日本明慧


マンハッタンで真相を伝える体験

 文/台湾台南市大法弟子

 【明慧ネット2006年1月13日】2005年12月にマンハッタンに真相を伝えにいくことを決めたとき、娘はまだ1歳2カ月でした。以前いつも娘を連れて法会に参加していました。まだ小さいですが、普通の子供として考えていませんでした。娘も自分なりの条件を利用して法を実証すべきだと思っていました。しかし、今回彼女を台湾に残して行かなければなりません。当時まだ授乳していたため、マンハッタンに滞在する2週間の間、母乳の処理、託児などの問題に悩みました。しかし、今の時期しかマンハッタンに行くことができません。家に残って子供の面倒を見てもよいのですが、マンハッタンで真相を伝えられる唯一の機会を失うことになるかもしれません。同時に救われ、済度されるべき多くの人も機会を失うかもしれないため、必ず行こうと思っていました。このように決めてから、全ての問題は問題ではなくなりました。他の空間の物質と後天的な観念も取り除かれました。

 最初、マンハッタン行きを申し込んだ学習者が少なかったため、同行してくれる人がいないと思っていました。英語があまり得意ではない私は少し緊張していました。しかし、これで私の心を揺るがすことはできません。なぜならば、大法を証明することは人間の観念と目の前の現象に動かされてはいけないからです。後で意外にも、もう1人の学習者が行くことになり、しかも行きも帰りも私と同じ日程でした。

 マンハッタンに到着後、ここで真相を伝えることの厳しさが分かりました。毎日どれほどの学習者が反拷問展に参加することができるのかを確定できない情況下で、皆さんは1年3カ月を頑張ってきました。私たちは後援部隊のように、絶えず各地の足りないところを補い、法を正す全過程に必要な全てを圓容しました。全てに順序がないように見えますが、実はとても順序よく進んでいました。毎日、皆さんは自ら進んで反拷問展で自分が行なうべきことを探して、行ないました。拷問を実演する人もいれば、煉功や説明、署名を集める人もいました。マンハッタンには観光客が後を絶たずやってきて、多くの観光客はカメラやビデオで撮影していました。功を学びにきた人もいました。多くの人は「何が起きたのか、なぜそうなったのか」と聞きました。

 ある日、私が籠に入れられる拷問を実演しているとき、ある外国人は私の前に腰を下ろして、「大丈夫ですか? 何かあったのですか」と聞いてきました。そばの学習者はすぐ彼女に中国で起きている迫害を説明すると、彼女はその場で署名し、この迫害を止めさせるために声援を送ってくれました。しかし、ニューヨークに勤務しているサラリーマンの多くは、ただちらりと見るだけで、または事務所の窓から反拷問展を見ているだけでした。しかし、私たちが緩まず真相を伝え、正念を発する(発正念)につれ、ますます多くの人がこの迫害に注目し始めました。

 ある日、マンハッタンの多くの人は実は中国共産党について分かっていないと感じ驚きました。しかも中共と密接な経済関係を保っていて、多くの人は共産党に騙されているため、真相を理解することに阻まれています。この迫害が自分と関係ないと思っていますが、共産党の邪悪な本質を知るようになれば、この迫害は全ての人と関わっていると思うようになるでしょう。ですから、『九評共産党』を配ることにしました。あの日、たくさんの人が、『九評共産党』を受け取りました。

 マンハッタンに滞在中、新年の特別公演を手伝いに行くべきなのか、引き続き反拷問展で真相を伝えるべきなのかについても、学習者は議論しました。どういう方法を取っていても、私たちの目的はさらに多くの人に真相を知ってもらうためであり、衆生が最も受け入れやすい方法を考えるべきです。

 マンハッタンにいる間、時間のあるときニューヨークの観光地にも行きました。最短の時間で最多のことを行ないたいと思っていました。観光地で真相を伝える以外に、マンハッタンを観光したときの体験を文章にし、多くの人々にマンハッタンの日常を知ってもらいたいと思っています。もちろん、法輪功学習者の反拷問展も含まれています。実は、マンハッタンに来てから、天気は日に日に寒くなりました。しかし、町を歩く人は寒さによって減ったことがありません。ここには毎日世界各国の人が往来しています。驚いた人もいれば、関心のない人もいます。しかし、いずれにせよ彼らは大法を中心に動いています。条件が許される学習者は、マンハッタンの衆生に託された期待を忘れないでください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/13/118529.html