日本明慧


師と法に対する尊敬について
——文字修正から悟ったこと

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年12月31日】同修たちはみな文字修正を急いでいました。私も焦って『転法輪』の文字修正表に合わせて修正をはじめました。しかしながら、文字修正における奥深い内涵と厳粛さについて実際わかっていませんでした。

 『転法輪』の中の「得」という文字を修正する時、私は標準ページ番号と行数に従うつもりで一つを見つけたら、すぐさまナイフでこすり落としました。こすり落とした後、その後ろにもう一つの「得」の文字があることに気付きました。私は、その段落の説法を読んでみてはじめてこすり落とすべきではない「得」の文字を取ってしまったことがわかり、とても後悔しました。すべての文字の背後には各層における佛道神があるのではないかと緊張のあまり心臓の動きまで速くなりました。先生は文字修正というこれだけ極めて神聖な仕事を弟子たちに預けたのに、私はこんなにも簡単に自分のうかつさのため、こすり落とすべきではない文字まで落としてしまったのです。私はどれだけ大きな罪を作ってしまったのでしょう!

 文字修正の中でのその他の問題にも思い及びました。ある時、文字をこすり落す際に冷静さがなくうっかりして穴を作ってしまいました。そのため後ろページの文字まで駄目になりました。文字修正における心の状態が良くなく、先生が何故私たちに文字修正をやらせているのか、その奥深い内涵の意義は何かに対して法理上で明確な認識がありませんでした。文字修正における極めて神聖な一面を感じ取ることができませんでした。文字修正における厳粛さを真剣に考えませんでした。修正すべき文字があれだけ多いのを見て、心が落ち着かず、また他の同修はすでに修正を終えているのをみて、さらに気持ちが焦ってしまい、結局このような始末でした。

 文字修正に当たって現れた問題に着目して私は真剣に内に向かって原因を探してみました。それによって私は、自分自身の修煉の中に存在する一つの最大の問題を見つけました。つまり、本当に先生を敬い、法を敬う心がちゃんと出来ていませんでした。先生が法を正しているのは、宇宙の中のすべての不正の要素を正すことであり、文字修正も先生が法を正す中での一つの重要な構成部分であると、私は悟りました。先生がこれほど極めて神聖な仕事を弟子たちに預けたのは弟子たちに対する信頼であり、また先生が弟子に与えた誉れなのでした。今日、大法弟子が行ったすべては未来の人々に残す道であり、良く行ったのかあるいは良く行っていないのかは、みな未来に重大な影響をもたらすのです。「弟子が正しく大法の道を歩むと、光輝は人間三界を出る」(「志は退かない」)ように、これは先生がすべての弟子に対する要求と期待なのです。もし、私が文字修正の時、この上ない敬虔な心と先生と法に対する敬いの心を持っていれば、間違いなく最もすばらしくやり遂げたはずで、このような過ちは起こらないはずではないでしょうか?

 内に向かって原因を探す時、私は集団で学法をする時にも先生と法に対する敬いの問題が存在することに気付きました。たとえば、学法の場所を提供した同修はみなさんにお茶や果物を用意するなど互いに敬い合い、深刻に学法を邪魔しています。みなさんは情と面子を考えてそれを制止することができませんでした。先生は法を説く時、水一口も飲まず身をもって私たちに教えたのです!

 私たちは法を学ぶ時、食べたり飲んだりするのは先生と法に対する敬いの心があると言えるのでしょうか?ある同修(特に女性の同修)は、学法場で顔を合わせるとすぐさま手を取ってあれこれを尋ねたり、あなたは太り私はやせたとか、誰それの服は綺麗だとか、どこで買ったのか、いくらしたのかなどなど常人の話ばかりします。甚だしきに至っては法の勉強が始まったにもかかわらず、おっしゃべりを止めず、自分が一人の修煉者であることさえも忘れてしまい、更に先生と法を敬うことなんか思いもしないのです。ある同修は集団で学法する時、椅子の上で足を組んで手にはお茶を持ち、ベッドの上で足を伸ばしたり、ある同修は寝てしまうのです。座禅を組み背筋を伸ばして端正な姿勢で法の勉強をする学習者は多くありません。

 みなさんもご存知のように古人は神佛に対してとても敬虔で非常に尊敬したのです。廟に行って佛に線香を立てる時は、まず入浴して着替えて、三日間斎戒するのです。天上の神でさえ先生が説法をする時、ひざまずいて聞いているのです。先生は世の中で法を伝え、慈悲を持って弟子を扱い弟子をとがめないのですが、だからといって私たちは弟子として自分のことを偉そうに思い、先生と法に対して敬いの心さえ忘れてはいけないのです!

 ここまで書いて私は『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』の中での一段落を思い出しました。「しかし、問題があります。つまりもし皆さんが師父を尊敬していなければ、宇宙の理から言えばそれは間違いです。旧勢力はそれによって隙に乗じて皆さんを壊滅してしまいます。それらは皆さんを壊滅する最大の口実を掴みました。なぜならば、それらに私が皆さんを済度する全過程が見えたからです」。「考えてみてください、いったん私に対して不敬になりましたら、旧勢力はこの人があまりにも悪いと思い、凶悪な手を下すのです」。邪悪に不法に逮捕されて迫害を受けている同修たちと病業の苦しみの中で命を落す同修及び長期にわたって消沈して精進せず法を証明する活動に参加しない同修のことに思い及びますが、先生と法を敬うことにおいて問題があって邪悪に隙に乗じられ、それが迫害される要素になったのではないでしょうか?私たちは先生と法を信じることができたため、先生の法門に入り、修煉の道を歩み始めたのです。師と法を敬うことは一人の修煉者として必ずやり遂げなければならないことであり、もしそれができなければ本当に師を信じ、法を信じることはできません。これから私たちは一つの考え、一つの念、一言一行、一挙一動から少しずつやりはじめてこれらのことをやり遂げるよう努力して行きたいと思います!

 個人的な認識に過ぎず、正しくないところがあれば同修の慈悲のご指摘をお願いします。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/31/117625.html