含まれていた。悪らつな警官らは政治資本を手に入れるため、太原市公安病院に協力してもらい、学習者に対してめった打ちしたり、高圧の電気棒で殴ったり、狭いベッドに長時間縛ったり、野蛮に食物を注入したりする非人道的な迫害をした。丁立紅さんは拷問で取り調べられ、絶食で抗議したため、公安病院へ送られて迫害され、最後に野蛮に食物を注入されたため、死亡した。(山西公安警官の話によると、当時迫害されて死亡した法輪功学習者はほかにも何人かいた。)


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/4/118032.html