日本明慧


私の夫を殺した共産邪党

 文/大陸大法弟子・警醒(仮名)

 【明慧ネット2006年1月8日】今年64歳になる私の夫は2005年12月、旧勢力に迫害され、病気になり自宅で死亡した。

 夫は教師の家庭で生まれ育ち、邪党に地主の身分を与えられた。12歳の時、故郷を離れ、都会の中学校に通った。成績はいつもトップクラスで勉強、運動ともに優れており、高校の入学試験にも合格した。しかし、共産邪党は夫の身分が地主だと言う理由で、高校にはいかせず、師範大学にいかせた。この事は夫の心に非常に大きな打撃を与えた。「文化大革命」が始まった当時、私たち夫婦は中学校の教師であった。子供はまだ7ヶ月で、校長先生(地主の身分)の奥さんが私たちの子供の面倒を見てくれていた。当時、学校内外にたくさん貼られていた新聞には、権力派がまた「地主の子」をあやしていると書かれていた。7ヶ月過ぎたばかりの子供まで迫害されたことで、夫は大きな打撃を受けた。私は夫を守るために、「革命委員会」に参加した。夫は仕事や学生に対して責任感が強く、真面目で、批判されることはなかった。担任したクラスの学生は成績が良かったため、共産邪党の党員たちから嫉妬され、いじめにあった。その時、私は闘争心がとても強く、結局邪党の罠にはまってしまった。私は夫に「家の仕事は全部私に任せて! あなたは学校の仕事だけ頑張って、必ず入党して、いじめられないようにしてくたさい!」と励ました。しかし、邪党は夫の身分が地主ということだけで入党することを承知しなかった。しかし、その後邪党は夫が幹部になることが必要になり、夫を入党させただけでなく、政府事務室の主任に抜擢した。定年になった時、教育局の邪党支部書記だった。『九評』を読んだ後、夫は退党を宣言した。しかし、邪党のこれまでやってきた、「運動」や、家財没収、本を焼き尽くすなどに対する恐怖心は依然として心の中に大きな暗い影として残ってしまい、結局この恐怖心を取り除くことができなかった。そして、邪悪にこの執着心と隙を捕えられてしまい、命を亡くした。「皆さん見てください! 邪党の政策はこのように常に変動し、恐怖心をつくり、人々を苦しめており、神が滅ぼさないはずはないでしょう!」

 夫は邪党文化に深く毒害されたが、法を得た後、断固として修煉を決意した。「7・20」前に我が家は集団学法の場所であり、資料点でもあった。夫は2000年に北京へ陳情に行った時、非合法に40数日間刑務所に拘禁された。その時に騙されて自分の名前を言ってしまい、意識が朦朧としていた時、「煉功」をやめると言ってやっと出所できた。その後、夫は「今まで言ったこと、書いたことを全部無効にする」と「厳正声明」を発表した。邪悪な警官と「610」の迫害により、私と夫はやむなく家を出て放浪生活をすることになった。それでも大法の修煉を堅持する心は動揺しなかった。しかし、夫はなぜ命を亡くしたのだろうか? 夫は常人の考え方で法を守り、恐怖心が強かった。肝心な時になると、大法の本を全部隠し、手もとには「轉法輪」と手書きの経文だけを残していた。夫は経文、「洪吟」を写すときに、敢えて師父の名前を書く勇気がなく、代わりに「×××」と書いた。隠しておいた大法書籍は全部新聞紙か、古い雑誌で本の表紙を覆っていた。夫の臨終間際、私たち家族は夫のために表紙を覆った紙を全部取り除いた。一冊の大法の本は意外にも邪党の頭・毛沢東の顔写真が載っている雑誌で包まれているのを発見した。私たちはこれらの本の表紙を全部燃やした。私と同修たちは、夫は師父を尊敬せず、法を尊敬しなかったという、一番大きな隙を邪悪に摑まれて迫害されたのだと認識した。夫の常人の心で法を守ると言う行為の裏には、邪党に対する警戒心と恐怖心という、根本的な執着心が隠されていた。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/1/8/118276.html