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遼寧、四川省で三人の学習者が迫害により死亡した情况

 【明慧ネット2006年1月18日】 

 葫芦島石油化学会社の医師・李洪亮さんは虐待され、精神に異常をきたし、ビルから飛び降り死亡

 李洪亮さん(30歳位、男性)は遼寧省葫芦島石油化学総会社の医師であった。1999年7.20前後、真相を伝えるため何度も北京に行き、何度も葫芦島市の610オフィス、公安局や会社の人に不法に拘置所、留置場、興城精神病院などに入れられ迫害を受けた。また拘禁中、何度も絶食して抗議した。邪悪の要求に屈服せず堅く「三書」を書くことを拒否したため、拷問により痛めつけられた。出て来た時は精神に異常をきたしていた。神経を破壊する薬物の注射によるものがどうかは不明である。家族の不注意でビルから飛び降り死亡した。仔細は調?待ちである。 

 四川省三台県・馮昌林さんは冤罪で死亡した

 馮昌林さん(20歳過ぎ、男性)は四川省綿陽市三台県水文十組に住んでいた。幼児の時から肺気腫等多くの慢性病を患い、体が弱く仕事も出来なかった。2003年前後に法を得て修煉し始めた。身体はだんだん健康を取り戻し、顔の色艶もよくなり、仕事も出来るようになった。2003〜2005年の間に、四川省攀枝花、綿陽市三台郷やチベットの警官に何度も不法に留置されたり、家に来て嫌がらせをされたりした。2005年初め、悪らつな警官の邪魔や迫害により、煉功ができなくなり以前の病気が再発し、2005年5月頃、冤罪を晴らせないまま死亡した。 

 于軍修さんの生前の情况

 于軍修さん(40歳近い男性)は浙江省の出身であった。彼は元無期懲役刑の判決を受けた犯罪者で、1997年に監獄の刑務員を通じて法を得た。彼が当時、入っていた監獄は黒龍江省大慶肇源県あたりにあり、名称は新肇監獄といい、2000年に牡丹江監獄と合併した。于軍修さんは牡丹江監獄に転送され服役した。監獄での仕事はサッカーボールを縫う仕事であった。冬のある日、彼は「法輪大法は素晴らしい」と、一枚のテープに書いて廊下の壁に貼った。この事が原因で、監禁室に入れられた。その監禁室はとても狭く、4、5人収容できる程度である。食事は毎日二食で、毎食桃程度の大きさの蒸しパン一個のみで、スープはなく、のどが渇いたときはトイレを流すための水を飲んでいた。于軍修さんは約半年間閉じ込められていた。監舎に戻された時は、すでに肝臓の機能が悪く腹水が溜まっていた。悪化したため病院に収容されたが、治療の効果も無く死亡した。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/1/18/118891.html