日本明慧
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一、九台飲馬河労働教養所で苦しめられ危篤に陥った 王茵さん(36歳、女性)は、大学卒で、もと吉林市放射化学工業会社の職員。1997年に法輪功の修煉を始め、心身とも利益を受けた。1999年7月20日に迫害が始まった後、王茵さんは大法を実証するため、2000年の初めに、吉林市江辺市政府の前で煉功し、不法に5日間拘留された。2001年1月28日、天安門広場で平和な請願を行ったため、警官に北京天安門派出所から北京市懐柔留置場に不法に強制連行され迫害を加えられた。裸足で雪の上に立たされ、その後王茵さんは吉林市第三留置場に送られ引き続き監禁された。 2001年3月1日、王茵さんは吉林市公安局船営支局の政保科長・範業剛に、九台飲馬河労働教養所六大隊に不法に強制連行され、残忍悲道な迫害を受けた。3月27日に6人の警官はいっしょに王茵さんに暴行をふるった。警官・王秀艶は電気棒で王茵さんの手の甲と腕に電気ショックを与えながら、恐喝を行い、何度も王茵さんを蹴り倒した。続いて悪らつな警官が2人1組で、電気棒で王茵さんに電気ショックを与えた。悪らつな警官・曲文芳と金英愛は一緒に、王茵さんの顔と首に電気棒を押しつけ、電機棒に巻き付かれた放電する金属線を最大限に皮膚にくっつけ絶えず回転させた。数万ボルトの高圧電流により、王茵さんの顔面の筋肉が絶えずけいれんし、首と頭が震えた。悪らつな警官・金英愛は、王茵さんが何も言わないのを見て、「彼女のズボンを脱がせて下半身に電気ショックを与えてやろう」とわめいた。その時、悪らつな警官は王茵さんに電気ショックを与えることを、他の妥協しない法輪功学習者に見せ、他の学習者を恐喝しようとした。悪らつな警官は3本の電気棒で2時間も、王茵さんに電気ショックを与え続けた。それにより、王茵さんは首が顔より太くなって、紫黒色になった。 2001年9月11日に王茵さんは邪悪な黒嘴子労働教養所に移された。修煉を堅持し、邪悪の要求に協力せず、受刑者の服を着ないため、王茵さんは倉庫の死人ベッド(注・ベッドに呼吸出来ないようにきつく縛り付ける拷問)に縛られ、手足が四方に引っ張られ、両手は手錠でベッドの2つの角にそれぞれ固定され、両足は縄でベッドの足にそれぞれ固定された。王茵さんは断食して残酷な迫害に抗議し、毎日強引に鼻に管を挿し込まれ濃い塩水を注入された。4日目に悪人は王茵さんの鼻に管を挿し込むとき、位置を間違えたので、濃い塩水は王茵さんの肺に入り、王茵さんはショックを起こし、吉林省公安病院に送られ救急手当てをうけた。公安病院で、悪らつな警官は王茵さんの体が衰弱し、危篤に陥っているにもかかわらず、依然として王茵さんの手足を手錠でベッドに固定した。病院側は王茵さんがすでに危篤に陥ったのを見て、責任を負いたくないため、やっと王茵さんを引き受けるように家族に知らせた。 2002年12月30日、王茵さんは仕事をしているところを、吉林市高新区の「610オフィス」、高新派出所の悪らつな警官に、洗脳センターに不法に連行された。王茵さんは断食で抗議し、その後正念をもって洗脳センターから脱出し、やむを得ず流浪生活に陥った。 二、国家安全局は2度も家に侵入し不法に強制連行した
2005年7月15日、吉林市国家安全局、610、向陽派出所など約20数人の警官は、王茵さんの家を囲み、強引に家に侵入し王茵さんを不法に逮捕しようと企んだ。王茵さんは窓を開け、隣近所の人々、国家安全局、公安と歩行者などに真相を伝えた。多くの人の目を前にし、悪らつな警官らは、もっと多くの人に知られるのを恐れ、すぐドアを壊し押し入る勇気がなかった。2時間後、王茵さんは正念をもって脱出した。 7月17日午後、吉林市国家安全局の悪らつな警官は、水道代を集金するとうそをつき、王茵さんのお母さんにドアを開けさせた。当時家にはお母さん一人だけだった。警官らは家宅捜査をし、大法の真相資料や王茵さんのお金と物を没収した。王茵さんはやむを得ず再び流浪生活に陥った。 2005年12月13日午後4時半、王茵さんは他の3人の法輪功学習者と、吉林市昌邑区の省機工場社宅で、吉林市国家安全局の悪らつな警官に包囲され、夜7時半〜8時に、悪らつな警官がドアを壊し侵入し、王茵さんと3人の法輪功学習者が不法に逮捕された。 三、家族は釈放を求めたが断られた その日の夜王茵さんの家族は、王茵さんが不法に強制連行されたことを知った後、管轄区域の派出所に駆けつけ、王茵さんの釈放を求めた。派出所の警官は「この事はとても複雑で、吉林市国家安全局が管轄する事で、私たちはその権限を持っていない」と答えた。その夜10時過ぎ、家族はまた、吉林市松江東路59号にある吉林市国家安全局に駆けつけ、王茵さんの釈放を求めたが、断られた。王茵さんの家族と王茵さんの72歳のお母さんが、氷点下26、27度の非常に寒い中で、ずっと立って待っていたが、王茵さんのいかなる情報を得られず、しかたなく家に帰った。 翌日の朝、吉林市国家安全局が出勤する前に、王茵さんの家族11人は、再び国家安全局に来て王茵さんの釈放を求めた。しかし、朝から夜まで待っていたが、いかなる返答も得られなかった。国家安全局の職員は最初、家族を受け付けなかったが、その後うそをついてごまかし、言い漏らした後、自分の言ったことを認めようとしなかった。その間に、吉林市国家安全局の職員は絶えず守衛室に電話をかけ、王茵さんの家族が行ったかどうかを確認した。また王茵さんの家族を追い払うため、派出所の警官を呼び出して家族を脅迫した。 2005年12月16日午前8時40分、王茵さんの家族6人は再び国家安全局に来て、王茵さんの釈放を求めた。守衛は窓を開けて「局長はあなたたちを入らせないと命令を下した」と家族たちに言った。王茵さんの70数歳の両親と家族は、氷点下20数度の非常に寒い中で1時間以上も立たされ、何度も王茵さんとの面会を求めた。守衛は2度も国家安全局の職員に伺い、やっと、1人の李処長と自称する人が、王茵さんの家族を受け付けた。王茵さんと一緒に不法に強制連行された法輪功学習者・白鶴さんのお母さんは、この前ずっと外で待っていて、受け付けてもらえなかった。そして王茵さんの家族と一緒に入ってきた。王茵さんの家族は「どうして王茵さんを連行するのか?」と李処長に詰問した。李処長は、「逮捕するのは必ず彼女が法を犯したからだ」と言った。王茵さんの家族は「法輪功を修煉するのがどの法に反するのか?国家安全局が理由なく逮捕することこそ、法に反したものだ」と李処長に問い返した。李処長は答える言葉がなかった。王茵さんの家族は「昨日どうして派出所の警官を呼び出してきたか?」と李処長に聞いた。李処長は「昨日この問題を処理した時、十分に考慮していなかった」と答えた。 王茵さんの家族はまた、2005年7月17日に不法に家宅捜査されたとき、国家安全局の悪らつな警官に不法に略奪された財物を返すよう求めた。そして罪がないのに迫害を受けている王茵さんを直ちに釈放することを強く求めた。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/19/116840.html) |
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