日本明慧


最近の修煉の体得

  【明慧ネット2006年1月13日】最近、師父の講法に従い自分を探すと、自分の根本的な執着は、安逸を求めることだったことに気付きました。旧勢力は私のこの漏れの隙に乗じ、安逸を求める執着をさらに強くさせ、無理やり邪悪な要素を押しつけてきて、私の修煉を妨害してきました。今日それを暴露するために、書くことにしました。

 実は私にある多くの執着は、みな安逸を求める心とつながっています。これが原因で、私は回り道を歩んだこともあります。旧勢力が無理やり押しつけてきた妨害により、私に求める心を生じさせました。つまり、長い間私はずっと単純に妨害を解決するために、法を実証することを行っていました。完全に法を正す出発点に立ち、自分を修めることを本分とし、衆生を救い済度することを使命や責任としておらず、「私的」な出発点に立っていました。

 師父の最近のいくつもの経文は、法を正す勢いの変化、環境が緩和されると気を緩めてしまう学習者が出てくるなどに言及しました。経文に自分を照らしてみると、自分は時間に対する執着を持っていることに気づきました。焦りや怠慢になることはみなこの執着によるもので、みな正しい状態ではありません。かえって安逸を求める心を強くさせてしまうので、これについてはっきりとした認識を持つべきだと思います。

 以前は、資料点の仕事に携わり、安全のために比較的隔絶された作業環境でした。法を正す要求が高まるにつれ、私のいる地区で資料点が至る所にできました。技術のサポートが必要となったので、私は協調を担当する学習者や、技術のサポートを担当する学習者と、頻繁に接するようになりました。交流を通じて私は不足を探し当て、自分にあるとても大きな問題を見つけました。それはとても強い「私心」を持っていることです。仕事での表れとしては、責任を負いたくなく、たくさん行いたくなく、自分を保護したいなどです。この面を突破しないと、どのように法を実証することを良く行うのでしょうか?

 協調を担当する学習者、技術のサポートを担当する学習者の忙しい仕事ぶりを見て、私はとても恥かしく思いました。彼らのためを考えたことがなく、彼らと、より良い全体を形成しませんでした。同時に私も考えました。私の地区では、表に出てきた学習者はずっと先頭に立っていますが、一部の学習者はずっと法を正す歩みについてきていませんでした。この問題が存在しています。

 みんなでこれについての交流が比較的少なかったのですが、集団で法を勉強する環境を形成したことにより、全体の向上も、速まると思います。今まで資料点の学習者は、いつもたくさんのことを担当していました。たぶんこの面についての交流を重視していなかったため、いつも表に出てきた学習者は、一生懸命に資料点の仕事を行っていました。こうすると、あまり精進していない学習者と、とても大きな差を形成してしまい、旧勢力はこの隙に乗じてきます。つまり私たちは全体で心性の交流をしっかりと行っていませんでした。今、資料点は至る所にあり、心性における交流をもっと多く行うべきです。こうして、新しい資料点はだんだん成熟に向かい、責任を負い、自らの道を歩むようになります。

 私たちはできるだけ早く、法に沿って向上し、「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『2002年ワシントンDC法会での説法』)ようになります。金剛不壊の全体を形成し、法を正す道を最後までしっかりと正しく歩みます。

 最後に師父の経文『正しい道を歩む』をもってみなさんと励ましあいましょう。「最後のこの時期、邪悪の要素が少なくなり、環境も緩和され、この世の情勢も変化しますが、皆さんに正しく歩んでほしい道は永遠に変わりません。」。

個人の体得で、適当でないところはご指摘をお願いします。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/13/118533.html