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劉志栄さんは甘粛天水第三刑務所で迫害されて死亡

 【明慧ネット2006年1月17日】甘粛省慶陽市大法弟子の劉志栄さんは甘粛天水第三刑務所で迫害されて死亡した。劉さんの妻は通知され、天水へ死後のことを処理するように行かせた。詳しい情況は調査する必要がある。

 1月13日午後3時、天水第三刑務所は人を派遣して、慶陽市西峰南街派出所へ行き、派出所はまた人を派遣して劉志栄さんの家へ行って、劉さんの妻に急いで天水まで来させ、刑務所の人は劉志栄さんは「自殺」で、治療を断ったという。現在まで、遺体も見せなくて、家に送らせない。

 劉志栄さん(男性・42歳)、慶陽市西峰区団結小学校教師だった。99年12月4日、劉志栄さんと徐峰さんなど法輪功学習者は北京へ真相を伝えに行き、帰った後、悪らつな警官に逮捕され、留置場で不法に70数日拘禁され、西峰公安局国安課の悪らつな警官の鄭翔にめった打ちされた。2000年4月10日、悪らつな警官の鄭翔は団結小学校から劉さんを派出所まで騙し、不法に麻薬中毒回復所へ送り、その後、西峰区で所謂「公判会」で街を引き回し、侮辱した。劉志栄さんは不法に一年労働矯正に言い渡され、4月25日に蘭州平安台第一労働矯正所へ送られて迫害され、2001年7月1日に釈放された。

 2002年4月28日、悪らつな警官の鄭翔は人を連れて団結小学校へ行き、劉志栄さんに彼らがもってきた紙に指印を押すように強い、劉さんは協力しなかったため、学校内で悪らつな警官は劉さんをめった打ちし、警棒を振り回して気の向くままで劉さんを殴り、悪らつな警官の罵る声の中でパトロールカーに入れられた。中共の悪らつな警官達は生々しい土地の悪者イメージを先生と学生達に目撃された。

 その後、悪らつな警官は劉志栄さんの家に行き、不法に家財を没収し、無理にいくつかの錠を開け、捜査し、劉志栄さんの家をむちゃくちゃにした。4月30日午後、悪らつな警官は劉志栄さんを留置場まで連行したとき、劉さんは自分は犯人じゃないから、牢屋に入ることを断ったため、悪らつな警官に殴られ、強行で牢屋に引っ張られた。劉志栄さんは絶食で抗議し、意識不明にになったが、悪らつな警官は釈放せず、また不法に劉さんを三年の労働矯正に送った。その後、麻薬中毒回復所へ送ったとき、劉さんは抗議したため、また殴られ、悪らつな警官に牢屋に入れられた。

 2002年7月28日午後、劉志栄さんは正念で刑務所から脱出し、悪らつな警官はあっちこっち探し、連続数日間ずっと彼の家に泊まり、また劉さんの妻の常秀玲さんに夫の居場所を脅迫した。
劉さんは路頭に迷う期間中、また連行された。2002年10月末、蘭州市城関区裁判所はテレビジャック用の「法輪功真相VCD」を作成した言い訳で、不法に7名の法輪功学習者を10-20年の判決を言い渡した。劉さんは不法に15年判決され、2003年10月に蘭州市大沙坪刑務所へ送られ、禁足で迫害され、同年の12月25日、また甘粛定西刑務所で続けて迫害された。

 2005年末、劉志栄さんと徐鋒さんなど7名の不法に拘禁された大法弟子は定西刑務所から天水市第三刑務所に送られた。劉志栄さんは2006年1月14日前に一監区で悪らつな警官に迫害されて死亡した。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/1/17/118851.html