日本明慧


夫は迫害され死亡、夫婦は長期にわたり悪党に苦しめられた

 【明慧ネット2006年1月11日】私と夫は法輪功学習者だ。邪悪が大法に対して残酷な迫害を行う日々、私たちは信仰を堅持したため、夫の饒卓元は悪党に迫害され、死亡し、私は長期にわたって精神と肉体の迫害を受けた。

 私の名前は林倩、広東の法輪功学習者で、広東省口腔病院に勤めていた。修煉を始める前、私は胃潰瘍を患い、りんごを食べることすらできず、食べると胃が痛くなった。もっと辛かったのは脳下垂体腫瘍を患い、私は広州のすべての大病院で検査した。医者は私の病気は現代病で、原因不明だと言う。医者がくれた薬を飲むと吐いた。その後、医者は私に伽瑪刀で治療するように進めたが、経済の面から治療しなかった。

 私は1994年12月21日に、師父が広州体育館で行った広州第五期学習会に参加した。半年後、私は病院へ検査しに行ってみると、すべての結果が正常になっていた。それから私は一粒の薬も飲んでいない。法輪大法は私を絶望から救い出し、私に新しい命を与えてくれた。長年患っていた胃潰瘍と脳下垂体腫瘍などはみな消えた。性格も明るくなり、仕事、家庭、各方面も順調になった。

 1994年に法を得てから1999年7月19日まで、私の人生の中で最も幸せな時期だった。11年という年月を経て、私は法輪功が心身共に健康になる高徳な大法であることを深く体験した。これがなぜ6年の苦難を経ても、修煉する心が動じなかったかの理由だ。

 7.20に、江沢民と中共悪党が法輪功への迫害を始めて以来、普通に修煉することができなくなり、私の人権も深刻に侵犯された。皆が羨ましがる幸福な家庭は、江沢民の独断専行の下で一家離散し肉親を失った。

 7.20の朝、私と夫の饒卓元は一緒に広州市政府、省政府へ陳情に行った。会社に戻った後、会社の上司は何度も私に圧力をかけ、法輪功の書籍を出すように要求した。そして会社での学法、煉功を禁止した。その後、省衛生庁も私に圧力をかけた。私の夫は1999年9月7日に北京へ陳情に行き、14日に会社に戻った。16日夜、上海珠区新港西路派出所(広州市新港西路142号5棟)の悪らつな警官・林が私の家に来て、「派出所で話がある」と言って私と夫を騙した。派出所へ行く途中で私は車を降りた。夫は海珠区リ竃海珠区第一留置場に強制連行され、不法に15日間拘留された。当時娘は1歳だった。

 2000年7月3日、夫の饒卓元は普段と同じように会社へ行ったが、江村精神病院へ連れていかれた。54日間も苦しめられ、侮辱され、精神的と肉体的な迫害を受け尽くした。この54日の間、夫がどこにいたのかさえ知らなかった、2000年8月25日、夫はやっと釈放され、私はやっと江村精神病院に拘禁されていたことがわかった。江村精神病院で迫害された後、夫は優秀な食品監督官から供給室でビンを洗う仕事になり、給料も取り押さえられ、毎月たった700元の生活費をもらい、その後、また380元に下げられた。

 2001年9月4日、夫は突然広州市防疫ステーションから悪名高い広州市のいわゆる「法制学校」(広州市白雲区チャ頭西洲北路56号)へ強制連行され、洗脳された。私は2歳の娘を連れて夫に面会に行き、娘は泣きながら父に家に帰ろうと叫んだが、人間性が全くない悪らつな警官は釈放しなかった。私は再び市防疫ステーション、広州市衛生局へ釈放を要求した。家はいつも610オフィスの悪者に掻き乱され、母は精神病が再発した。私の強烈な要求で、2001年9月30日夜に夫は釈放された。夫が家に帰ってきた後、610オフィスはまた監視しに来た。更なる迫害から逃れるため、夫は仕方なく路頭に迷った。家があっても帰れなくなったのだ。2001年10月26日、広州海珠区新港派出所のある警官が電話で夫に面会しに来てくださいと言われたとき、夫がまた逮捕されたことが分かった。

 今回、夫は広州海珠区第一留置場に拘禁された。絶食後、広州市花都第一労働教養所に移送された。この間、夫はずっと絶食で抗議した。体重は68kgから35kgまで減り、皮と骨だけが残った。労働教養所の医務室で注射できず、2001年11月、夫は広州市白雲区石井の司法病院へ送られ、そこに2日間いた。司法医院の医者は家族・親族に「保証書」を書かせた後、やっと「重病のため、服役中の一時出所」という名目で釈放されたが、夫は当時すでに歩けなくなっていた。家に帰った後、親族は夫を見分けられなかった。娘は怖くて、大人の後ろに隠れた。そして長い間、目の前のこの人が自分のお父さんだと信じられなかった。

 2002年1月19日、饒卓元さんは家で休養していた時に、私は海珠区610オフィスに強制連行され、広州市江燕路海富花園の海珠区昌岡街派出所で24時間拘禁された。この24時間に10数人の悪らつな警官が私を取り調べた。2002年1月20日、私は広州大道南1690-1694号の「何貴栄夫人福利院」9階の海珠区のいわゆる「法制学校」で洗脳された。洗脳班では強制的にすべての学習者に「天安門焼身自殺事件」、「傅怡彬が親を殺す事件」など師父と法輪功を誹謗中傷するビデオと、法輪功を攻撃する文章を見せ、「転向」しないと労働教養所に送ると脅して苦しめ、法輪功の信仰を放棄するように脅した。そして専門の人に24時間ずっと私を監視させ、部屋から離れることを禁止した。その後、私は「シングル部屋」に拘禁され、ご飯を食べる時だけ人に会うことができた。

 私が洗脳班に拘禁されていた間、ずっと親族との面会を許されなかった。洗脳班は強制的に私の親族に100元を払わせた。2002年6月14日再び広州市610オフィス、天河区610オフィス、海珠区610オフィスと広州市第一労働教養所の警官は家に侵入し、夫は花都赤泥第一労働教養所に強制連行された。拘禁されてから3日目の6月19日、悪らつな警官はやっと私を釈放した。

 夫が再び強制連行された後、私は面会を要求したが、海珠区610オフィスの余強、花都労働教養所の黎教に拒否された。6月26日、夫は花都市人民医院(花都市新華路)へ送られた。私と親族は夫に何が起こったのか知らなかった。2002年7月1日午後、海珠区洗脳班の責任者・李瑞民、海珠区610オフィスの主任・余強は私の勤務先に連絡して、会社のものと一緒に夫を見舞いに来るよう要求された。

 私が夫に会った時、彼はすでに話せなくなり、ずっと涙を流していた。右耳の周りと首の4分の3は全部鬱血し、腫れており、手と足は重いもので殴打された痕が残り、頭一箇所に血腫があった。後に二つの血腫があったと分かった。

 2002年8月5日夜8時ごろ、花都市人民医院院長は海珠区610オフィスを通して私の電話番号を調べ、私と家族に夫が死亡したと知らせた。夫はまだ34歳だった。

 夫が亡くなった後、海珠区610オフィスの女性警官・温春蘭は私の勤務先に来て、私を差別するように上司を教唆した。そして長期に私の家の電話と携帯を盗聴し、私を尾行した。

 2005年2月12日、私は夫が受けた迫害を明慧ネットへ送り、4月、海珠区洗脳班の責任者・郭広庭と小鐘と街委員会役員は、再び勤め先に来て私を脅した。2日間後、2005年8月3日朝9時半、海珠区610オフィス・余強、温春蘭は私を洗脳班へ強制連行しようとした。私はそれに従わず、20人ほどの同僚と、30人ほどの患者の前で、彼らの邪悪を暴露し、彼らに夫を殺した損失を補償するよう要求した。

 この短期間で、私は精神的な迫害を受け、記憶力が落ち、正常に仕事と生活ができなくなった。この迫害から逃れるため、私は脱出しようとした。そして2005年12月、やっと中国大陸から離れることができた。

 中国大陸の千万以上の法輪功学習者は信仰を守るために、残酷に迫害され、拷問され、基本的な人権を失い、甚だしきに至っては生命を失った人がいる。幸運に海外に来ることができた法輪功学習者として、私は援助の手を差し伸べ、中共の法輪功に対する迫害を制止し、終らせるように、国際社会、全世界の善良な人々に呼びかける。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/1/11/118465.html