日本明慧


修煉者は心を正しく置くべき

 
 【明慧ネット2006年1月4日】煉功者は心を正しく置くべきなのですが、以下は私の最近の体験です。

 「法輪大法学会公告」が出された後、なるべく多くの人々に知ってもらうために、私は周りの同修と素早く印刷にとりかかり、張り出しに出回っていました。当時はちょうど晩秋で、稲収穫の季節だったのですが、私は通常昼休みまたは夕暮れの、会社員が家路に向かうタイミングに真相資料を貼りに行っていました。私は電柱が密集した工業地区の主幹道路の両側を選んだのですが、車両と通行人が多かったため、最初はそれを恐れて、すぐに始められませんでした。「ここを通る人が多く、ちょうど衆生を救い済度するのによい所ではありませんか?」と私は自分に言い、そこで発正念をして邪魔を排除しました。その後私は慌てず、あせらずに順序よく貼っていきました。約1.5キロ行ったところで、ちょうど糊を使い切った時にパトカーが後ろから来たのですが、私はその場で細い道に入って、その後無事に家に帰りました。

 翌日に予期せぬことが起き、職場で手が機械に挟まれ、2本の指が血まみれとなりました。骨に別状はなかったものの、私は師父の講法を思い出しました。師父は92年東方健康博覧会の時に弟子たちを率いて病気治療を行ったのですが、弟子たちは手に師父の功を帯びていても、霊体に噛まれていました。私は怪我をしたのは、きっと張り出したポスターが邪悪の本質の部分に的中したからだと思いました。同時に、多くお金を得ようとして仕事をしたため、その邪悪に隙に乗じられたに違いないでしょう。

 家で療養していた間でも衝撃的なことがありました。手が怪我した後病院で手当てを受けて、包帯で巻かれたあとに薬ももらいました。しかしながら、医者に言われたとおりに処置したものの、逆に炎症を起こして、中から膿が出てきました。どういうことだ、と私は自分に聞きました。薬を塗らないとどうなる? と思ったが1日経つと怪我が治ったのです。このことを通じて私はまだ、心を正しく置けたのかと、師父そして法に対して信じているかについて明確ではなかったので、師父が按配してくださったと思っています。

 手の怪我が、業力を消すという名目でも、旧勢力が自分に対して迫害を加えていると知っていたので、回復するまでの間でも資料を配り、貼り出しを中断しませんでした。ある日の夕方、ご飯も食べずに資料を配りに出かけましたが、帰ってきたときに家内から、子供の面倒を見てくれない、ご飯も作らない、せっかく作っても食べてくれないなどと、激怒されました。これは彼女が私のために業力を消してくれていると知っていたので、彼女に少しも恨む気持ちはありませんでした。

 食事の後、私は意外にも傷口に新しい肉が出てきたことに気づきました。少々の痛さと痒みを伴っていましたが、翌日にはおさまりました。このことは私に様々な深い執着心を気付かせたほか、「心を正しく置く」ことの重要性について再び認識させられました。心を正しく置くことができてこそ、正しい道を歩むことができ、旧勢力の按配を否定できるのですが、同様に心を正しく置くことができてこそ、衆生を救い済度することを最優先にでき、師父のおっしゃった三つのことをうまく円融でき、師父の慈悲なる済度を裏切らず精進できると思います。

 以上は私の個人的な感想です。不適切な箇所がありましたら、ご指摘ください。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/1/1/117707.html